100本ノックから見えたこと
#note100本ノック
Day 100(写真は、noteのお知らせから引用しました)
たどり着きました、100本目。
わたしは気分屋なので、気分が乗っている時はまだしも、気分が乗らないときに書くことはとても苦行でした。
でもあえて、
「毎日続けて100本」を自分に課しました。
そこで何が見えてくるのかを、
見てみたかったからです。
見えてきたこと
それで、何かが見えたのかということですが…。
おそらく、自分の気分が乗ったときにだけ書くルールにしていたら、書かなかっただろう、と思われる記事があふれてきました。
それらは、教育でないカテゴリーのものばかりでした。
もともと、noteは教育の発信をしようと思って始めたのに、「わたし」のなかは、教育ではないカテゴリーのことであふれていることに気づきました。
自分のなかで、「先生であること」ってほんの一部に過ぎないのかなあ、と。
なんか教育者みたい
先日、次男と会話していたところ、突然、
と言われました。
え?と一瞬思ったけれど、同時になんだか嬉しくなりました。と、いうことは、普段は教育者みたいじゃないってことだよね?と。
わたしは家では、「ただの母」でいられているんだなあ、と。
全然、先生に見えない!
そして、昔から思っていることがあります。
それは初対面のひとに「先生っぽい」と言われたら負け、という自分のなかの謎のルールです。
そんな風に言われることが、なぜかうれしい。
わたしは、ステレオタイプの先生らしからぬ先生でいたい。
昔から、自分にしか体現できないような先生、をきっと模索しているんだな。
それが何なのかはまだ見えないけれど少なくとも、先生じゃない自分の時間たちも大切に慈しんでいかないと、そこには手が届かないんじゃないか。
そんなことに、
今回の100本ノックで気づいた気がします。
100日間、わたしの記事に目を留め、読んでくださったみなさま。
ありがとうございました。
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