コルクラボで学んだ「自分と向き合う」

コルクラボの面白いところ。
それは集まった人が、コルクラボでの学びに期待していることがバラバラなことだろう。

第二期の募集要綱には「SNS・WEBサービスを使ったコミュニティのプロデュースを一緒に学ぶ場になる。」と書いてはあるけれど、実際には第1期のように、それ以外にも様々な動機を持った人がまた集まるように思っている。

クリエイターエージェンシーとしてのコルクに興味がある人。
佐渡島さんのファン。
編集者になりたい人。
メディアに興味がある人。
人脈を期待している人。

そして私はモノカキとして一皮を向けるヒントが欲しくて、コルクラボの門をたたいた。

学生の頃、いつか小説家になることを夢見て雑誌のライターを始めた私。小さな賞をとったことはあるものの、デビューには結びつかず、結婚を機にその夢は封印。普通の会社員として、ずっと生きてきた。
離婚を契機に、再び書いてみようと思い、リハビリを兼ねてライター業を再開した。ただどうも自分の書いた文章には言葉の重みというか、説得力がない。このままではまずい、一皮向けたい、ということで応募したのがコルクラボだった。メインテーマである「コミュニティプロデュース」については正直あまり興味がなかった。

多種多様な人が集まっていることもあり、コルクラボでは「コミュニティプロデュース」以外のさまざまな議論も多く行われる。

私が最初に「自分と向き合う」という言葉を耳にしたのは、私がコルクラボで尊敬してやまなかったJさんと、1980年代のオカルトブームの話をしている時だった。1980年にはまだ生まれていなかったJさん。なのに私がコメントした内容から、その時に何が起きていたかを的確に考察した。その見事さに私は心底感動して、Jさんのように、物事を考察できるようになりたい、そんなことを書き込んだ。その時、Jさんからアドバイスされたのが「自分史を書いてみるといいですよ」だった。自分という人間がどうできたのかを客観的に観察するのが大事だと、JさんはJさんの師匠のような人からアドバイスを受けたのだという。
あわてて自分史を書いてみた。自分と向き合う、ということができた気がして満足した。

ところがその後、佐渡島さんと食事を一緒にする機会があった時に、「もっと自分と向き合うことをした方がいい」とアドバイスされた。そしてその後も幾度となく、他のコルクラボの仲間から「自分と向き合う」を薦められることとなった。

正直に言うと、「自分と向き合った方がいい」と言われるたびに結構傷ついた。「もうできるようになったのに、分かってもらえない」。私は心のどこかでそんな風に思っていた。「自分と向き合う」はコルクラボでよく使われる言葉だ。誰かが誰かに対して「自分と向き合えてるね」というのを見かけた時は、出来ていない自分が責められているようにさえ感じた。自分の表現が下手なせいかと文章力のなさを嘆いたりした。

ところが5月のある日、佐渡島さんがnoteにあげられた文章を読んで、私の中で何かが起きた。

言葉は、社会のものだ。自分の生み出した言葉を使っている人はいない。社会が生み出した言葉を借りてきて、社会のではなく、自分の心を伝えなくてはいけない。一つ一つの単語は、社会のものでも、そのつながりほ方を工夫することで自分の言葉にすることができる。しかし、単語だけでなく、単語のつながりまで社会から借りてくると、どれだけ必死に話しても、自分の本心は届けられない。 
自分が話しているのは、借り物の言葉なのか、自分の言葉なのか、その差を理解するようになることが、作家の始まりだ。世の中に溢れている言葉は、そのほとんどが借り物の言葉として使われている。それに気づくことが、物語を作るよりも大事なことだ。
佐渡島庸平「「自分の言葉」で話すのが、作家のはじまり」

ああ、これがコルクラボの仲間が繰り返し教えてくれようとしていることなのか。
何度も繰り返しアドバイスされた内容だからこそ、とてもすっと、胸に入ってきた。
今まで私がしてきたことは、感じたことの安易な表現だ。美味しい食事を食べたら「ここ最近食べた中でベスト」と言ったりする。ただ、「ここ最近」とはどこからどこまでを指すのか、具体的にどのようなところがベストなのか、と聞かれると言葉に詰まる。そう、私は佐渡島さんの言う「借り物の言葉」をよく使っているのだ。

この日から、少しづつ、「自分と向き合う」を1日の中で考える時間が増えた。

たとえばとある飲み会に行った時、ものすごく疲れた。最初は体調のせいかな、と思ったものの、「自分と向き合う」をした結果、その場に集っている人たちが自分とは違う分野で活躍されている方ばかりで、自分にはきっと興味をもってもらえないだろう、という思いが疲れの原因なのだとふと思った。私は他人から見た自分にとても過敏だ。
そして他人に過敏が故に、文章において弱音を吐くのが苦手。だから本当は手ひどい失敗をしてものすごく落ちこんだとしても「とてもいい勉強になった」とか「気づきが多い1日だ」なんて、まさに借り物の言葉を使う癖があることを、認識するにいたる。

コルクラボの第二期の募集にはこう書いてある。

コルクラボは学校ではありません。なので、手取り足取り、学びをサポートしたりはしません。
しかし、とてつもなくたくさんのことを学べる場です。同時に、何も学べない場でもあります。
学びは、自分の中に、このことを知りたい、分かりたい、という欲望が生まれた後に来ます。どれだけ 洗練された情報だとしても、自分の中に欲望がない人は、そこから何も学べません。
コルクラボで有効的に学べるかどうかは、自分の覚悟次第。

私がコルクラボで学んだ「自分と向き合う」は、最初に想像していた学びとは違う。第一まだ手がかりをえただけだ。とてもじゃないけど、「自分と向き合えるようになりました」なんて口にするレベルではない。
ただ「コルクラボ」に入る時に痛烈に感じていた「知りたい、分かりたい」ことの大きな手がかりであることには間違いない。

そして何故「知りたい、分かりたい」ことに多少なりともたどり着けたかというと、コルクラボには「知りたい、分かりたい」という熱い気持ちを持つ人が多くいるからだ。大人になってからは、どうも本音で話す場というのは減ってしまう。本音で話せたからこそ、私は「書くヒントが欲しい」と訴えることができ、「自分と向き合った方がいいよ」と皆がアドバイスをくれ、そして最終的にヒントを掴むチャンスを得ることができた。

佐渡島さんの言うとおり、コルクラボで有効的に学べるかどうかは、自分の覚悟次第。
そして覚悟さえあれば、とてつもなくたくさんのことを学べる場。コミュニティプロデュースのことも、そしてそれ以外の「知りたい、分かりたい」と思うことも。そう思う。

コルクラボ第二期募集(~6月11日(日)まで)
https://lab.corkagency.com/about

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Thank you:)
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コメント1件

コルクのつながりで偶然読ませてもらいました。自分に向き合うって大事ですね、そしてそこに気づいて文章にまとめれるのもすごいです
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