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金沢駅とハスにまつわる話

工芸美術館のような金沢駅を一回りしました。

でも、冬なので紹介していないところが金沢港口にあります。睡蓮池です。
今はお花は咲いておらず、池のまわりの木には雪吊りがされています。

夏には、睡蓮だけでなくハスも咲きます。
睡蓮とハスのざっくりした違いは、睡蓮は水に直に浮かんでいて、ハスは茎が伸びて花は空中に咲くという点です。

妙蓮(みょうれん)について

金沢には、多頭蓮「妙蓮」があります。
全国でも数カ所にしかない貴重な品種です。

1つのつぼみから、花がいくつも咲きます。
花びらも、1500枚から3000枚ととても多くて、開ききることなく蕾のまま枯れる珍しいハスです。

金沢駅からは離れたところにある持明院というお寺にあります。

お寺は、妙蓮の開く時期だけ一般公開をしていて、何度か見に行きました。

あるとき、御堂の片隅に置いてあった雑誌を何気なく見ると、この持明院がもともと金沢駅あたりにあり、昭和33年の駅前広場拡張工事のために妙蓮の生息していた大池のほとんどが道路になったと書いてあります。
そうかあと思いました。

でも、もしや金沢駅の水蓮池のハスは、その頃のハスへのオマージュ?とわたしの中に疑惑がわいてきました。 

金沢駅と持明院の妙蓮池

調べてみると、持明院は、白鬚(しらひげ)神社の別当として建立されたとあります。

(参考)神仏習合が進み、神社に建てられた神宮寺のことを「別当(寺)」といいます。
「神様も仏の救いを必要としている」と、もとよりある神道を仏教に取り込むのが当初は目的だったと考えられます。
※「別当」とは、本来は、本務を持つ人が他の職務にたずさわるときに得る地位のこと。

あっ!金沢駅の近くに、そういえばビルの谷間の神社があった。

もしやと寄ってみると、どんぴしゃです。

白鬚神社と持明院が、同じ境内地にあったということなので、ビルのあたりに持明院や妙蓮の大池があったということになります。

「金沢市住宅明細図'67」を見てみました。
昭和33年の工事が終わったあとの地図です。

その中から、金沢駅、持明院、白鬚神社(地図内表記は、白髪神社)を抜粋して書き出してみると、 

長方形だった区画が、斜めに削られて道路となり、一部が持明院の敷地だったと推測されます。

持明院の妙蓮移植と武蔵野妙蓮、近江妙蓮

妙蓮は移植をしてしまうと、新しい場所では普通のハスになってしまうという性質があります。
それが、全国でも珍しいハスである由縁です。

金沢駅の工事にともなう妙蓮の移植時には、「ハス博士」として有名な大賀博士が助力をしています。
万一のための株分けで、大賀博士の地元の府中市中央公園へも5株植えられました。 

その後、中央公園の妙蓮は、郷土の森公園修景池へ大賀ハス(二千年ハス)と言われる古代ハスとあわせて移されています。

他にも、持明院の妙蓮は、滋賀県守山市大日池へも植えられました。
持明院の妙蓮もそもそもは、近江から来たものだといわれています。

足利義満にも献上され、何百年も咲き続けた近江妙蓮ですが、守山市文化財紹介によると、明治38年以降には咲かなくなっていました。
そこで、大賀博士に依頼したところ、昭和35年に株分けした妙蓮の蓮根を大日池に植えることとなり、現在でも守山市近江妙蓮公園できれいな花を咲かせています。

現在の持明院へ

あれ?金沢駅拡張工事のとき、敷地や池は少し削られたけど、さらにそこから移ったの?と思いましたか。
その通りです。 

でも、今度の理由は、駅拡張ではありません。
高度経済成長により、排気ガス、汚水、日当たりと育成環境が悪化したためです。

昭和46年に持明院は、現在の場所へ移転します。
妙蓮を新池に植えたものは、普通のハスには変化せず、今の妙蓮池となりました。

実は、白鬚神社と持明院には、江戸時代後期にさらに他の場所から金沢駅付近へ移ったという歴史があります。
そのときにも、妙蓮を普通のハスにせずに移植できたので、「神意、仏威」だとされました。

それに加えて、このときの移植も成功ということで、より妙蓮の生き残ってきたことにありがたさを感じます。
でも、国の天然記念物「持明院妙蓮池」として指定されていものが、移動の翌年には解除されてしまいます。
「育成地」として指定されていたからです。

その後、毎年、コンスタントに妙蓮の花が咲き、「良好な育成地」として守っていく価値が高いと、昭和63年には石川県指定天然記念物「持明院の妙蓮育成地」となって現在にいたっています。

このハスに敬意を表して、金沢駅の睡蓮池にハスが植えられたとすれば、ロマンです。
どうなのかな?と駅西広場事業概要を見てみました。

金沢駅西周辺に、かつて広がっていたハス田やススキなどによるのどかな原風景を表現しています。

中には、こう書いてありました。
持明院があった場所は、東口にあたる兼六園口。残念ですが、妙蓮だけを想定してのロマンではなかったようです。
金沢駅がのどかな原風景だったというのが気になります。

金沢駅について

金沢駅は、明治31年に開業しました。
本をあたってみると、今では想像もできませんが、金沢駅あたりはハス沼と藪の多い湿地で、下級武士の見捨てた空家のある昼間も人の通らない場所だったとあります。

江戸時代が終わり、衰退していた金沢の人口は幕末の約3分の2までと言われるほど落ち込み、開業時明治31年には85,503人。

それが、金沢駅の開業をきっかけに、人口は増えていきます。 
大正8年には、156,279人まで回復しました。 
その年に、市電も開業。明治に建てられた駅舎の前を電車が走る様子も残っています。

その後、金沢駅は、昭和29年にビルの駅舎となります。ひと昔前のザ・駅ビルです。

昭和37年の写真では、バスが盛んに行き来しています。

この後、自動車が増えていき、市電は昭和42年に全線廃止となりました。
戦災にあっていない金沢の狭い道路では、電車と車両の両方をさばくことが難しかったからだと考えられます。

自動車の増加も、妙蓮育成地の環境悪化を起こし、先の昭和46年の持明院移転につながりました。

それから、金沢駅は平成17年に、おなじみの今の近未来的な姿となりました。
駅ビルだけ建っているのとは違って個性的です。

金沢港口には、駅西広場にハスと睡蓮のある池も整備されました。

池は、この場所のルーツを知る大切な手がかりでした。 
妙蓮は、反対側にあったので直接は池と関係ないかもしれません。でも、この辺りが湿地で睡蓮やハスに適した場所だったということは間違いありません。

金沢港口にある池にはその時々で、お魚が泳いでいたり、鳥がいたり、こころ癒される場所でもあります。
金沢へ寄った際には、ここもチェックです。


参考
「加賀妙蓮の系譜」 
「金沢・町物語」
「蓮文化便り 14号 2010」

石川県ホームページ 文化財「持明院の妙蓮育成地」
守山市ホームページ 文化財一覧
金沢市ホームページ
「金沢駅西広場事業概要書」

平成21年度金沢市統計書
https://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/14840/6/toukeisyoH21.pdf?20140203171225

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