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書き手として

#note100本ノック
Day 93

最近、
よく思い出すことばがある。

大学院で学術論文を書いていたころ、論文のデータ分析がうまくいかずに悩んでいたわたしへの、先生からの厳しいことばだ。

MAKIさんが、今日私にしてほしいことは何?

私がこのデータを分析するの?
そしたら、これ、私の論文になるよね?

この論文を書いているのは誰?
MAKIさんだよね?

MAKIさんが、著者なんだよ。

院のときの先生のことば

そう、わかっているつもりだった。
でも、わかっていなかったのだ。

書くことが「自分ごと」になっていなかった。
どこかで逃げていた。

先生たちは、たしかに親身になって
相談に乗ってくれる。

でも…書くのは先生じゃない。

書き手はわたしなんだ。

わたしがわたしの責任において分析し、
そのデータを価値づけなきゃいけない。

MAKIのこころのことば

そう、強く思ったことを
昨日のことのように思い出す。


書き手として


最近、ライティングカンファランスに関わる本を、ある読書会で読んでいる。

カンファランスの手法のなかで、作文をする子どもたちに、書き手として、あなたはどう思うの?と尋ねていく場面がある。(けっこう多い)

これって、大事なことなんだなと思う。だって四十路のいい大人で院生やってたわたしだって、自分が著者なのに、どこか他人事だったんだもの。

自分が書き手なんだと言う意識は、当たり前に思えて意外と持つのが難しいものなんだなあ、と改めて考えている。

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