悩みを持ち続ける力。答えを無理やり探し出そうとしない力。5年越しでその力を感じた今日の体験シェア。
何を発見したか!というとこの2つ。
⒈ 何も動けてないって耐えてるだけみたいだったけど、そんな事無かった
(答え探しは急がなくても良いんだ)
2. 綿飴を掴むような柔らかさで、指先だけに意識を集中する
(ピアニストに向けて)
さっきブラジル音楽最古のポピュラー音楽ショーロでも早くて有名な「Espinha do bacalhau (鱈の骨)」のBパートにある長くて速いフレーズの場所を右手だけで練習していました。
真面目に鍵盤を弾いたほぼ1年ぶり。
しかも、「弾いていて楽しい」と感じたのは、右手を痛めて「弾くのが嫌だな。。」と感じてた2016年以来。
いつも自分が思った通りに動かない場所を弾いていた時、
「あれ? 何この軽い感覚は。。」??って一瞬感じた。
「気のせいかな?」と思ったけど、思ったのだから、何か感じたのだ。
「この感覚よ、消えないで!」っていう思いで続けてみた。
やっぱり、このふわっとした感覚。
これが速いフレーズを弾いてる時に感じたのは初めてだった。
今思えば、バラードやゆっくり鍵盤を扱える時の感じだ。
綿飴を掴むような柔らかさで、指先だけに意識を集中する感じ。
「あ、これなのか?」
「速い時にこうやって弾けたらいいのか?」
「キャ!すごいこと、感じたのかも!」
(控え目気味に自分の中に大きな花火が上がった気分)
その時、こう思いました。
もしかしたら、無意識に「右手は頑張らなきゃいけない」って信じ込んでいて、「使うときに力が入ることが当たり前だと体が思っていた」のかもしれない。
だから、腱鞘炎などの痛みに悩まされたり、フレーズが弾けなかったりしてたのか。。
頭の中では分かってたけど、鍵盤を弾いていて実感として感じたのは今日が初めて。
そして、もしかしたら、ずっとピアノを弾いてなかったから気づいた感覚なのかもしれないと思った。
ドクターストップがかかった時、先生が「このまま弾いていたら自分の癖のまま弾くだけだから悪くなるし、絶対に良くはならないから弾かないで」と言っていたことを思い出す。
「自分の癖のまま」「痛くて弾くのが嫌だ!」と思う気持ちのまま弾いていたら、この一瞬の感覚に気づいてあげようとしなかったと思う。
やらないという事が新しいことを生み出したのだ
不安な状態って、気分がいいものじゃないよね。
ピアノをプロとしてやってるのに、弾けないなんて、情けないし、悔しいし、人の目も気になる。
ピアニストなのに弾いてないの?何やってんの?的な親からのプレッシャーとか。。プレッシャーじゃないし、それと付き合うことも学んだけど、まだ気になる。親の存在って大きい。
だから、その心地よくない状況から脱出したくて、すぐ答えを欲しくなる。
でも、すぐ答えなんて出るものだろうか?
万が一、「あ、これが答えだ!」とその場で納得したとしても、それが本当の意味での答えだろうか?
ネガティブケイパビリティという考え方を知ってから、更にそう思うようになったな。
わからない状態が当たり前で、その中で悩んだり探したり、止まったりするのは当たり前だと思う。
その時、自分を自分でどうやって扱うか
それが、その瞬間瞬間の楽しさ、それが繋がって、人生のハッピー感を左右するんだろうなって思う。
「いいだよ。よくやってるんだよ。焦らなくて大丈夫❤️」
自分に対してこうやって言うか、
「何やってるのよ!情けない。。。みんなを見てご覧よ。できない私って最低!😠」
っていうか。
数年前の私は完璧後者だったし、今も後者が出てくる出てくる。
でも、違う言葉をかけてあがることもできるって知ったから、責める自分が出てくると、ハイハイって流す。
そういう自分も自分だから、しゃーないよねって。
でも数年前とちょっと違うのは、
「真希子。絶対に大丈夫だから。私はあなたを信じているから」
と自分に言い続けてた事。
見えない将来に不安にもなるけど、
不安になってその日を過ごすのか、
自分を信じてその日を過ごすのか、
どっちが良い?
自ら選んで不貞腐れて過ごす日もあったけどね。
まとまらないし、なんとなく梅雨みたいなモードかもしれないけど、もしかしてこんな思いをしてる人がいるかなって思って、焦って書いた。
またちょっと弾きに戻ってくるね。
今日もありがとうございました!
何かの役に立ちますように❤️
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