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マイ・ボニー

 長い皇太子時代を経て、ようやく即位したイギリスのチャールズ国王。チャールズ三世と呼ばれます。しかしチャールズ三世と呼ばれた人がほかにもいたと言う話です。

 1964年、中学1年だった妹のクラスでの出来事。男子生徒が音楽の時間に1枚のレコードを持って来て、それをかけたいと言うのです。音楽の先生は何気なく許可しました。
 「マイ・ボニー……」とのびやかな声が歌い出し、先生もふんふんと聴き入っていたのですが、突然! 
 おわかりですね、ロックの音が爆発したのです。その時の先生のあわてぶりがおかしかったと、幼なかった妹が語っていました。当時ロックは不良の音楽みたいな扱いでしたから、学校で聴くべきじゃなかったんです。

 歌っていたのは当時の人気歌手のトニー・シェリダン、バックの演奏はビートルズ。今聴けばなるほど彼ららしい音をバシバシ鳴らして、後ろでコーラスしたりシャウトしたりしています。のちの彼らのマネージャー、ブライアン・エプスタインがこのバックの演奏を聴いて目をつけたという因縁のレコードです。

 私もビートルズの曲として初めて聴いたのはその曲だったのですが、知っている歌でした。小学校の頃だったでしょうか、「カウボーイの夢」という題で、夏の臨海学校で習ってコーラスしたのです。

 ゆうべの空をみた まきばにねそべり
 僕らの行く先を 星にうらなった

 というような歌詞でした。うたごえ喫茶などで歌われていたようです。それがスコットランド民謡で、原曲は「マイ・ボニー」と言うのだと、私はいつ知ったのだったか。

 ネットを見ていたら、思いがけない逸話にたどりつきました。ボニーはスコットランドでは美しい人の意味ですが、恋人のことではなく、名誉革命で王位を追われたジェームス二世の孫の、チャールズ・スチュアートのことなのだそうです。イングランドの支配に不満なスコットランドの人々がこの王子をかついで兵を上げ、イギリス政府と闘ったのです(カロデンの戦い)。むろん負けいくさで、敗残兵の多くが虐殺されたとのことです。
 王子は海のかなたへ逃げのびましたが、スコットランドの人々はその後も、ボニー・プリンス・チャーリーと呼び、チャールズ三世と呼んでその不遇な王子を慕ったとのことです(チャールズ一世はジェームス二世の父親、チャールズ二世は兄なのです)。

 マイ・ボニーは海のかなた
 返しておくれ 返しておくれ
 マイ・ボニーを 私のもとへ

 そんな歌詞の意味が、ようやく呑みこめました。
 中学生のころ、「メギー新しい国へ」という本を読みました。今の上皇さまが昭和天皇の皇太子だったころ、戦後すぐにその家庭教師になったヴァイニング夫人の作で、没落したスコットランド貴族の末裔の15歳のメギーが、独立戦争勃発まぢかのアメリカに渡って行くささやかな冒険談です。
 ボニー・プリンスのために戦い、苦しい境遇に落ちて、新大陸を目指すスコットランド移民の苦闘が語られます。女装したプリンスの逃亡を助けたという女傑フローラ・マクドナルド(実在)も登場します。憧れのその人に会うためにメギーは海を渡るのです。

 同い年なのに大人びたメギーの健気さに打たれて、繰り返し読んだ物語でした。そんな歴史上の悲話があったとは知りませんでした。ましてビートルズの歌と結びつくなんてね。


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