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韓国アイドルを推して自分への絶望に気づいた話

他者を否定して自分を肯定するのは、尊大。

他者を肯定して自分を否定するのは、卑下。

では、他者を肯定して自分を肯定するのは?

韓国のアイドルBTSにハマった。まさかこの歳になって、自分の息子くらいの青年たちに夢中になるとは思わなかった。圧倒的なパフォーマンス。並外れたMVのクオリティ。巧みなマーケティング戦略。彼らはまたたく間にアメリカのヒットチャート1位に君臨した。

ハングリー精神と情熱を持った若者たちが、一流のクルーに支えられて、世界を席巻していく様を見るのは心地よかった。韓国のアイドルはデビューしても1年足らずで活動休止するグループがほとんどだと言う。その中で生き残るために本気でやっていこうと、カフェで何時間も語り合ったという逸話に心惹かれた。

大陸と日本に挟まれた朝鮮半島は、常に侵略と支配によって抑圧されてきた。その歴史と、いまもなお続く差別意識を思うと、韓国のアーティストが世界のトップに立つことが私は嬉しくてならなかったのだ。アメリカでもっともよく売れた楽曲のジャケットが黄色=イエローであることにもメッセージ性を感じた。

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中国や韓国を下に見て、日本スゴイと悦に入ってる人たちに、「それはもう時代遅れだ。現実をよく見るべきだ」と言って、私は溜飲を下げたかったのだろう。彼らはミュージックビデオの中で、船の沈没により亡くなった高校生たちへの追悼の念を表現した。それは時の政権の能力のなさが露呈し、そのために尊い命が奪われたことへの批判ともとれる内容だった。政権批判をした文化人がブラックリストに入れられていた時代に、アイドルという立場でありながら敢えてリスクを冒し、巧みに表現したことに私は強い憧れを抱いたのだった。いまの日本で同じことができるだろうか。

韓国のキャンドル革命をご存知だろうか。のべ1700万人が参加し、職権乱用・機密文書漏洩・収賄などの疑惑が発覚した大統領を罷免へと追いやった市民革命だ。ひとりの逮捕者を出すことなく政権交代へと国を動かした、世界で一番平和的で美しい革命。これを成し遂げた韓国を私は心底尊敬している。

映画「共犯者たち」の予告映像を見てほしい。約2分の動画の中に、セウォル号事件もキャンドル革命の様子も映っている。

『1987、ある闘いの真実』

『弁護人』

いずれも国家権力と戦う市民の姿が描かれている。このような苦難の歴史をたどってきた韓国のアーティストがいまや世界から注目されているという事実に私の心は躍った。武器や暴力ではなく、アートで戦う。私はBTSに「美しい革命の国」というイメージを重ねていたのだろう。

その一方で、私は私の中に、日本と自分自身に対する絶望が存在していることを知った。政治も、自分自身も、何も変えられない自分。何も持っていない自分。でもBTSを推していれば、自分がひとつ高いところに上がったような気になれた。誰かを肯定することで自分を肯定していたのだ。

しかし、そんなアイデンティティの在り方には危うさが伴う。心酔する対象が自分の期待に外れた行動をした時、他人に依存した自己評価はあっさりと転覆してしまう。依存の度合いが大きければ大きいほど、失望が怒りに変わるのも早い。

先日のオンラインコンサートのある場面にがっかりした私は、自分と同じように感じている人がいないかとSNS上を検索した。批判タグにたどり着くのに、時間はかからなかった。アンチを名乗る人の中には、悪意のある嫌韓アカウントもあれば、好きだからこそ推しの言動が理解できず苦しんでいる人もいた。好きが嫌いに転じるとはこういうことかと慄きながらも、眺め続ける自分がいた。同時に、わずか20歳代の青年が自分の期待に沿わない言動をしたというだけで、このような検索をかけるほど鬱憤をためている自分自身に腹が立った。自分自身が幸せでないから、依存しているから、他人の言動が過度に気になるのだ。

彼らはきっとこれからも躍進を続け、グラミー賞を獲るだろう。結成当初にカフェで語り合った夢を実現してほしい。私が彼らを推すことで学んだのは、少しの韓国語と、絶望に向き合う勇気だった。私はこんな検索をする前に、自分自身の絶望に向きあうべきだ。

だからわたしは、まずは選挙に行きます。

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