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珠世レイサさんのホロスコープ解説からの振り返り



占い師の珠世レイサさんから、ホロスコープの解説をいただいた。
その中で特に気になったのがこの、
「木星期(46歳から55歳)から土星期(57から70歳)にかけて、何か人の根底を覆してしまうような革新的かつ主張的な活動をする。というのが示唆されていますね。」(珠世さんの解説からの引用)
というくだり。

 46歳といえば2012年。
 その年は、私にとって今までの仕事が八方塞がりになった年だった。
 2011年の震災の影響で仕事が減り、その影響なのか、仕事の単価も下がっていった。あまりの仕事のなさに、近所の高級割烹の求人募集に真面目に応募しようかと考えたほどだった。

 そんなとき、知人のスタジオからアパレルのECの撮影を手伝ってくれないかと声をかけられた。スタジオ経験がなく、商品撮影が苦手な私には天からの贈り物のようなお誘いだった。
 声をかけてくれたスタジオの社長は、私が商品撮影の経験が少ないことを知っていた上での依頼だったので、そのスタジオのノウハウそのままでやらせてもらった。旅行雑誌のお店取材で、料理やお土産物などを店内で撮影するのは慣れていたので、さほど苦もなく仕事になじめた。先方も信頼して撮影をまかせてくれた。
 それまでやってこなかったことを始めたことで、勉強になることがたくさんあったが、とりわけ、参考になったのは、
「いかにして少ない手間で、要領よく、見栄え良く撮影するか」
のノウハウだった。
 モデル撮影もずいぶんやらせてもらった。
 はじめてそのスタジオでモデルを撮影させてもらったとき、「上がりが安定してて安心できる。やっぱり年の功だね」と言われたときは嬉しかった。
 モデル撮影は商品を見せるための撮影だけではなく、イメージカットも撮らせてもらった、イメージカットは商品のイメージを膨らませてモデルとセッションする、楽しい撮影だった。
 そのスタジオで仕事をさせてもらったのは3年少々だったが(2016年にホタテビキニ自撮りが原因でクライアントからNGを出された)、すごく実りの多い3年だった。40代半ばを過ぎて、ゼロからスタジオ修行をするほどのガッツはなかったので、あのタイミングでスタジオの仕事をさせてもらったのが、今に生きているとつくづく思う。

 もうひとつ、自分をモデルに撮影するきっかけになった出来事があった。
 2012年のはじめに、化粧品会社のイベントの「イネス・リグロンによる変身企画」のモデルに採用された。
 当時、イネス氏は、ミス・ユニバース・ジャパンのナショナルディレクターを退いたばかりのころで「あのイネスの変身企画なんて面白そう!」と単なる好奇心で応募したら、選考に残ってしまったのだ。
 選考基準は「振り幅の大きさ」だったらしいので、スッピン、ボサボサ髪、地味なセーターとデニムで現場に臨んだのが幸いしたのかもしれない。年齢もキーポイントだった。40歳以上を入れたかったらしいのだ。
 メイクをし、髪を整え、イネスの選んだ衣装を着た私を見たイネスのひとことが今でも忘れられない。
 「彼女はまるで少年のようだった」
 「少年のよう」。それは、女性性を厭わしく思っていた私にとっては嬉しい言葉の筈だったが、悲しかった。
 女性らしいルックスから遠ざかることを目指してきて、ミス・ユニバースのディレクターから「女性らしくない」というお墨付きをいただいたことがなぜか悲しかった。女性性に背を向けて来たはずだったのに、実際に女性らしさを失っているという評価を受けたことに、大きな喪失感があった。

 イネス氏から「少年のよう」と言われたことは、私にとって「女であること」とは何であるかを大いに考えさせる出来事だった。閉経を迎えるときに、今の自分の姿を残しておこうと思ったのは、このときの出来事が下地にあったのだと思う。
 
 マキエマキというモデルは、女に生まれたことを恨みながら、それでも女であることにしがみつく、そんな私のアンビバレントな感情から生まれたのである。
 そのきっかけが2012年であったこととホロスコープの内容が合致していたことに運命というものの導きを感じて、ついこの文章を書いてしまった。

 とても興味深いものを下さった珠世レイサさんに感謝します。


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