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Let it go 0️⃣

わたしは、幼い頃から母がきらいでした。
誕生日が一緒のせいで似すぎているのか……。

そんな母のネイタルをはじめて見て驚いた。出生時間が分からないので、ハウスは分からないものの、その牡牛座ステリウムっぷりに震えがきた。天王星、ドラゴンヘッド。変わらざるを得ない星回り……。


そんな母が脳梗塞で今年に入って2度目の入院。今回はわたしがかかりつけの順天堂病院からの請求があり、その内容を聞きたく連絡をしたところ、会話がかみ合わない。診察券番号を聞こうとしたら、住所を言い始めた。何かを食べているかのようなしゃべり方で呂律がまわっていない。これはやばい状況と直感でわかり、幸い仕事もなく、どスピンのまますぐに向かった。

ベットに座っていた母の姿は、これまで見たことがない様子だった。
生気がまったくない。目のピントも会わない……。元気が取り柄の母から、「気」も「笑顔」も消えていた。

救急車でしらない病院に搬送されるよりも、かかりつけの順天堂大学病院に向かうのが正解だと、タクシーに乗り込み、向かった。

病院に到着し、脳神経外科外来で受付。いつものように待たされることを覚悟した。院内なら具合が悪くなってもなんとかなると思って待っていたところ、MRIを受けてきてくださいと。ここでもきっと待つのだろうな…と思っていたら、思いのほか早く呼ばれた。しかし。他の人よりも長く時間がかかったので、いい状態ではないことがすぐわかった。

出てくると、検査技師が「お迎えがくるので、ここで待っていてください」と。これは即入院とすぐわかった。

お迎えの看護師さんが「ここからは救急外来にいきます」と。
ほっとした。一般外来でまたされるよりも、いまこの瞬間に必要な処置をしてくださる。

こちらから語りかけなければ言葉を発しない。疲れ切った様子が痛々しかった。

1月に麻痺など一つもなく、言語障害もまったくない軽い脳梗塞に。検査を兼ねて2週間ほど入院したとき、頸動脈搾取で起きたことが分かった。この頸動脈搾取を治療をすると、今後脳梗塞を起こしにくくなり、100歳まで生きれるよ! なんて、その時の主治医の先生に言われて手術を受けた。だから、こんな日がくるとは思わなかった。

順天堂大学病院の設立日。5月15日。巨匠が教えてくれた私のパートナーとなる人の日付。もし、請求のメールが来なかったら、わたしは母の命を救えなかったかもしれない……。人ではないが、設立日を誕生日と捉えるなら、救世主であり、最強のパートナー。

「全力でサポートします」
「最善を尽くします」
「なにかあったらいつでも連絡してください」

本心から言ってくれる医師のこれらの言葉。そして看護師さんの丁寧な看護。

今後のことで不安と恐怖でどうしていいか分からなかった時。医療ワーカーさんに、全て話した。ぽろぽろ頬を涙が伝っているわたしの話をとても冷静に傾聴してくさった。

ひとりで頑張ることを手放すことは可能なんだ。最強のパートナーのみなさんのおかげでそう思えるようになった

続く


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