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ぼーっと生きていた公務員が、バンド解散のように退職して、農家になった話

はじめまして。
新潟市で農家をしているsayです。
コシヒカリを中心に栽培しながら、オンラインショップでシンプルでスマートをコンセプトとしたお米を販売しています。

農作業や日常生活のなかで気付いたことや考えたこと、好きなものについて掘り下げたことを記録する場としてnoteを始めることにしました。


好きなものについて

■ エレファントカシマシ
人生に迷っていたとき、退職を後押ししてくれたバンドです。
好きな曲は「浮雲男」。ぷかりぷかりしていたい。

■ 読書
何度も読み返している本は「自分の小さな「箱」から脱出する方法」。
人見知りで箱に入りがちな自分を何とかしたい。
最近読んだ小説は「それもまた小さな光」「透明カメレオン」。

■ お酒
なんでも飲むけど、とりあえずビール派。
適温はさておき、ビールとスパークリングワインはキンキンが好き。

■ 辛いもの
四川風麻婆豆腐や火鍋。
家では花椒をミルで挽いてたっぷりかけます。

休日には香辛料たっぷりの火鍋を作ります

公務員を退職して農家になるまで

残念な社会人の人生が変わった

大学ではイネの遺伝子や植物の生命現象について学び、大学院に進学・中退後、地元に戻って公的機関で農業技術の研究員をしていました。
地方公務員です。

研究所では、やりがいを見出だせないまま、漫然と最初の数年間を過ごしました。
なんとか平日をやり過ごし、金土の夜は飲み歩いて、二日酔いを引きずりながら週末を過ごす。
ただただその繰り返し。

そんな残念な社会人だった私が、珍しく飲みに行かずに家にいたある金曜日の夜こと。
なんとなく観ていたテレビ番組で近藤麻理恵(こんまり)さんの片付けを知りました。
ときめくものだけを選び、今の自分に不要はものを手放していけば、ときめくものに囲まれた素敵な生活ができて人生もうまくいく。
そんな内容でした。

その頃の私といえば、一週間の過ごし方からわかるように、なにもかも溜め込む生活をしていました。
狭いワンルームの部屋はモノだらけ。
自分にとって何が大事で、何が好きで、どう生きたいのか、まるで考えたことがなかったのです。

片付け依頼者にやさしく語りかけるこんまりさんの話は、そのまま私自身に言われているようで心に沁みました。
わたしも変わりたい、変わろう、と決意しました。

それから私は少しずつ変わっていきました。
部屋や生活が整うと、仕事への取り組み方も、時間の過ごし方も、自分の心に従って選べるようになりました。
合わないと思う人たちとも適度な距離がとれるようになって、周囲も変わっていきました。

確かに人生は好転しているように感じられました。
受け身ではなく、自分で選ぶ人生。
いろいろと不満はあるけれど、その状況すら自分で選択していると思える、納得感のある人生。

そうすると不思議なもので、曇っていた視界がクリアになったように、狭かった視野が開けたように、今まで気にならなかったことが気になるようになりました。
必要性が分からない仕事。
改善提案しても変わらない仕事。
内容ではなく時間をかければ評価される仕事。
(公的機関あるある!?)
違和感は少しずつ募っていきました。

バンドが解散するかのように退職へ

社会人10年目になる頃。
立て続けに身近な人たちの人生の終わりに接しました。

自ら人生を終えた人。
事故で突然終わりを迎えた人。
病気が見つかってからあっという間に逝ってしまった人。
数年にわたる闘病の末に幕を下ろした人。
晩年は、家族のことも、おそらく自分が誰なのかもわからなくなって、でもきっと幸せだった大往生。

自分はどんなふうに人生を終えるのだろう。
そんなことを考えざるを得ない経験でした。
そして、どうせ限りある人生なのだから、心の向くままに、自分らしく生きたいと強く思うようになりました。

そんなときにふつふつと湧いてきたのは、実家に戻って農業をやりたいという気持ちでした。
私らしい農業をして、私らしい人生を生きる。
ついに、違和感の募った職場を離れる決意をしました。

退職の理由は、私が良いと思うものと、組織が良いと思うものが違ったこと。
つまり、方向性や価値観の違いです。
経験はないけれど、伝説のバンドが音楽性の違いで解散するような感じ。

どちらが正しいとか正しくないではなくて、このままではお互いに不幸になるだけ、これからはそれぞれの道を行きましょう。
私の退職はそんな発展的なお別れです。
いち職員が組織に対して偉そうなことを言っていますね。

そして農家になった

私は新潟市の農家に生まれました。
遊び場は畑や田んぼ。家族行事は農作業。
農業はいつもそばにありました。

子供の頃は畑で雑草や昆虫のスケッチをしていました。
高校では生物の授業でメンデルの遺伝の法則に衝撃をうけて、遺伝子に興味を持ちました。
大学は農学部に進学して、分子レベルから植物の生命現象を追いかけました。
就職は地元に戻って農業技術の研究員。
そんな私が農業を選択したのはとても自然な流れだったように思います。

我が家は決して大きくはない農家です。
場所は新潟市の中心部に近く、道路や住宅地の開発はすぐそこまで来ています。
私たちのような中小零細農家は、そう遠くない未来に淘汰されるでしょう。
この家の農業を長く続けられなかったとしても、最後は私の手で終わらせたい。
やってもやらなくても無くなるなら、できることはやっておきたい。
そんな想いで実家に戻りました。

もしかしたら、自分で選んだつもりでも、いつの間にか選ばされていたのかもしれません。

それでも今は、自分で決めた人生を自分らしく生きられていると自信を持って言えます。
これからもそうありたいと心から思っています。

以上が私の公務員をやめて農家になった話でした。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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