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涙の後に。

愛されず愛さずに 
傷付けられず傷付けずに 
生きていけたらいいな 

笑わず怒らずに 
涙せず喜ばずにいられたら 
どれだけ楽で苦しいかな 

コンサートホール/清竜人 より

ドラマ『スナック キズツキ』のオープニング曲の冒頭の歌詞が、じわじわとキテる。

きっと、こう生きてきたんだよね、私。

感情なんて邪魔くさい。


だけど、はじめて恋人ができて、
会うたびに怒っては泣いて。自己嫌悪で泣いて泣いて。

どれだけ泣いてもそばを離れないし、
泣くなと言われないことに、また泣いて。

泣くたびに、「感情」を取り戻したのかな。と思う。


そして、息子が生まれたら、感動で泣いて。
正確には、味わったことのないよくわからない感情で泣いた。
胸の奥の、まんなかからこみあげてくる感情。
抑えたくても抑えきれない衝動。
なんだこれ?って思いながら、真っ黒いキラキラした瞳を見ては泣いてた。


「愛する」を取り戻したのかもね。


何の不満もない生活で、夫が仕事と言ってだんだん帰らなくなり、
明らかにうそをつくようになり、
それでも私は、「悲しい」「さみしい」を口にできなくて、
ストーカーみたいに電話し続けたり、
離婚だって騒いでみたり、

それは冗談というか、ちょっとした脅しのつもりだったのに、
結婚記念日に「別れたい」ってメールで来るし。

どこでロマンチックを演出しとんねん。ばか。

いや、彼は不器用なりにいろいろしてくれたんだけど、
それはもう不器用すぎて、
元来器用にこなせるのに(←これこそ盲目になってた証拠)
そんな調子だから、
けちょんけちょんにケチつけてばっかりいたのは私の方だった。


とうとう、息子の前で笑顔でいられず、涙がポロポロこぼれて。
そしたらちいさい息子が言うんだ。
「だいじょうぶだよ。パパと仲直りできるよ」って。
喧嘩らしい喧嘩もしてないのに、全てわかってた。
3才の子どもの察知力、みくびったらあかんねん。


わけもなく涙がこぼれる日々を送りながら
「悲しい」「さみしい」を取り戻したのかな。

そして、寄り添ってくれる人たちの『あたたかさ』も。


涙が流れた後は、いつだって、心を取り戻す。

きっとこれからも、
そうやって、泣いては、
どっかで落としてしまった私の心のカケラを
取り戻していくんだろうな。


その覚悟ができたというだけでも、
あの頃よりは成長しているってことでいいよね。


これからもいっぱい泣こう。


私は私を拾い集めて
とびきり幸せを生き続けるんだ。


おわり。

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