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#46 大使とその友人とその家族

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

空港を出た途端、ムワッと蒸し暑い空気に包まれて「ついに赤道直下の国に来たんだ」と実感した。

例によってプライベートタクシーの客引きに取り囲まれたのをかき分けながら、空港ゲートの出口に向かった。ガイドブックによると、空港から市内まで安く行には、いったんシェアタクシーで近くの街まで出て、そこからバスに乗る方法。
ところが何人かタクシードライバーに聞いても、シェアタクシーなど無いと言う。こういう場合の彼らの言葉はたいてい信用ならない。「絶対にあるはず!」と声を荒げて言い合っていると、後ろから突然「Are you ok?」と声をかけられた。振り向くと、パリッとしたスーツを着た初老の男性がいた。

続けて尋ねらえた「Where are you from?」に「Japan!」と答えると、「コンニチワ!」と笑顔で返ってきた。びっくりして「日本語話せるんですか??」と聞くと「No!」と再び笑顔が返ってきた。
その後の会話は英語だったけれど、なんと彼は在日ウガンダ大使で、今日帰国してきたところだという。日本人の女の子が一人旅でウガンダに来たことに、大層驚いていた。何か助けが必要かと問われて、まさか大使にシェアタクシーの乗り方を聞くわけにもいかず、回答に困っていると、別の男性が大使に挨拶しながら近づいてきた。大使が笑顔で答えた後で何か言うと、その男性から突然「え? 日本人ですか?」と日本語で尋ねられた。「え? 日本語話せるんですか??」と再びわたし。
これがカルボさんとの出会いだった。

カルボさんは日本人女性と結婚してもう10年以上日本に住んでいるウガンダ人。今は日本で自分の会社を経営していて、日本とウガンダを結ぶ様々なビジネスに注力しているという。今回はウガンダで必要な仕事と会合に出席するために、大使と同じ便で帰国してきたという。
大使が「この子をよろしく」と頼んでくれたおかげて(ウガンダ語だったので正確には理解できなかったけれど…)、幸運にもわたしはカルボさんを迎えに来る車に一緒に乗せてもらい、カンパラ市内まで連れて行ってもらえることになった。

目星をつけていたゲストハウスのあるエリアまで乗せてらえるだけでも十分だったのに、カルボさんと彼を迎えに来た親戚の女性は、いくつかのゲストハウスの部屋の内見や値段の確認にも付き合ってくれた上、わたしが事前に調べていた情報よりも値上がりしていたため、決めかねて渋っていると、彼らの自宅のすぐ近くにあるホテルに連れて行ってくれた。
そこは市内の中心から多少遠く、近くにあるBARが深夜まで大音量で音楽を流しているせいで、多少うるさかったけれど、値段を考えると十分満足のいくものだった。
「一泊して気に食わなかったら、明日別のホテルを探しましょう!」と彼らは言ってくれたけれども、結局ウガンダ滞在中の一週間ここに居続けた。翌日から、毎日彼らの家にお邪魔して三食をご馳走になるという半ホームスティのような生活が始まった。

巨大でカオスなオウィノ・マーケット。様々なものが売られていた
巨大でカオスなオウィノ・マーケット。様々なものが売られていた
彼らの家にお邪魔して、いつも山盛りのフルーツをご馳走になった


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