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幕の内弁当のような日々

好きなことと得意なことが一致しない子供だった。

周りの子を見てもほとんどが『得意なこと=褒められること=好きなこと』なのに、自分はどうもそうじゃないと自覚的で、それを「ちょっと困ったなぁ」と思ってる子供だった。

そもそも『褒められること』がそんなに好きじゃなかった。
今思えばなんだけど、大人が褒めたり褒めなかったりする基準に懐疑的だったのだと思う。
昔はめっちゃキレイな泥だんご作っても褒めてもらえなかったしね。

そんなちょっと可愛くない性質が見事に受け継がれたようで、息子はピアノの先生がテキストに花丸つけようとするのを「そういうのいいから」と拒否する園児だった。
たぶんその時の演奏が自分では気に入らなかったのであろう。

小学生となった現在は『納得のいかない褒め』もそれなりにうれしい事に気づいたらしく、拒否する事が少なくなった。
昔は頭撫でたら『パーン!』って手を払われたりしたけどね。

話がそれたので戻そう。
好きなことと得意なことが一致しない話だ。

大人になった今は「それ特に問題なくない?」と言えるけど、子供の頃はそう思えなかった。

何故かというと周りの大人は無意識に、時には意識的に『得意なこと』をやらせようとしたからだ。
その方が将来役に立つ(受験で点数が稼げる・就職に有利に働く)と思ったからであろう。

頭の中ではっきり言語化されていた訳ではなかったけど、当時の私はそれが「打算的で嫌だ」と感じていた。

『好きなこと』と『得意なこと』。
どちらを選んでもいい。結果として自分が幸せになれればそれでいい。
そう思えたのは高校生ぐらいになってからだと思う。

そんな私が『女子の就職に全く役に立ちそうにもないけど好きだから』選んだ大学の学部に、その後の自分の人生に大きな影響を与える先生がいた。

T先生だ。

先生は当時まだ30代の助手。
助手とはいえ授業もちゃんと受け持っていたし、個人の部屋も持っていて、私たちぺーぺーの学部生にとっては教授や助教授と変わりなかったのだが、年齢がそう離れていないからか、みんな押しなべてT先生とは気安く話をしていた。

用事もないのに部屋に行き、コーヒーを飲ませてもらったり、無駄話をしたり、中には恋愛相談をしている男子もいた。

先生も忙しかったはずだが、そんな私達を迷惑がらずに受け入れ、くだらない話にもつきあってくれた。
今思えばありがたい限りである。

時は流れ4回生。時代は就職氷河期真っ只中。
研究室のH先生が進学を勧めてくれた。
「まきちゃん、院においでよ。楽しいよ」

好きなことはそれなりに得意なことになっていたものの、私は迷っていた。
というのも、当時私は学費と生活費を稼ぐためにアルバイトを複数掛け持ちしていたからだ。

H先生に「今以上に研究に打ち込んでもらわないとだけどね」とくぎを刺され、果たしてアルバイトを減らせるのか?奨学金も借りてるけどこれ以上借金を増やすのか?院に進学して就職先はあるのか?といった実際の問題も気になったが、それ以上に引っかかったのは『そこまでして続けたいほど自分はこの学問が好きなのか』という部分だった。

好きであることに疑いはない。
でも私はアルバイトで働く時間も好きだった。友達とくだらないおしゃべりをする時間も好きだった。本を読むのも、絵を描くのも、ちょっとしたおしゃれも好きだった。

進学しようと思ったら、たぶん研究以外のたくさんのことをあきらめなければならない。同じように好きな他のたくさんのことを、ひとつの好きなことのためにあきらめなければならない。それが自分にできる気がしなかった。

H先生に自分の気持ちを伝えると「まきちゃん。それじゃあ何もものにできないよ。何かをものにしようと思ったら、切り捨てなきゃいけないこともあるんだよ」と言われた。
しばらく考えさせてください、と研究室を出た。

数日は一人で考えたと思う。
答えが出ないなか、連日大学とバイトの往復の日々を送っていたある日。
学部の廊下を歩いているとT先生が「おう!まき!コーヒーでも飲んでいくか?」と声をかけてくれた。

私はありがたく言葉に甘えることにした。そして数日悩み続けていることを先生に話した。『好きなことを、自分が本当に好きな分だけ、好きでいたい』という事を。先生は黙って聞いてくれた。

「でもそうしたら何もものにできないよって言われちゃったんですよねー」と笑いながら報告したら、T先生にこう聞かれた。

「そもそもまきは何かをものにしたいの?」

ちょっとビックリした。まさかそう来るとは思わなかった。

「まぁものにできるならしたいですけど…」と自信なく答えると、T先生は少し考えて「例えば研究で何か成果を残したい?」と。
私は注意深く考えて「新しい発見をするのはとても楽しいし、研究も好きだけど、他のすべてを切り捨てるほどかと言われると…」と答えた。
すると「その発見を他の誰でもなく『自分が』したいと思う?」と。

そんなことはない。他の人が発見してもいい。でも自分がそれを知ることができればとても楽しいと思う。というようなことを答えたら、先生は「研究者になろうと思ったら、多少はそういうエゴっていうか『自分が』見つけてやるんだって気持ちが必要かもね」と言った。

私はますます分からなくなった。
うーん、と唸りながらコーヒーを飲む学部生に、先生はこう言ってくれたのだ。


「まき。あのさ。成功って人それぞれだよ。金持ちになりたいってやつが金持ちになったらそれも成功だろうし、有名になりたいってやつが有名になったらそれも成功だろう。まきが『自分が好きなものをバランスよく好きでいたい』って思ってて、一生バランスよく好きでいれたら、それもまた成功っていうんじゃないかな」と。


ありきたりの言葉でしか表せないのがもどかしいが、本当に目の前がさぁーっと晴れた気がした。
「先生ありがとう!すごいスッキリした!」
「どういたしまして。コーヒーもう一杯飲むか?」
「うん。飲む」

翌日、私は大学院に進学しない旨をH先生に伝えた。
H先生は残念がってくれたし就職の心配もしてくれて、その後も何度か「院においでよ」と言ってくれた。卒論の面倒も最後まで親切にみてくれた。
とてもいい大学だったと思う。

あれから20年ほどたち、大学で学んだこととまったく関係のない職種を転々とし、旦那と出会い結婚もし驚くことに2児の母となった今も、時々T先生の言葉を思い出す。


「それもまた成功っていうんじゃないかな」


T先生との出会いがなければ、たぶん私の人生はもう少し息苦しいものになっていただろう。

先生に会えたら報告したい。
「幕の内弁当のように少しずつの好きに囲まれて生きてます」と。

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