20181105グミ誕生日

13才のグミへ。

グミ、今日キミは13才になった。
ボクの周りに13年も生きた動物は、これまでなかった。
子供の時飼ったインコ、金魚、ハムスター、そして今共に生きている犬や猫たち。
その誰より長く一緒にいる──それがキミだ。

グミ、キミは未踏の地を歩むパイオニアだ。
そしてその荒野をボロボロのエンジンでひた走るジープだ。

そんなキミを見ていて、ボクは畏敬の念を感じる。
そして形容しがたい困難な歴史に想いを巡らせる。

ボクたち、やったな。頑張った。
本当に特別な“おめでとう”をキミに捧げたい。

この一年もその前の一年も、加齢による衰えと闘い続けた日々だったね。
とりわけ年が明けたばかりの1月、キミは大きく下アゴを腫らしてしまった。

4年前からこんな症状が出始めていた。
鼻から膿栓が出て異臭を放つ。時には血も交じることがある。
春、だんだん湿度が高くなっていく頃には顔が腫れてしまう。
その度に抗生剤を投与され、一度は口内環境をリセットするため、レーザーによる歯石除去手術を行ったこともあったね。

今回もそんな予想をしながらキミを獣医さんに連れて行った。
すると先生は首を捻って「今回は出来ている場所がよくないね」とおっしゃった。
いつもは鼻の側、今回は下アゴだ。

炎症の類いではなく、舌のガンやメラノーマ、そういった悪性なものも視野に入れなければならない──。
ボクは目の前が真っ暗になった。

この頃のボクは、自分の体調が「最悪」から脱し始めていた。
銀次郎とダッシュが出来るようになっていた。
それは新鮮な驚きと喜びだった。
だがそうして初めて気づいたことがある。
銀と比較していかにキミの足腰が衰えてしまっているか、にだ。
キミの健康のバロメータがやけに低いもののように思い始めていた。

そんな年明けだったから、この診断をとても重く受け止めていた。
薬を与えて取り敢えず様子見だった一週間がもどかしかった。
その間、フォロワーさんや近しい人から、様々なアドバイスや励ましをいただいていた。

キミの世話だけでなく、猫のユーリも体調は思わしくなかった。
不思議なことに大勢で生活していて、複数の動物の世話をしながら生きていると、一個一個のことが希薄になってしまう。
幸せも苦しみも等しく希薄になる。

雪が降ったりして寒波が押し寄せていた、身震いする毎日だったこの頃。
ボクは盟友を失うのではという恐怖を、仲間やフォロワーさんや、銀やユーやレイによって、ちょっとずつ薄めてもらっていたのだ。

二週間が過ぎ、血液検査に異常はなく、腫れも治まってきた。
それは悪性のものではないという証だった。

今回もラッキーだったか。そうか、よかった。
それでもキミは毎日辛そうだ。
やっぱりボクは迷っていた。

このまま例年通りだと、また5月には口を腫らして苦しい思いをさせるのが明白だった。
なら…。

ボクは獣医さんに提案してみた。
今のキミが全身麻酔に耐えられる体力なのか分からない。
でももし可能であるなら、組織検査と歯石除去の手術を同時にしてもらって構わないですか、と。

こんな時の決断は、他の4人ではなく、ボクがするしかなかった。
内心では何度そのような立場を呪ったことか。
もしこのことが原因で、キミの意識が戻らなかったら…そんなリスク──。
あるいは悪性だと分かっても、そこでやれることがまだ残されてるっていうのか?すべてが徒労ではないのか?そんな迷い──

それでもボクは、口や鼻を辛そうにしているキミが少しでも楽になることを信じ、手術をすることを決めた。
22日に先生に持ちかけ、30日に手術をすることになった。

この時の一週間を今はもうあまり覚えていない。
記憶から欠落してしまった。忘れようとしているのだと思う。
手術当日よりもボクにとっては辛い毎日だった。
これでお別れかも、そんな思いを常に持ちながらキミを見ていた。

1月30日11時にキミを連れて行った。
かかりつけでキミのことはよく理解していらっしゃる皆さんだ。
キミが分離不安で吠えたりショックを受けないよう、すぐに麻酔をかけてくれた。

ボクとマキさんと仲間は、6時間自宅待機した。
前が4時間だったので、格段に長い。
施術が長いのか、麻酔から覚めるのが遅いのか、そんな堂々巡りをしていたら電話がかかってきた。

ボクが迎えに行った時、キミはボーッとしていた。
施術でぐらぐらしていた歯が9本抜けたそうだ。
検査の結果、骨や舌に悪性のものはなかった。
仲間が会計の手続きをしている時、ボクはキミを車に連れていった。
車内ではじめてキミは少し尻尾を振って、そして震えた。

ボクの選択は間違いを起こさなかった。
それからのキミは歯が抜けたせいで、口の余った大型犬のようなヨダレを垂らすようになった。
犬ガムをあまり好まなくなった。
それでも歯石が取れ牙はツルツルで、口や鼻で辛そうにしている様子がなくなった。

翌日から、少しでも口内細菌を減らすため、みんなで代わる代わるキミの口に注射器を突っ込み、強制うがいをするようになった。

これをキミは今でも嫌がるよね。
ボクじゃない誰かがやると、唸って怒ることさえある。

それに最初は綺麗な口内環境だったけど、一か月後にはやっぱり元の異臭がするようになった。
三か月後にはまた膿栓を吐くようになった。
それでもボクたちはうがいと歯磨きをし続けている。
もしこれらに意味があるとしたら、一年経って口や鼻が腫れないとカウントされた時だろう。これが有効かどうかはまだ分からない。

一方で少し認知症のような症状が出始めたね。
ゴハンを食べて一時間でまた鳴くことがある。
意味もなく訴えかけて連続で鳴く朝がある。
10時間以上同じ場所で寝て、まったく起きないことがある。
そして下に敷くタオルは緑色の膿栓に染まっている。

こんなことはこれまでになかった。
これが年を取るということなんだね。

でもね。
不思議とボクは全然悲しくないんだ。
だって、キミの若い時は、もっと生命を落とすリスクがたくさんあったんだから。
てんかん発作の群発や椎間板ヘルニアからの半身麻痺。ボクはキミが若くて元気に跳ね回っていた時でさえ、そんな暗い明日がすぐに来るというイメージに囚われていたんだ。

元々はマキさんの社長さんの犬だったね。
キミは適切な飼育をされず、頭を打った疑いもあり、劣悪な環境のブリーダーから流れてきた様々な悪い可能性を秘めた「不発弾」だった。

ボクたちはそれを不憫と思い、また自分たちがデザイン事務所を興せると信じ、新生活の高揚でキミを救った気でいた。
もう10年も昔のことだ。

ボクはその頃、自身も手術して会社を辞めた頃で、体調不良だった。
咳が止まらなくて24時間マスクをしていた。
キミと会っている時もマスクをしていた。
だから、仲間4人と違って口を舐められないボクにだけ、キミは「なつかなかった」。

そんなキミとボクが腐れ縁以上の関係になるなんてね。
本当に人生とは縁と運なんだと思うよ。

キミが重病のバーゲンセールのようになった頃、片時も目が離せなくなった。
それが8年前のこと。
仲間全員で映画に行ったりしていたが、もうキミの独り留守番なんてもってのほかになった。
分離不安からてんかんになってしまうのだから──。

もし遊んでいる間に発作が出て痙攣し、痙攣でヘルニアが悪化したら、一日内に手術をしなければ半身不随、もしくは内蔵不全で死亡、そう想像したらみんなで遊ぶことなんて「しなくてよい」ことになってしまった。

ボクたちの仲間はそれぞれ他の友達もいなくて、変な秘密結社のようになっていった。

それなのにこの頃からみんなで一緒に行動することもなくなり、デザインで食べていくことなんて無理だと、個々で動き始めた。

生活がバラバラになり、唯一の共通項はグミという生き物だけだった。

この時期、ボクとマキさんでやっていく漫画の仕事さえ停滞し始め、暇なボクがキミの面倒をみることになったね。
24時間体制でキミを見られるのはボクしかいなかった。
ボクも社長さんから奪ってしまったようなものだから、それが「負債」だったとしても手放すつもりなんてなかった。

それからボクは公式のどこからも消えた。
記録のない存在になったんだ。地下に潜った。
夢も失くし、ただ生きることに追われた。屈辱だった。

世の中に出ることのないプロットや、陽も当たらない曲をただ作り続けていた。
作り続けなければ心が壊れていたろう。

依然として、仲間みんながどうしていくかを決める係ではあっても、ボクとキミは外には出ていかず、部屋に篭っていた。
良い未来は全然想像出来なかった。
敗北感に支配されていた。多分鬱病だったんだと思う。

たまに散歩に行った時も、人や犬が向こうから迫ってきたら、キミを抱き上げて逃げた。吠えて発作になってしまうから。

すべてを拒絶するように生きてきた、記録上何もない人間。
「あのナルセさんは病気らしい、会社ではあんな凄かったのに…」そう言われていたそうだ。

ボクはキミによって人生が変わってしまった。
「たかが犬に殉じるのか」自分でさえそう思っていたこの時の2年間。
それなのに、そんな頑張れてないボクなのに、母や仲間たちは、ボクを問いただしたり責めたりすることが一切なかった。

ボクはキミによって不自由になったと思い込んでいた。

だけどマキさんが犬の漫画をSNSで発信したことから犬の絵の仕事がぽつぽつ来るようになった。
それは4年前から顕著になった。
今ではその前にしていた漫画活動よりむしろ、動物、とりわけ犬のイラストレーターだと認知されている。

不自由になった要因だと思っていたキミたちが、ボクを自由にしてくれた。
キミとの体験がボクの創造の新しい礎になった。
ボクはこのことを認識した時、ただ可愛い、楽しいだけの犬漫画に満足出来なくなった。

そこで身体が不自由な人を「自由にしていく」手助けをする犬たちを取材し取り上げた。

もしキミとの闘病共同生活が、挫折した経験がなかったら、そんな行動はしなかったろう。
まあ偉そうに書いてはいるが、その頃のボクは久し振りに人と会ったので、今と違って相当挙動不審だったのだが。

そんな訳なのだ。
だから例えキミが加齢でボケてしまったとしても、大きなボーナスステージだと思って有り難いくらいなのだ。

ボクとマキさんは今年の春、つまりキミの手術の後から、SNSはじめすべての媒体で顔出しして活動するようになった。
またボク個人が単独で活動して外出することも増えた。

今月は近くの児童養護施設を二度訪れた。
いつか絵のワークショップをしてあげられたらと思っている。
自分たちがつなぎ役になって介助犬を連れてこれないかとも思っている。

一方でキミと3日に一度は外出して、僅かな時間でも外で過ごすようにしている。
たまにはギターを持っていって公園で弾いて長居している。
キミはボクのギターを嫌がらないし、むしろ隣で寝てくれるのでよいアイテムなのだ。

そして一日は必ず完全休養させて身体を休める。
こんな変化をつけたらキミの認知症を遅らせられるんじゃないか、そうみんなで考えてやっているんだ。

忙しい毎日の中でもそれは全然苦じゃない。
キミが青空の下で口角を上げて、タッタッタとリズミカルに歩いてくれるだけで嬉しい。

ボクが外に出始めたのは、「ボクの失われた時間」を取り戻すためでもある。
10年遅きに失したけど、それでもやるべきことだと思っている。

もうひとつ、キミがいなくなった先にいかに生きるべきか、それを考えてのことなんだ。

銀次郎の誕生日の時にも書いたけど、もう15年も体調不良のボクがのんびり生きている時間なんて、残されたものなんて、そんなにないと思うんだ。
もうロスタイムはないと思った方がいい。
それに二度とつまづきたくない。

だから最大限に恐れていることからも目を逸らさないで生きようと思ったんだ。

キミがいなくなること。

ボクはその準備をしながら、キミを慈しんで一緒に生きていこうと思う。

見たいものは見なくて済む世の中だ。
欲しいものだけ表示され、見たいものだけ見られるソーシャル社会。

でもボクは抗っていきたい。それだけでは良くないと思うから。

ボクの先祖は三河の侍だった。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」とは佐賀藩士・山本常朝の武士道書「葉隠」の一説だけど、何も死にに行こうというのじゃあない。
死からも目を逸らさず見つめ続け、真実に到達しようという心意気だ。
ボクは侍の子孫だと誇りを持とうと思う。

今日書いたことは、これまでSNSや漫画でも書いたことはなかった。
でもこれがリアルなボクとキミの記録だ。

マキさんはよく「銀次郎とグミは何事にも太陽と月のような関係だね」と言う。
もちろん「月」はグミだ。
これは創作上のライバルでもあるマキとナルセの関係とも似ている。

そうキミとボクは「月」なんだ。「太陽」ではない。
自分から光ることは出来なかったし、時には満ちたり、また欠けたりもする。
でもうっかりひ弱く昼にも姿を現すし、何かを供えてくれる人もいる。

身の程を知っているボクたちはこれからも慎ましく生きようか。
それも幸せだよね。
キミと生きてきた時間に一切後悔はない。

あと何回迎えられるか、そう考えるととても尊いよね。

グミ、誕生日、おめでとう。

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