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スカーレット 何事もいきなり出さない

連続テレビ小説「スカーレット」。

毎回凄いなあと思っていることがあります。

それは、どんな小さなエピソードでも小道具でも、いきなり出すことはせず、必ず「前フリ」があることです。

出稼ぎに行った喜美子に父・常治が電話をするシーン。大野と居酒屋で飲んで酔いつぶれた後、大野が営む雑貨店に担ぎ込まれる。店の片隅に黒電話を見つけた常治は、喜美子に電話をかけてしまう。

別にここ、黒電話はいきなり出てきてもいいと思うんです。ぜんぜん不自然じゃない。

でも、スカーレットの脚本家さんは、大野雑貨店に黒電話があることを、ちゃんと前もって描いてあります。直子が電話をかけたがって、母マツに「電話代は高いからあかん」と言われるシーンです。

シナリオの入門書によく書かれていることですが、「何事もいきなり出してはならない」という法則があります。

作者は、ストーリーを前もって知っており、観客に対して優位な立場にいる。いきなり何かが登場したり、事実を知らされたりすると、見ている側はびっくりして不快に感じてしまう。だから、作者は観客を驚かさないように、常に前もって観客に断片を知らせておくべきだ、ということです。

「スカーレット」は常にそれが出来ている。

それは、魅せたい場面がしっかりとあって、すべてのエピソードや小道具がそこに収斂していくように設計してあるからだと思います。

ヒロインの「演説」シーンも、ちゃんと前フリがあります。

「言いたい、お父ちゃんみたいに言いたい」→「女にも意地と誇りがあるんじゃ~!!」

「私の話、聞いてくれますか? ○○さんも聞いてくれますか?」→「家事は誰にでもできる仕事と言いますが、本当にそうでしょうか?」

「じっくり話そうか。こんな時間やけど」→「新聞社も好きだけど、荒木荘も好き。それで、何が嫌いかを考えてみました。それは、途中で投げ出すことです」

声を大にすることを予告し、演説の聴衆をちゃんと集め、深夜なのに話が長くなることに対するエクスキューズをする。いわゆる「演説」シーンが、不自然にならないよう、ちゃんと丁寧に前フリをしているのです。

もう、色々と素晴らしすぎる。前フリ以外にも…

まず、常治が電話口で泣くシーン、照明がすごく暗いですよね。泣く常治を見守る大野夫妻にだけに照明があたっている。これは、トゥーマッチになることを防いだんだと思います。この抑えた演出がいい

そして、「家のことは誰でもできる」と言う大久保さんに対して、「本当にそうでしょうか? お子さんを育て上げ、家のことをきちんとこなす大久保さんはすごい、誰にでもできることじゃない」と尊敬の気持ちを表す喜美子。

この言葉は、大久保さんに対してだけではなく、日々の家事を頑張っている視聴者へのエールにもなっている。やっぱり朝ドラのヒロインは、未熟でも、不器用でも、見ている人を言葉や行動で感化するような人であってほしい。

「スカーレット」が素晴らしすぎて、思わず連投してしまいました。受信料払ったら、毎日タダで見られるなんて幸せすぎる…。

#連続テレビ小説 #朝ドラ #ドラマ #脚本

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