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㊲カザンさんのこと ~伊豆高原からの便り その1

カザンさんのことは以前ここに書かせていただきましたが、
私の亡くなった友人のお父様です。
makipatricia.blog.fc2.com/blog-entry-46.html

彼女が生きていた時は、話に伺っていただけでしたが、
メールのやりとりを通じて、直接ご自身の半生をお聞かせいただけるようになるとは、
なにやら一言では表現しきれない
しみじみとした嬉しさで胸がいっぱいになります。

以下の画像に、彼の現在の活動についての説明がありますが、

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カザンさんは、欧州に長年住まわれていて、
彼の画家としてスタートしたキャリアの集大成として
現在、伊豆高原で造園をされながら、そこでサロン活動をなさっています.

カザンさんに、このアートサロンに辿り着くまでの
お話を伺いましたので、原文のままご紹介させていただきますね。

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伊豆高原からの便り その1

まず、自分の天職は絵画でもあり、音楽でもあり、造園でもありますが、
現在は造園が主体となっています。

それらはすべて創造であり、美を求めて互いに影響し合っているように思えます。

幼い頃から好きだったのは音楽を聴くことと何かを作ることで、
小学校入学前から毎日家にあったクラシック、タンゴ、シャンソンのSPレコードを聴いていました。

そして小学生の頃は家の庭の花の世話、池作りなどをしていたので、
73歳になって現在やっていることと同じ事を子供の頃にやっていた訳で、
他の兄弟はそれらに関心が無かったので家庭環境のせいではないと思います。

中学生になっても園芸好きの従兄弟の影響で草花を育てることに関心があり、
また別の従兄弟には美術館などに連れていかれたりしたことが
芸術方面に進むきっかけとなったことは確かです。

中学時代、図画工作は得意な学科でしたが、数学も得意だったので、
自分は理数系の頭でそちらの方に行くものと、
本人も周囲も思っていたと思います。

中学の時は学年でトップの成績だったので、
都立の進学校に行きましたが、
レコードがたくさんあるという理由で放送部に入り、
放送室でほぼ毎日レコードを聴き、
図書館の本を読み漁っているうちに、
自分は理数系ではなく、
文系の頭なのだと自覚するようになりました。

小、中学生時代はおとなしい優等生タイプだったと思いますが、
高校生になると、ほとんどの生徒が目指す東京大学を
自分も目指して勉強しようという気になれず、
芸術の分野に進みたいと切に思うようになりました。

もっともなりたかったのは音楽家でしたが、
幼い頃から楽器をしていた訳ではなかったので諦めざるを得ず、

やがて画家になりたいという強い気持ちが芽生え、
放課後毎日美術室でデッサンをして東京芸大をめざしました。

念願の東京芸大に進みましたが、
絵を書いている時間よりも
ピアノを弾いている時間の方が長い不真面目な学生でした。

大学院在学中にフランス政府給費留学生の試験に受かり、
2年間パリに行ったということは人生最大の転機だったと思います。

パリ時代も美術学校に行くよりは、
住んでいた14区の大学都市の日本館のサロンでピアノを弾いたり、
コンサートやオペラに行くことに最大の喜びを感じていました。

20代半ばのパリでの2年間は今となっては苦しみも楽しみも揺れの大きな懐かしい思い出で、
フランスに行っていなかったら、
画家になることを諦めてサラリーマンになっていたかも知れません。

日本に帰国して76年に結婚し、
90年に妻と二人の子供と共にフランスに移住することになりました。
80年代、90年代は絵も良く売れていたので画家としての職業は成り立っていましたが、
天職という意識はあまりありませんでした。

パリの街を描くことには関心が無く、
フランスやイタリアの地方の景色が大好きだったので、
家族はパリに僕は仕事のためにブルゴーニュ地方に住むことになりました。

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これから日没まで庭仕事なので続きはまた明日にでもお送りします。

(次回に続く)
カザンさんからのメールを数回に分けてご紹介させていただきます。

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