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【息子哲学】評価は低い方がいい

私の胎を通って
彼がこの世にやってきて
22年が経った。

その間
楽しく生きるコツみたいなものを
教えられっぱなし。

彼は
宇宙からやって来た
人生の師匠である。



よく見られたい私と。

私は、どうやら、いわゆる優等生だった。

他人から、いい人に見られたい。

職場で、デキる人に見られたい。

やさしい人、

きちんとやってくれる人、

信頼できる人、

そういう人になることが善だと、信じて、
疑う余地が1mmもなかったのよ。




息子がバイト先からお茶菓子をどっさり持ち帰ってきた。

「控え室にあったからもらってきた。」とのこと。

いやいやいや。頂くにも限度ってものがあるでしょうよ。

「これって、、、他のスタッフみんなの分なんじゃないの?」

「うん、そうだよ。」

え?

わかってて、持って帰ってきてるの?

???

他の人のこととか、考えないのかな???


平等に、均等に、分ける、という志向が強い私には、理解できなくて、

あと、図々しいとか思われるのとか気にならないのかな?とか、

色々気になって尋ねてみた。


そしたら、根本が違ってた!


違いを受け入れると広がる


根本が違ってた。

人からよく見られたい、が息子にはないらしいのだ。

「人からの評価なんて低い方がええやん。
そしたら、ちょっと人並みなことしたら、すごい!とかありがとう!て言われる。
そして、なにもできなくても、元々評価が低いからなんの支障もない。
メリットしかないやん!」


ですって!


図らずも、なるほど〜!!たしかに!と論破されてしまった。笑笑


そして、みんな結局食べないから、とも言っていた。
状況を案外よく見てるのかも。。



よく見られたい人の自縄自縛

スタートに、無理して張り切って上手くやれて、
(この人こんなにできるんだ)と認識されたら、確かに後がもう引き算しかないかも。

あれ?できないの?的な。

実際、私は、そういうパターンで、自分で自分の首を絞めることが多かった。若い頃は特に。

そしてその頃は自覚もなかった。

そうして、
なんで周りの人は助けてくれないの?とか、
なんで私こんなにできないの?とか、
どんどん苦しくなってしまっていたかも。



たしかに!人からの評価は低くていいね!


そう言われてみれば、
居心地のいい今の職場では、はじめからポンコツぶり、のんびりぶりを隠すのをやめた。


ひたすら、そんな自分を許す、そんな自分のままで「いてよし!」という場を作るという、

自分自身の課題と向き合い続けた。

そうして快適で愉しい今がある。



息子哲学は、
ずっと高得点を目指すクセが抜けなかった私の概念を、ゴロッと変えてくれたのでした。





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