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【本】『レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人』

大学院の教育学研究科に属していた私は、「絵本の原作と翻訳を比較することを通してものの見方を育む英語教育の実践」を研究していた。

そのなかで出会った本がこちら。

松岡希代子 (2013) 『レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人』.美術出版社

タイトルにあるようにレオ・レオーニと彼の描いた絵本についての大変興味深い本で、レオ・レオーニファンにはぜひともお勧めしたい一冊である。

今回は、そのなかからSwimmy(日本語翻訳は『スイミー』)についての記述を紹介する。

Swimmyの主題はどこにあるのか

日本語翻訳版のタイトルは『スイミー』である。1977年から小学校の国語の教科書に採択されていることもあり、学校で習った!という人も多いだろう。意外と記憶に残っている人も多いらしい。

その『スイミー』はどんな物語?と聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。

主人公のスイミーの特徴に触れる人も多いかもしれないが、「みんなで協力して大きな魚のふりをする」場面のことを思い出す人も多い。

しかし、この本ではこう語られている。

この物語は、一致団結して、協力しあうことの美徳を語っているようにとられやすい。

松岡希代子 (2013) 『レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人』.美術出版社.pp114

「とられやすい」ということはつまり、「とられやすいが、違う」という意図だ。「一致団結」「協力」の美徳を語る本ではない、という解釈。(わたしの解釈と同じなので興奮気味)

この物語でもっとも大切なところは「ぼくが目になろう」というところにある、とレオははっきり語っている。

松岡希代子 (2013) 『レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人』.美術出版社.pp114

続けて、

主人公のスイミーは、ほかの小魚とは違う。そんな異分子の「ぼく」が「目になろう」というのである。それは、自分がほかのものとは異なっていることを認め、自分にしかできない役割を担うという決意表明だ。

松岡希代子 (2013) 『レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人』.美術出版社.pp114

レオは、人にはそれぞれの役割があるということ、そして、芸術家としてほかのものが見えないものを見ることができる人間がいるということを伝えようとしている。

松岡希代子 (2013) 『レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人』.美術出版社.pp114-115

つまりレオ・レオーニが描きたかったのは、個性や多様性の尊重であるといえる、と筆者は述べているのだ。


日本での『スイミー』の解釈は

日本語翻訳の『スイミー』は、谷川俊太郎訳で出版されている。


この『スイミー』で注目したいところは、中表紙の採択だ。

レオ=レオニ作 谷川俊太郎訳 (1969) 『スイミー』.好学社 中表紙より


原作のSwimmyはこちら。

Leo Lionni (1963) Swimmy. Knopf Books for Young Readers

日本語翻訳の表紙は、原作と同じである。だが、中表紙は本文のなかの一場面を採用し、原作と異なるものを採用している。ここにはどんな意図があるのだろうか。

出版社に問い合わせたことがあるのだが、「当時の担当がもういないのでわかりかねます」という返答だった。わたしはここに、日本の教育への示唆が含まれているように感じている。この意図について調べた文献や論文などにはまだ出会えていない。知りたい…

『スイミー』についてのわたしの考えはこちらに。



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