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金沢夏の風物詩、観音院の四万六千日。

観音院の四万六千日へ行ってきました。

この日にお参りすると、四万六千日お参りしたのと同じ功徳が得られるという有難い日です。
毎年旧暦7月9日に当たる日で、今年は、8月16日でした。
この時期になると、筆書きしたような文字の「四万六千日」チラシをちらほらと見かけます。

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1. 観音院訪問

朝6時過ぎに家を出て、浅野川を渡り、爽やかな空気の中、観音院へ向かいます。
観音院のまわりの家には、5色の旗がはためいています。

階段を登り、観音院に到着です。

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お参りをして、列に並び、御守りのとうもろこしを買いました。

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ここまでは、順調でした。

この日の特別な御朱印をもらおうと、かばんの中の御朱印帳を探すと、ありません!
机の上に準備して、そのまま置いてきてしまっていました。

よく忘れて、紙の御朱印を貼り付けることになるのですが、今回は直書きがいいと思い、出直しました。
御朱印帳は、金沢好きにおすすめできる「加賀獅子」です。

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全国で唯一香辛料の神様を祀る波自加彌(はじかみ)神社のものです。

ところが、観音院へ戻り、お気に入りの御朱印帳をはりきって差し出すと、「コロナで直接書くことはしていないんです」と言われ、ショックです。
朝行ったときにちゃんと聞いておくべきでした。
仕方がないので、紙バージョンの「四万六千日」御朱印をいただきます。

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やや意気消沈して、観音院の階段を下りていたら、朝には開いていなかったカフェ、「観音坂いちえ」さんが開いていました。

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入ってコーヒーを飲むことにします。
窓からは、金沢らしい景観だと金沢人の自負する黒瓦屋根がよく見えます。

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観音院からも瓦屋根が見えますが、高さが違うので別風景です。 

観音院から見た街並み

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暑かったので、アイスコーヒーを頼んで一涼みです。
お店の中のとうもろこしの水引が外の仏教の旗と同じ5色なことに気がつきました。

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とうもろこしと一緒に売っていた水引(飾り紐)は、紅白。
聞くと、観音町のとうもろこしには、この5色の水引が配れられるのだといいます。
気をつけて帰りにキョロキョロとまわりを見てみると、観音町で飾られているとうもろこしの水引は5色です。

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そして、観音町付近のひがし茶屋街で吊り下がっているとうもろこしを見ると、紅白の水引です。


ミーハーに御朱印ももらいに行ったけど、四万六千日についてよく分かってないと反省し、調べてみました。


2. 四万六千日について


「四万六千日」はいわゆる「功徳日」にあたります。
縁日とは、仏様と縁のある日です。
弥勒菩薩は毎月5日、薬師如来は8日というようにきまっていて、観音様は18日が縁日です。

でも、室町時代末期頃から縁日とは別に、「功徳日」が設けられました。
その日に詣でると、100日分、1000日分の功徳が得られるという日です。
京都の清水寺や関西では古くから、この日に詣でる「千日詣り」の風習がありました。
それが次第に地方へと伝播し、メジャーな行事になっていきます。

元禄時代にこの習慣を「四万六千日」と浅草寺で呼び始めました。
浅草観音の功徳日で一番賑やかなのが7月9日、10日で、「四万六千日」です。ほおずき市が有名です。

ほおずき市は、芝の愛宕神社の千日詣りで流行ったほおずき市の影響で、約200年前から浅草寺でも行われるようになりました。 

なんで日数が、四万六千日なのかが気になりましたが、「観音経物語」にこうあります。

「一時でも観音さまを礼拝供養するものは、六十二億恒河沙(ガンジス川の砂ほど)という無数の菩薩を、寿命のつきるまで供養するに等しい」と説かれているのです。(中略)
ここに、四万六千日の功徳日の意味があるのです。

「寿命の尽きるまで」です。現在の世界最高齢者は、118歳。史上最高齢は1997年に亡くなったフランス人で、122歳。
今のところ、四万六千日で一生分に足りなかった人はいません。
江戸時代にそんなに長生きした人がいたとはあまり思えませんが、長生きしてはみ出る人がいてはいけないと126年強に落ち着いたのではと推測しました。

しばらくすると130歳が平均寿命になるという状況もテクノロジー、医学の発達で考えられます。
その場合には、家康が観音を寄進したという駿府清水観音大祭の「四万八千日」の名称のほうが広まるかもしれません。
※全国では他にも「四万六千日」でなく「四万八千日」としているお寺があります。

3. 観音院の四万六千日

本題の観音院です。
金沢で、観音院の四万六千日がいつから始まったのか本をあたりましたが、ザクっと「藩政期から」以上は分かりませんでした。
とうもろこしもなぜ?と思っていたら、こちらは浅草寺が関係ありそうです。

文政年間から、浅草寺の四万六千日では、赤いとうもろこしを雷避けとして売っていました。
農家で赤いとうもろこしを下げている家には雷が落ちなかったという逸話により、お守りとして売られていました。

当時は避雷針もなく、木造住宅に雷が落ちると火災は深刻な被害につながります。
雷避けは、切実なものだったと想像します。
ところで、金沢には、現存する日本最古の避雷針があります。明治8年に建てられた尾山神社神門のものです。

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浅草観音では、明治初期に赤いとうもろこしが不作となったときに、代わりに雷避けの木札守りを出して、そちらだけが残っていきました。

観音院のとうもろこし守りも、古くは雷避けでしたが、今では無病息災と商売繁盛がご利益です。
「もうけ(毛)」が多いと毛の多いとうもろこしが好まれます。

気象庁のホームページによると、過去30年間(1991年〜2020年)の年間雷日数は、45.1日と金沢市が堂々の全国1位。
それなのに、雷避け以外のご利益に変わったのは、尾山神社の避雷針はじめ、科学的な雷避けが功を奏した証拠です。

突然、観音院が単独でとうもろこしをお守りとして考案したとは思えません。
藩政期には参勤交代もあるし、江戸で浅草寺へ詣でた人が「そういえば、お守りにとうもろこし売ってたよ」と情報を流して、こちらでも始まったのではないでしょうか。

さらに昭和53年初版の「金沢の風習」を読んでいると、その頃には観音坂へかけての道にとうきび市が立っていて、炭火でとうもろこしの焼ける香りが漂っていたとありました。

とうもろこしの前には、飴を売っていたといいます。夏の栄養補給として、飴は適したものでした。
先日、能登方面の妙成寺へ行ったときに、人生ではじめて「ひやしあめ」というものをいただきました。米飴を使った飲み物です。
こちらのものは、500年続く松波飴という米飴使用で、ジンジャーがきいていて、スッキリ夏向きです。
これも夏ばて防止に飲まれてきたものだと言っていていました。

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飴が売られていたり、焼とうもろこしが売られていたり、「四万六千日」は、多くの人が集まるお祭りとしての楽しい「縁日」の側面も持っていました。

今年は、コロナで実施されませんでしたが、コロナ前には夕方から「ろうそく祭り」が開催されていました。

観音院のろうそく祭りに行って、帰りに川沿いを夕涼みがてら散歩するのも風情があります。
来年は、ろうそく祭りも、そして直書きの御朱印も復活していますように。

参考
「金沢の風習」
「大江戸年中行事の作法」
浅草寺ホームページ
https://www.senso-ji.jp/annual_event/13.html
レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000154310

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