どうして、という言葉を飲んで。
何度も繰り返した「どうして私ばかりこんな目にあわなければならないのか」という言葉を、私は最近使わなくなった。
幸せになったわけではない。ただそんな言葉をいったところでなにも変わらない事を知っているから、吐かなくなっただけだ。
何度も繰り返し、その感情を華麗にかわしては、無視し、いつの間にか無感情の状態になったけれど、むしろ、前より辛く強固な感情の固まりになってしまった気がする。
「どうして、」というところで、言葉を止めるかわりに「純粋で何一つ偽りがない、しかし汚れた悲しみ」を実感するようになった。
世界に絶望することも、希望を抱くこともできなくなった私は、ふとした瞬間、ただ帰りの電車、どこでも目尻に塩っぽい水を溜めながら生きる。
ソレしかできなくなった。
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