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「家と個」の視点 ~朝ドラ「カムカムエヴリバディ」 に寄せて~

NHKの連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」を毎朝観ている。

「ヒロイン3世代で紡ぐ100年の物語」と聞いて、これは新しい試みだ!と大きく頷いた。過去には、半年という放映期間の長さに耐えられず、途中で失速した作品もあったので、テンポ良く濃い内容を届けたいという工夫なのだろうと期待したのだ。

安子編。第一話から素晴らしかった。物語のキーアイテムとなる「ラジオ」。それが盗まれて大騒ぎ…というエピソード。ドラマの核を担うアイテムにきちんとスポットライトを当て、視聴者の注目を集める。第一話からきちんと計算されている。信頼できる脚本だと感じた。

戦争の描写が、安子の一人称の視点で描かれているのも良かった。
パーマネントをあてたかったけど、禁止されてできなくなった。
タバコのおつかいにいったら、銘柄がいつのまにか「チェリー」から「さくら」に変わっていた。
いつのまにか愛する人が招集され、戦地に送られた。
ひとりの国民の視点から見れば、戦争は「国同士の争い」などという大きなものではなかったのだ。
戦争とは、かけがえのない日常から、かけがえのない人が奪われていくものなのだということを、丁寧に丁寧に描いたのが、安子編だった。
圧巻だったのは、安子の兄、算太が夢の中で父・金太と再会するシーンだ。
あれがこの物語のクライマックスだった。

信頼していた脚本と演出に疑問を持ち始めたのは、安子とるいが事故にあうシーンだった。
地面に倒れ、大きく目を見開いた安子がドローン視点で映し出される。もしや死んだのでは?と視聴者の不安を煽りサスペンス効果を持たせようとしたのかもしれないが、これは悪趣味な演出と言わざるを得ない。
安子が選ぶのは勇か?ロバートか?の2場面切り替えの映像も然り。
親友の絹ちゃんが出産、定一さんの息子が戦地から帰還、と次々と場面が切り替わる映像も然り。
せっかくこれまで丁寧に描いてきた「一人称(人間の視点)」が急に「三人称(神の視点)」に変わってしまったのだ。
これでは視聴者は船酔いを起こしてしまう。

安子編の終盤、ツイッターである感想を目にした。
「安子は、子どものためだけを思って行動しているように描かれているが、本当は自分の好きなようにしか生きていない。」
本質を突いたコメントだと感じた。
夫を失った女性が、その兄弟と再婚することも珍しくなかった当時。
しかし安子は、娘・るいのために愛していない男(勇)と再婚することはどうしてもできなかった。
そして、新しい世界を見せてくれるロバートに惹かれていくことも止められない。
安子は「イエ制度」「家父長制」という枠におさまらない、個人の心を一番に尊重する「自由な女性」だったのだ。
ならば、それを前面に出して描けば良かったのではないか。
自立した女性を描くのは、朝ドラの真骨頂であり得意分野ではないのか。

たとえば、である。
安子のロバートへの恋心にいちはやく気づき、「自分がどうしたいんか、決めんといけんよ」と背中を押した親友・絹ちゃん。
彼女を、ただの「ヒロインの代弁者」にとどめるのではなく、ヒロインと対照的な人物として造形すれば良かったのではないか。
絹ちゃんは、「イエ」のために、望まない結婚を承諾する。
でもあなたは、自分の心の真実を貫いてほしい。「イエ」に縛られることなく、私の分まで自由に生きてほしいー。

自分の心をつらぬくために、娘・るいを見捨てるのか、という批判は出るだろう。しかし、「額の傷の治療費は高額すぎて、るいを雉真家に託すしかない」というエクスキューズがあれば、脚本としての破綻はないのではないか。

しかし、安子は最後の最後まで「るいと共に生きる」ことを強く望み、物語もそれを強調する作りになっていた。
母親が子どもを捨てるのは、どのような理由があろうとも、許されないことらしい。

この母性神話こそが、脚本を極端にねじまげてしまったのではないかと私は思っている。
思えば、安子にことあるごとに辛く当たっていた姑・美都里も、亡くなる直前に急に「良い母親」になっていた。
次男の勇は戦地から生きて返って来たのに、長男・稔が戦死したことで心を病んでしまった美都里。まるで美都里の目には、稔しか映っていないかのようだった。
それなのに、勇の野球の試合を観戦をしながら「勇も稔も自慢の息子だ」といきなり言うのは、とってつけた感じが否めない。
そういえば、安子の兄・算太を「お母さんが恋しいんじゃね」と、まるで実の母親のように抱きしめるシーンもあった。
疑問なのだが、そこまで「優しい母親像」を強調する必要はあったのだろうか。
私の体感では、死ぬ人は死の直前に急に優しくなったりしない。
鬼姑は、最後まで鬼のままで良かったのではないだろうか。

私は、脚本家と演出が途中から変わってしまった説を唱えたい。
本来のストーリーは、こうなるはずだったのではないか。
「美都里は存命のままで、あいかわらず安子に冷たいまま。
勇が安子に求婚する。受け入れられない安子は戸惑う。
勇のことが好きな女中・雪衣が、嫉妬まじりに美都里に告げ口する。
美都里は、「稔だけでなく勇まで私から奪うのか」と怒る。
雉真家に居づらくなった安子は、家から出る。
娘・るいの傷の治療費は、雉真家に頼らざるを得ないから、るいのためには離れるしかない。
傷心の安子にロバートが寄り添い、共に生きることになる。」

安子は、英語をいちはやく日常に取り入れたように、「家」や「女」にとらわれず、自分の心だけに従う「新しい女性」だった。
娘・るいを手放したのは、愛情がなかったからではなく、やむを得ない理由だった。
そのような作り方をすれば、終盤の無理矢理感を避けることができたのではないだろうか。
現に視聴者には、「I hate you(大っ嫌い)」と娘に言われただけで、娘を手放すか?という大きな疑問が残ってしまったのだ。
安子編の序盤はとても丁寧に作りこんでいた脚本だっただけに、残念である。


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