砂の惑星を聞いて思った事。※超個人的な自分語りと見解を含みます。

※2017/07/21のTwittLongerを移行しました。
当時本当に泣きながら勢いだけで書いたので、推敲甘い上に日本語怪しいですが、これはこれで勢いがあるなと思ってそのまま転載しています。

私が何故VOCALOIDに腰を据えたのか。
そもそもVOCALOIDって私にとって何なのか。
盲目的にVOCALOIDが好きと言い続けて何年も経ったけど、砂の惑星を聞いて、色んな事を考えたので書いておこうと思う。

昔から人と関わるのが苦手で、絵を描く事と工作が好きな子供だった。
特に、感情を言葉にして伝える事がどうしてもできなかった。何故こんな事をしたのかと問い詰められて、自分の中に明確な理由はあるのだが、言葉にできず泣いてしまう。泣けば許してもらえると思っていると言われてさらに泣く。頑張って話してみても、支離滅裂で伝わらず怒られる。そんな事を繰り返すうち、自分の思いは人には伝わらないんだと思い込むようになった。辛い事は人に相談しなくなった。これは今でも引きずっている。
言葉で表現できない鬱憤を、自分の世界をつくる事で発散していたんだと今になって思う。

VOCALOIDに初めて出会ったのは10年前。私は、よくいる普通のオタク気質、美術部の中学生だった。
当時、父はパソコンを自作していて、私に使わなくなった古いパソコンを与えてくれた。
インターネットなんて授業で数回しか触った事が無かったが、使い方を教えてもらい、当時好きだったゲームの情報交換掲示板を見つけ出し、常駐するようになる。

そこで、詳しい時期はもう覚えていないが、初音ミクにIevan Polkkaを歌わせた動画を初めて見た。

初めてVOCALOIDの声に触れた感想は、「よくわからない」だったと思う。
そもそも初音ミクがVOCALOIDだという事も知らなかったし、なんか最近騒がれてるツインテールの女の子だという程度の認識だった。
それでも、なんでネギを振っているのか。なんで声がこんなに機械的なのか。そのインパクトだけは衝撃的で、あの時の光景は今でも鮮明に思い出せる。

VOCALOIDとは、初音ミクとは何かをしっかり認識したのは、2008年の6〜7月頃。その掲示板で「悪ノ召使」の動画を見つけたのがきっかけだった。
初音ミクの継続商品で鏡音リン・レンが出た事は、周りが騒いでいたので知っていた。
この動画で、私は人生で初めて曲を聴いて泣いた。
すぐにVOCALOIDって何なんだと調べ、ニコニコ動画に登録し、夏休み中かけて色々な曲を聞き漁った。
話題のアニメや漫画は見てはいたけど、はっきりと二次元的なジャンルに嵌ったのはVOCALOIDが初めてだった。

この頃、私は色んな事があって、人間不信が爆発していた。夏休みは塾の夏期講習以外引きこもり、ネット漬けの日々を送っていた。
夏休みが明けて、学校にはちゃんと通っていたが、誰とも喋らず部活にも行かず、学校が終わればすぐに家に帰ってパソコンを開き、ニコ動でKAITOのトークロイド動画を見ていた。

どんなに嫌な事があっても、全裸に近い格好で踊り、31のアイスを凍ったポテトサラダとすげ替えられたKAITOを見ている時だけは楽しかった。笑顔になれた。この頃の経験が後に青廃を自覚する要因になる。

そんな感じで日々を過ごし、気付けば3年生になる。3年生のクラスは少し楽しかった。普通に遊びに行く友達ができて、反抗期を少しずつ抜け出す。相変わらずニコ厨ではあったけれど、徐々に周囲と良好な関係を築く事を覚える。勉強が忙しくなった事もあり、ネットに張り付く時間も減っていった。2010年、VOCALOIDの爆発的なブームが一旦落ち着き、オワコンという言葉が流行った頃だった。

2011年3月、高校受験を終え、腑抜けた春休みを送っていた。暇だったのでネットを見たりはしていたが、現実逃避しニコ動に没頭していた頃のような情熱ではなく、単純に暇潰しだった。
月末に友達と計画した卒業旅行を控えた平日の昼過ぎ。部屋のベッドで横になっていたら、緩やかな横揺れを感じた。珍しい地震だなと思った。当時は地震があるとツイッターに集まるなんて習慣は無かったので、そのまま昼寝した。
起きた頃には日本中が大騒ぎになっていた。テレビは連日津波の映像とACのCM。バラエティもアニメも放送されず、前述の卒業旅行にも行けなくなった。
不謹慎にも更に暇になった私は再びネットに張り付くようになる。ACのCMのパロディ動画や災害情報をネットで追ううち、再びニコ動にも通うようになった。
やがて「千本桜」が投稿され、一度は落ち着いていたVOCALOID界隈が再燃を見せる。

しかし、同年4月、高校に入学し、新生活の慌ただしさから、再びニコ動から離れる事になる。スマートフォンは持っていたので、これ以降は目に付いた曲を片っ端から聴く事をやめ、好きなP、好きなVOCALOID音源の曲を聴くようになる。

それからしばらく、穏やかにボカロ厨を続けつつ、他のアニメに熱を上げつつ、ふんわりオタクをしていた私に、人生2度目の転機が訪れる。
2013年1月、当時一番仲の良かった友人と、ノリでコスプレをする事になった。本当にノリだけで。キャラはVOCALOIDではなく、その頃コスプレといえばと羅列される作品のうちの一つだった。
小学生の頃、VOCALOIDに出会う前に一度だけ、コスプレをしていた当時の友達に、メンバーが欠けたからと頼み込まれてコスプレをした事があった。でも自分で衣装を揃えてウィッグを使ってメイクをして、ちゃんとコスプレをしたのはこの時が初めてだった。
初コスで味を占めた私達は、もう一着用意しようと相談し、男装がしてみたかった私は恋は戦争のKAITO、友人はミクをした。

結果、KAITOに異様に愛着が湧き、前述の動画の影響もあり、そのまま青廃になる。

元々何かを作る事が好きで、受験が忙しくなかった私は、大学受験の友人を差し置いてレイヤー友達を作り、コスプレとKAITOに没頭するようになる。
その後何度か環境が変わり、休憩した時期もあったが、コスプレをやめはせず、KAITO単体からVOCALOID全体へと趣向が変わりつつ今に至る。

MEIKOの(当時のDTM界における)ヒットとKAITOの大失敗は色々な考えがあるが、個人的には単純に、DTM界の男女比率の差だと思う。
演奏したり歌ったりするのはある程度女性もいるが、音楽を作る人というのは男性が多い。00年代中期にDTMで音楽を作っていた人に限れば更に。
男性が曲を作るのだから、女性に歌ってもらおうと思うと、SNSという言葉すら無かった当時歌い手を見つけるのは相当に大変だったはず。だからMEIKOは画期的な商品だった。反対に、男声が良ければ自分で歌えばいい。もしくは単純に「男だから」必要ないと思う人もいただろう。結果、KAITOは全く売れなかった。

初音ミクの爆発的なブームは、MEIKO、KAITOを、言い方は悪いが踏み台とした販売戦略、2000年代後半にかけての「萌え」ブーム、キャラクターの設定を極限まで減らし後はユーザーに丸投げする、創作意欲を刺激するスタイル、インターネットの普及、ニコニコ動画の登場など、様々な要因と運が、最高のタイミングで重なった結果だと思っている。一般人が出来る創作活動で、目に見える評価を得られたのは基本的に「絵か文」だけだった時代に、初音ミクとニコニコ動画という導火線は、燻っていた音のクリエイターという爆薬に火を灯した。

その後発売されたVOCALOIDについて、Megpoidまで個人的な見解を書いたのだけど、ものすごい量になったので分けます。暇な人は読んでみて。 http://www.twitlonger.com/show/n_1sq22ga

ハチさんの新曲、「砂の惑星」を聞いて、泣かずにはいられなかった。勝手に涙が出た。
元々私はODDS&ENDS、*ハロー、プラネット。、あったかいとなど、VOCALOIDがVOCALOIDたる曲に至極弱い。もう無条件でいつでもどこでも泣いてしまうので気軽に聞けない。

そもそも、VOCALOIDって、初音ミクって何なんだろう。
かわいい女の子が歌って踊る。周りから見ればただそれだけかもしれない。
しかし、私が10年近く見て聞いて、心を奪われた初音ミクは、YAMAHAともクリプトンとも関係ない、いちクリエイターが作り出した5分程度の創作物である。
VOCALOIDは、使う人がいて初めてVOCALOIDになるのではないか。
もし地球上から一人残らずVOCALOIDを使う人がいなくなれば、VOCALOIDはただの円盤と箱になる。

私はVOCALOIDという砂場で、人の作った砂の城を見て感動した。
幼い頃から抱えていたやりきれなさを、ここでならいくら発散しても、どんな城を作っても私の自由なんだと思えた。

砂の惑星というタイトルは、VOCALOIDはそれぞれが自由な方法で、自由なスケールで遊ぶための広大な砂場であるという意味の「砂の惑星」があるのは多分間違いない。ここまでがハチさんの思うツボなのかもしれないけど。

そして、この曲が「初音ミク10周年のバースデーソング」であるという事。

あの初音ミクである。10周年である。私はてっきり、マジミラのライブで盛り上がる為の、「キラキラ電子アイドル!ハッピー初音ミク☆」な曲が来るんだと思っていた。そんでみんなで「カワイイ〜!ミク最高!」ってなるんだと思っていた。キラキラ系の曲を書く人にお願いして、ライブ用のアイドルソングが出来上がるものだとばかり思い込んでいた。

そしたらまさかのハチさんである。この題材である。そして曲が出た途端の、この人の死に様である。何だこれは。何が起きた?

ああ、これがVOCALOIDか。これが私が好きになった「初音ミク」かと思った。哀れな死骸の一つとなりながら痛感した。

砂の惑星というタイトルには砂場遊びと、もう一つは、実際に全盛期から時が経って枯れてしまった大地という意味が確かにあると思う。
これはVOCALOIDがキャラクター色で売れた事とは切っても切り離せない事実であり、流行りのジャンルはいつか廃れる。

10周年!おめでとう!ミクちゃん可愛いよ!!ってだけだったら、VOCALOIDである必要は無い。それこそ公式から与えられたキラキラミクちゃんを愛でていればいいだけの話。

VOCALOIDが、使う人がいて初めてVOCALOIDとなるのであれば、人が減っていくという事実を受け止めなければ、そして残された私達が何かを植えなければいけないのではないか。

二次創作には違いないけど、限りなく一次創作に近いものを作り出す人がいないと成り立たないジャンル。だからこそ私はここまで入れ込んでしまったし、だからこその「あとは勝手にどうぞ」なんだろう。多分。

ここ数年、VOCALOID、特にクリプトンにおいては、公式から与えられるものが急激に増えた。
各種コラボグッズ然り、DIVA然り。
実はちょっと私は疲れつつあった。でも理由がわからなかった。好きすぎて辛いだけなのかと、一度離れてみようと思った事もあった。でも他のアニメや漫画、面白いと思ってもどうしても熱くなりきれなくて、結局VOCALOIDに戻ってきてしまう。
でもやっぱり戻ってきても息苦しくて、どうしたもんかと思っていた。
砂の惑星を聞いて、少し考えて、ずっと感じていた息苦しさに、あっけないくらい簡単に答えが出た。

私はVOCALOIDを、享受するジャンルではなくて、作り出すジャンルだと思っていたのだ。

VOCALOIDが好きだからこそ、与えられるものを全て受け入れようとして、自分の中の許容量を知らないうちに超えていた。
このままではいつか、全部ひっくり返して投げ出していたかもしれない。危なかった。

0に近い状態から何をしてもいい、好きなように遊んでいい、それを見て、気に入ってくれた人が着いてきてくれて、また新しい何かを植える。
こんなジャンルはもう多分、しばらくは出てこないと思う。
無理のないように、受け入れられる範囲で、自分のしたいように、砂のお城を作って遊んでいられたらなぁと思っている。

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