ペソ

■ポルトガルの詩人ペソアをわかりやすく紹介しようとしたら一万字を超えた話


■人生は意図せずはじめられてしまった実験旅行である。

自分について悩んだことのない人は、そんなにいないと思う。
誰かに恋したときなのか、あるチャレンジをして挫折したときなのか、人と比べて自分の人生が劣っていると思ったときなのか、それとも夜一人部屋で電気を消してベッドにポツンと大の字になってウォークマンを聴いたときなのかは人それぞれだろう。
そんなときの悩みは、だいたい「私っていったいなんなんだろう」というやつで、自分の存在意義、存在の矮小さ、自分への他人からの評価の低さ、恋人もいない、声をかけてくれる友達もいない……と考え始める。
こういうときどうやってみんなは人生を過ごしてるのだろう?
そもそも自分に友達なんていたっけ……?
人生をうまくやるコツ、人に嫌われないでいる方法、自分が自分に誠実でいられる方法……ああ、またぐるぐるうじうじ始まった。
そんなときにふと開いた本、目に入った一節。

人生は意図せず始められた実験旅行である。
――『[新編] 不穏の書、断章』p.71より

そうだ。私達は人生に、生まれたくて生まれたわけじゃない。泳ぎ方も知らないのに、突然プールにぶち込まれた子供と同じ。
そもそも初めての人生なんだからうまく生きられるわけがない。
これはポルトガルの詩人ペソアという人の一節だ。
ペソアはいつもそんなことを言語化してくれる。
ペソアはいつもこんな感じだ。
私は心底思う。

ペソアは最高だと。

初めて会ってから10年経ったけど、叫んでいられる。ペソアは最高だって。いつだって孤独な人の友でいるから。

これはたくさんの人にペソアの魅力を"わかりやすく伝えたい"と思って書き始めたけど、気付いたら一万字を超えていた困った文章の序文だ。
馬鹿か私は。誰が読むんだ。
これでは意図せず始められたのは人生だけじゃなくて文章も、ということになってしまう。コミュニケーション下手か。全然わかりやすくない。
でも良いものを良いって言ってなにか悪い。むしろ文字数全然足りないくらいだ。

ペソアが誰なのかから始まり、どうして私の人生だけでなくて、他の人の人生にも登場してほしいのかについて書きました。こんな不安で、つらい時代だからこそ、多くの人にペソアを知ってもらいたいという気持ちです。
最初はちょっとおちゃらけているように思うかもしれないけれど、すごく真面目に書きました。
ほんの少しお付き合いいただければ幸いです。

■「ペソアって、だれ?」
2019年6月と8月に彩流社からペソアの新刊が刊行された。『アナーキストの銀行家』と『不安の書【増補版】』。
私は社内で、この本が刊行されるのを誰よりも楽しみにしていた。とても大好きな作家ペソアの本を自分で扱うことができるというワクワクしていた。もうバカ売れの予感しかないと思っていた。
ところが上司に言われた言葉は
「ペソアってだれだ?」
だった。
そうだ……考えてみればペソアは日本ではほとんど知られていなかったんだ……。

ペソアはフルネームでフェルナンド・アントニオ・ノゲイラ・ペソアと言って、ポルトガルの国民的詩人、作家だ。
ポルトガルはスペインの隣にある、ヨーロッパのはじっこの国。大西洋に面した、ファドと郷愁の国。ワインも美味しいし、ご飯も美味しい、旅行にとてもオススメの国。日本に鉄砲を伝えた国でもあり、世界ナンバーワンサッカープレイヤーの一人ともいえるクリスティアーノ・ロナウドの母国でもある。

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ペソアが生まれたのは1888年6月13日、 亡くなったのは1935年11月30日なので、日本で言えば明治〜昭和初期の人。夏目漱石(1867年生まれ)よりは年下で、芥川龍之介(1892年生まれ)とだいたい同世代。
ペソアはポルトガルではとても親しまれている作家で、お札だったこともある。日本でいう夏目漱石みたいなイメージだと言えばわかりやすいような気もする。

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(フェルナンド・ペソア)

ご覧のとおり、見た目はどこにでもいるメガネのおじさんだ。新宿の朝のラッシュ時にいそうな、さえないおじさん。
なのに、この歩いている写真はなぜか人々の印象に残るらしくて、私がポルトガルに行って首都リスボンを歩いたときには、この歩いている姿のペソアTシャツ、しおりのお土産や、ポスター、ペソアの落書きがそこら中にあった。
当時の私は「自分の敬愛する作家がこんな卑俗なことに使われている…!?ゆ、許さーんっ!!」と思ったりもしたけれど、それで人気が出て本が売れるなら最高だし、考えてみれば日本ではストレイドッグスで作家をキャラクター化して人気なんだから、今はいいぞもっとやれ!という気持ちでいます。成長した。
まぁとにかくポルトガルでは非常に親しまれた作家だということです。

さて、ポルトガルではそれほど親しまれているペソアだけど、日本ではそんなに知られてないのはお話したとおり。
でも実はペソアのことが好きな作家はたくさんいる。声優の斉藤壮馬さんも好きなアントニオ・タブッキを始め、ノーベル文学賞受賞者ジョゼ・サラマーゴ、オクタビオ・パス、吉田修一、川上弘美さんなどなど。特に吉田修一さんは作品の中にもペソアの本を登場させるほど好きだそうで、WEB本の雑誌の記事でもペソアについて話している。
それほど作家に愛されるペソアでとにかく最高な作家なのだけど、どうやって紹介したらその良さが伝わるのか今、とても四苦八苦している。

■中二病と言いたかったわけじゃない
そもそもの話なのだけれど、私ごときがペソアを紹介するなんておこがましいにもほどがある。
もともと私は「自分の好きな作家を世の中の人に広く知らしめたい!共有したい!」という人間ではない。「自分の心の中で、眺めてはいいなぁいいなぁと悦に浸るような読み方をする」タイプなので、こうやって何かの良さを他人に説明するなんて苦手だし、なにより荷が重い。もっと文筆の才能がある人とか、漫画家さんにペソアをわかりやすく描いてほしい。なによりペソアだって私なんかに紹介されたくないだろう。
でもそんなこと言い始めると私がとにかく大好きなこの作家を紹介することができなくなり、泣きたくなってしまったので、私が書くのをどうかお許しいただきたい。
でもどんな風に紹介するのがいいのだろう?
いろいろ悩んだのだけど、ペソアについては私の中でぴったりの言葉が一つある。
それは「中二病に喜ばれるキャラ」ということだ。

どういうことかというと、ペソアは生きているときはリスボンでビジネスレター翻訳の仕事をしていたが、ほぼ無名のまま亡くなった。彼の作品はそのまま消えていくはずだったのだが、死後見つかったトランクの中から、尋常ではない原稿が出てきた。中にはレストランの紙ナプキンに書いた原稿もあったという。
このトランクにあった大量の原稿が整理されていき、世界的に知られる作家になったというこのエピソード……やばくないですか?中二病にはたまらないエピソードでしょ?
こういうエピソードを待っていたのだ我々中二病は。だって最初から人気の人とか、素直に褒めれないじゃないですか我々は。
生きているうちは実力があったのに死ぬまで認められなかったという非業な感じ。認められなかったのに、いつか誰かに認められるために残していたたものが認められる……こういうエピソードが、変にプライド高いけれど世の中に認められない自分たちを救ってくれる。本当にかっこいいと思うし、人生を救ってくれるエピソードだとも思う。我々も今の世では蔑まれているけれど、死んだ後に認められるはず…。
誤解を生みたくないので言っておくと、ふざけた感じで紹介しているけれど、この「本当は実力があるのに、死ぬまでは認められなかった」というエピソードは結構本気で現代で多くの共感を呼ぶと私は思ってます。
たとえば中島敦の『山月記』で、虎になってしまった李徴に共感するのは、結局のところ自分自身が「本当はもっとできる、自分はもっと高く認められるはずだ」というところだと思ってます(でも現実にはできない)。特に、現代のような「自分を売り込み、切り売りしなければならない」時代において、「自信でもあるけど過信でもあるプライド」を胸に秘めている人はたくさんいるだろうし、それが満たされることなく苦しんでいる人も多いと思う。そういう意味で、このエピソード一つとってもペソアは現代的な意義がある作家だと思います。

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(フェルナンド・ペソア近影)

■異名者というアカウント
彼の作品に立ち入る前に、もう一つ彼を中二病的…いや魅力的な作家として際立たせているものを紹介したい。
それは「異名者」という、自分以外の名前、性格、文章などの設定をもった人格を70以上作ったことだ。
簡単に言えばTwitterアカウントを70以上持っている人なのだが、話はそれだけにとどまらない。その中で「師匠と弟子がいる交流がある」などの「設定」が存在していて、会話をしたりしているのだ。
敢えて乱暴な表現をすればTwitterアカウントを70以上持ってる人が、それぞれのアカウントに、
アイドルファン(22歳女性)、
本好き(37歳男性)、
バンドファン(43歳男性)、
映画詳しい(31歳女性)、
などの設定を細かく決めて、コメントさせ合っているTwitter廃人のヤバいやつということだ。大丈夫か、ペソア。
いや、大丈夫かと思うのはこんな調子で紹介している私だ。ペソアファンにめちゃめちゃ怒られそうだ。(いや、本当にペソアファンには申し訳ない…どうか一人でも多くペソアウィルスに罹患させるためだと思っていただき、ご寛恕くだされ)
実際この紹介、決して馬鹿にしているわけでない。
そもそも100年近くも前の作家が、現代にもつながるような発信書き方で物を書いているというのは、慧眼だし、SNS全盛の現代にこそもっと売れていい作家だし、すごく力のある作家だと声を大にして言いたい。
たとえば『不安の書【増補版】』(彩流社)の冒頭で、ベルナルド・ソアレスという「異名者」が「私」とリスボンのレストランで会って話をするというエピソードがある。これは作品の序文みたいなものだけれど、ペソアに「異名者」という設定が存在していることから考えると、ソアレスと話しているのが果たして誰なのかよくわからなくなる。ペソアなのか、それともペソアの「異名者」なのか。なんと蠱惑的な作品!最高だ!最高だろ!?
というわけで私は作品云々の前に、まずこの二つのエピソードを使って、"トランクの中から原稿を舞わせて戦う70以上の人格を持つメガネのおじキャラ"として、ペソアをFGOに実装してくれとずっと願っている。
ただ、まだTYPE-MOONにこの願いは届いていない。
そしてタブッキ好きの声優・斎藤壮馬さんにもまだ読んでもらっていないようだ。残念だ…。

■異名者についての補足
「異名者」について簡単に補足しておくと、70以上の「異名者」のなかでも代表的なのは、アルヴァロ・デ・カンポス、リカルド・レイス、アルベルト・カエイロ、ベルナルド・ソアレス(正確にはソアレスは半異名者と呼ばれるけれど)の四人で、彼らの説明については彩流社ホームページに山本貴光さんが作ってくださったレジュメがあるので詳しく知りたい方はこちらへどうぞ。本として楽しみたい場合はアントニオ・タブッキの『フェルナンド・ペソア最後の三日間』(青土社)を読むとものすごくペソアとその異名者を好きになれると思います。
ちなみに、女性の「異名者」もいて、「手紙」という短編を書いているのご存知ですか?こちらは『アナーキストの銀行家』(彩流社)に所収。日本ではたぶんこれが初登場。
また、ペソアにはアレクサンダー・サーチという「異名者」もいて、こちらはポルトガル、リスボン出身のバンドAlexander Searchというバンド名の由来にもなっている。


私は英語ができないのでぜーんぜんわからないのですが、もしかしたら歌詞の中にペソアの詩が引用されたりしているのかなっと胸をワクワクさせたりしています(歌詞はアレクサンダー・サーチ名義を中心とした、ペソア作品を試用しているそうです。/Poet&Fabricさん、教えていただいてありがとうございます!)。ペソアが現代のポルトガル社会に与えた影響の大きさが知れる、いい話。音楽に引用されるのめちゃくちゃかっこよくありません?もっと詩人や文学作品を引用したりしたバンドがたくさん出てきて、本と一緒に売れてもいいと思うんですよねー。というか誰かペソアの詩を歌っておくれよ!買うよ!朗読でもいいんだよ!頼むよ!!

■読みやすさという利点
「異名者」のところでTwitter廃人とペソアのことを表現したけれど、もう一つペソアがTwitterっぽいところがある。
それはTwitterに負けない圧倒的な読みやすさである。
またまた私の話で恐縮だが、私はもともと本を読む方ではない。
名乗ったこともないけれど、読書家だなんて口が裂けても言えない。
基本的に家に帰ったらすぐにお酒を飲み始めてゲームして、気づいたら寝落ちしている…という自堕落な生活を送る人間だ。
そんな私が、ペソアの代表作である『不安の書【増補版】』という600ページを超える本を読めるわけがない……と思われるかもしれない。
ところがところが。
『不安の書【増補版】』は断章集という、どんなに長くても一節は6ページ程度、しかもそれぞれの文には基本的には繋がりはほとんどない本なのだ。つまり開いたところをたまたま読むというのでもいいし、日めくりでパラパラ読んでもいいし、気分で読んでもいいし、極端な話、読まなくてもいい、という作品だ。読みたいときに読むと新しいペソアに出会える(しかもなんとなくこの人にこういう文を期待していた!という新しさ)という本でもあって、まさしくザッツエンターテイメント!『不安の書【増補版】』に限らず、どの作品も時間がなくても読めるのはペソアの利点だ。
出版社に勤めているため、一般の人よりは本に触れているのは事実だけど、必ずしもいつも本を読みたいわけではないというのが、私の本音でもある。世の中には本だけでなくて、映画もあればテレビもあって、音楽もあればゲームもあって、なによりも酒がある。現代という時代は本以外のエンターテイメントに事欠かない。なんて素敵な世の中なんだ!
なのにそんな私ですら、すごく「本が読みたい」と思うときがある。ところが困ったことに、そういう気持ちになったときでさえも「仕事で気力を使いすぎた……本を読む気力がゼロだ!疲れた!」と、真っ暗な部屋に帰ってベッドに倒れ込む、ということがままある。
そういうときこそペソアである。
先述のとおり、断章ばかりなので短いし、一節一節を読んだときの満足感もあるため、一文でも読了感がある。暗くて、孤独なのに、不思議とどこか明るいので、疲れたときこそ読んでなんだか力が出るというか、誰よりも自分を理解した友達を見つけたような気持ちになるのだ。読みやすさを私は現代ではとても利点だと思っているので、そういう点でも優れた作家だし、最高なんだ!
また、先述したようにTwitterアカウントがたくさんあって文体がみんな違うように、「異名者」ごとによって文体が違うというのも一つの楽しみだ。
『不安の書【断章】』は「異名者」ベルナルド・ソアレスだけの文だけれど、『[新編] 不穏の書、断章』や『ポルトガルの海 増補版』では様々な「異名者」ごとに詩がまとまっていて、飽きない本になっているのは本当にすごい仕掛けだと思う。次から次へと違う作風の詩が出てくるので、なんとなくTwitterのタイムラインを眺めているようにもなる。(昔、ある読書会で私の尊敬する書店員の方が「Twitterみたいな作家」と言っていたのだが、それはこういうところからも出ているとも思う)
しかし「そんなこと言っても本なんて普段読まないし、読む時間もないよ……」というそこのあなた!
そんなあなたにこそペソアbotをゲキ推ししたい!
実はペソアにはペソアbotというのがTwitterに存在していて、日本版だとなんと8000人もフォロワーがいるのだ!(ちなみに私が見た海外版は14万6千人超のフォロワーがいた)
毎日定期的にペソアの文をツイートしているのだけれど、見ているとみんなRTやいいね!をつけていて、みんなペソア大好きだな!?……ってなる。
botでもペソアの良さは楽しめるので、どうしても今は本が買えない!とか本を読む力が今はない!という場合はこちらをフォローしてみてると、ペソアの良さがわかって楽しいしオススメです。

■複数になるということ
少し話があちこちに飛びすぎたので、整理しながらペソア作品の良さに話を戻していきたい。
ペソアはほぼ無名のまま亡くなったけれど、トランクいっぱいの原稿が出てきたから認められて(中二病エピソード)、
さらに「異名者」となるものを70近く作成(Twitter廃人)してきた。
しかしもともと無名だった彼がなぜ今やリスボンではどこのお土産屋に行ってもそのモチーフを使ったお土産があるほどに人気になったのだろう?
その答えの一つに「異名者」という作風であることは間違いないと思う。
もちろんこのエピソード自体が面白い(トランクのエピソードもそうだが)というのはあるだろうが、自分の人生に配役をたくさん登場させて、あるときは自分を、あるときは別のキャラを操作しているような感覚になる作品は、PS4でいろいろなキャラを操作しているようでもあるし、また演劇の配役を見ているようでもあって非常にペソアを魅力的にさせている。ディズニーとか手塚治虫の俳優設定もなんとなく想起させなくもない。
なによりこの「異名者」は、「本当の自分」というか「自分探し」というか「唯一性」が求められる現代社会において、大きな力を持っていると思う。
例えば、

「いまの私は、まちがった私で、なるべき私にならなかったのだ。まとった衣装がまちがっていたのだ。別人とまちがわれたのに、否定しなかったので、自分を見失ったのだ。後になって仮面をはずそうとしたが、そのときにはもう顔にはりついていた。」
――『[新編] 不穏の書、断章』p.44より

という文の、「人前で演じてる自分がいて、それは本当の自分ではないんだ」「あいつの前ではこのキャラを出す、だけどそれは私ではない」という自分への感覚が、読む人に大きな共感を呼ぶのではないかと思う。平野啓一郎さんの『私とは何か』(講談社現代新書)の「分人主義」にも通じるところがあるような気もする。また戸田真琴さんの『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』の始まりの文、「1000人くらいに分裂したいな。と昔から思ってる。」にも通じそうな話だとも思う。
また、

「生きるとは別人になるということだ。もしも今日、昨日感じたように感じるなら、感じることすらできないということだ。昨日と同じことを今日感じるなら、それは感じるのではない。――昨日感じたことを今日思い出すのであり、昨日命を失った者が今日生きた死体になるということだ。」
――『不安の書【増補版】』p.119より

「いったい、この劇場なき芝居はいつ終わるのか。あるいは芝居なき劇場は。私はいつ家に帰れるのだろうか。どこに、どうやって、いつ。」
――『[新編] 不穏の書、断章』p.86より

などの、生きるとは常に別人になっていくことだという表明も、ペシミズムに満たされながら人生を生きる我々にはよくわかる部分だ。ちょっとシオランっぽさがある。(シオランについては星海社新書の『生まれてきたことが苦しいあなたに』を参照するとわかりやすい&好きになれると思うので是非)
そして極め付けはこれ。

「詩人はふりをするものだ
そのふりは完璧すぎて
ほんとうに感じている
苦痛のふりまでしてしまう」
――『[新編]」 不穏の書、断章』p.18より


これをペソア『[新編] 不穏の書 断章』の一番最初に置いてある澤田直先生マジは本当にすごい!リスペクト!すごすぎて痺れてしまう!最高じゃありませんか?

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券売機でチケットを買うペソアの図(地下鉄の切符)

■救いのある暗さ
いま紹介したように、ペソアの良さの一つに「異名者」があって、少し暗い部分もある。人生に対する諦観を持ちつつも、救いのある暗さというものがペソアにはあると感じる。
たとえば

「今日ときどき起こるあの昔からの不安で、身体が圧しつぶされるように感じていたので、わが生きる上での支えである中二階のあるレストランでも食が進まず、いつもの量が飲めなかった。
それで、出ようとすると、ウェーターがボトルに半分ワインが残っているのに気づき、振り向いて言った。
「おやすみなさい、ソアレスさん、どうぞお大事に」
この簡単な言葉のトランペットのような響きに、わたしの心は、まるで曇り空から突然風が雲を吹き払ったかのように、晴れ渡った。」
――『不安の書【増補版】』【断章205】より
(※ソアレスというのはペソアの「異名者」)

というような、人の優しさに触れて、心情をそのままさらけ出したような文。この文には友達がいない人や寂しがり屋の一人好き、の感情がこれでもか、というくらいに叩き込まれていると思う
こういう感情は、孤独を気取っている私のような中二病者がよく陥る感覚だ。いや、違うんだ!孤独を気取ってるんじゃなくて自分の感情に不器用なだけなんだ!どう行動したら自分の感情を喜ばせてあげられるのかわからないか、わかっているけど勇気がなくてその行動ができないというだけなんだ!ずっと自分に戸惑いながら生きてきてるんだ…!
閑話休題。
人生はずっとつらいけれど、でも、このソアレスの話のように、生きていれば突然誰かに声をかけられて、人生がつらくないというときがくるかもしれない。こういうところに救いのある暗さがあると思う。
そしてさらにペソアをペソアたらしめているのが、『不安の書【増補版】』のあとがきで高橋都彦先生が書くように、

「ソアレスはリスボンの賑やかで洒落た下町のなかでは冴えない金箔師通りに面した繊維問屋ヴァスケス商会に簿記係補佐として勤め、同じ通りにある安アパートの一室に暮らす孤独な男である。その日の空模様にも左右され、人付きあいも行動することも苦手としているのも、病的なほど感じやすく、実生活にたいする適性に欠け、意志も薄弱だからと自分でも認めている。それにそうした性格が自分の意識のせいだと気づいている。
ー中略ー
だが、明晰な彼は放棄と孤独が無能力者の卑怯な逃げ口上だと認めざるをえない。また夢想の世界にも完全に浸ることができず、社長のヴァスケスをはじめとする周囲の人々の月並ながら健全なリアリズムに圧倒される。
ー中略ー
同時に自分自身を冷徹に分析、解剖してみて、自分の生活を卑俗なもの、自分の理想を気まぐれなものとみなし、自分の達成したことを屑として、自分の根本的な欠如に気付かされるのである。「今日、突如として、ばかげていて、しかもぴたりという感覚をもった。内なる閃きにより、自分が何者でもない、まったく何者でもない」」
――『不安の書【増補版】』あとがきp.651、652より)

という、自分への無能力感、不信感。と同時に、自分への誠実さ、真面目さに満ちているところだ。
普通、自分が思う「自分」と、他人から見た「自分」というのは差があって、それはそれで構わないわけと多くの人は理解して生きている。
でもそういう風に折り合いがつけられない人も多くいる。「自分なんていうものは本当になんでもないものだ」という認識を抱きつつ、実際には自分には気高きプライドがあってそうは言いきれない人間。こういう悩みはソアレス(ペソアの異名)の深い悩みに共通していて、自分の感情にある意味では誠実で純粋なことであり、それがこの作品とペソアを魅力的にしている、と私は思う。結局「こんな自分でよいのか?」という悩みを抱く人は、とても真面目で、これで合っているのかどうかを常に考えているという意味で誠実な人なのだ。
日々、私たちの評価は、他人との関係のなかで上がったり下がったりしている。それは自分が思う「自分」とは違うが、しかしそれも結局は「自分」で、その評価は「自分」の価値となった結果、自信になったり、自信を喪失することになる。その評価は一定にはならないので、結果的に自分を疑う日々がずっと続くことになっていくのだから、自分が「合っているかどうか」を確認しながら生きる私のような人間にとっては人生はとても長く、つらいものだ。(そもそも何が合っているのかという問いや、そういう風に自分の評価を考えてしまうことも馬鹿馬鹿しいこともわかっている)
そんな長いつらい人生のなかで、「私は何者なのか」「偉人になって認められたい、見返したい」「私が唯一代替不能な私であるということを証明したい」というような承認欲求がずっとある。
そしてこの承認欲求には底がない。
ありのままの自分を認められずに、ずっと背伸びした自分を夢見て生きている。かといって新しく何か踏み出す勇気もないから何もできない。なのにそれを何かのせいにしている。自分は本気を出せば「ひとかどの人間」になれると思っているけれど、結局何にもなれないでいる。自分が大嫌いでたまらないけれど、そんな自分を愛してやまない。竹を割ったような快男児になりたいのに、結局そんな風にはなれず、才能ある人間を羨ましく見てしまう。なのに自分はこの自分に生まれたけど、これは本当の自分ではないのだという、自分を否定する感覚。自分の意思に純粋であることが正しいから、意にそぐわないことはできないという精神的な純潔主義のようなものを密かに大事にしている。そして誰も「本当の自分」を理解してくれないと、言いがかりのような恨みを持っている。
だから人生は長く、つらい。自分はずっと敗者だし、打ち破れたままだ。
そんな私たちにこそペソアがいる。

人生は大多数の人にとって、それと気付かずに片づけてきた退屈な仕事であり、通夜を営む者たちが安らかな夜を過ごすために、寝ずに過ごす義務を果たそうと逸話を語っているときのような、何か娯しい中休みからなる悲しいことだ。
――『不安の書【増補版】』p.227より

人生はもしもそれを意識するなら、耐えられないものになろう。
――『不安の書【増補版】』p.227より

わたしが死んでからわたしの伝記を書く人がいてもこれほど易しいことはない
二つの日付があるだけだ――生まれた日と死んだ日との
この二つの出来事にはさまれた日々はすべてわたしのものだ

――『ポルトガルの海 増補版』~わたしが死んでから~ p.78より

声を大にして言いたいけれど、人生において、「自分が必要なのか」、「こんな役立たずではダメなのではないか」という疑義が生まれたとき、また「私は本当はこんな人間ではないの、本当の自分はもっと優しくて笑っているような人格で……」というようなことを思ったときに必要な言葉が全部書いてあるのが、ペソアの本だ。圧倒的な孤独にさいなまれるときこそ、ペソアだけが味方でいてくれる。
今後もまだまだ「自分というキャラクターを売り買いしたり、消費したりしてすり潰していく社会」が続きそうなことを考えれば、「複数の自分」という存在を孤独と共に描く作家ペソアは、絶対に買って手元に置いておくべき作家だと覚えていてほしい。いつか苦しんだときに、助けになる作家なのだから。
『不安の書[増補版]』では、友達もいないし、自分も嫌いだし、家族もいないし、仕事も楽しくない、楽しいのは書くことだけ。でもその書くことさえも自分ではいいと思っていない。「行動する人」でいたいのに、でも実際には行動はできず、かといって本当に「行動の人」になりたいわけでもない、というような「寂しがり屋の一人好き」な文章が至るところに散りばめられている。
私がペソアを他の人に読んでほしいと思う理由、それは毎日生きているだけとんでもなくつらい人生が、ペソアがいることで楽になる、ということに尽きるかもしれない。人生は生きているだけでも大変だし、ひどいことばかりだから、ペソアという仲間がいるということは大切なことだ。不安とか、孤独とか、自己嫌悪とかについて、ペソアがほぼすでに文章にしていると言って過言ではない。「異名者」ばかりだからあなたが見たペソアが本物のペソアかどうかは誰もわからない。きっとこうやって私が見て、書いているペソアも、きっと他人から見たらペソアではない。
でもだからこそペソアは色々な人の人生に出てきて隣人になってくれるし、そうして出てくるペソアは、きっと本物のペソアだと、私は思う。

■最後に
日本でのペソアの存在は、日本の人口から見ればほんのわずか。もちろん学者、研究者、本好きは知っているし、ポルトガルに行ったことがある人も知っているかもしれない。でも、それでも一握りの限られた人しか知られていない存在。
これはとても素敵なことだと思う。
「多くの人が知らないことにこそ価値がある」というのは一つの真実だし「他人に知られてない部分にこそ価値があると思う」というのは重要なことだ。
私はもっと多くの人に知ってほしい、と心の底から思っている一方、実はこのままあまり知られない作家でいてほしい、とも思っている。それはあまり知られていなかったバンドがメジャーになる寂しさというか、推しが羽ばたいたときという感覚なのか……いや、これはきっと自分の大切な思い出とか、想いを、自分だけのものとして、大事に心の引き出しに入れておく、そしてたまに独りで取り出して眺めて嬉しくなる……という青春のときの甘酸っぱい思い出を大切にする気持ちだ。できればマイナーなままで、知る人ぞしるペソアでいてほしい。(最近知ったのだが、ペソアで博士論文を書いた人が日本にいて、すごく読みたい気持ちでいっぱいである)
でも、それでも書いてしまったのはやっぱりペソアがすごく良いということに尽きる。ほかの人にもやっぱり知ってほしいと思ってしまう。
だから書いてみたら結局15,000字という困った文章になってしまった。それはすべてはペソアへの愛なのだということで、どうかご寛恕いただきたい。もしこのつたない文を読んで少しでもペソアに興味を持っていただいたらとても幸せだ。あなたの人生に、ペソアが登場してくれるよう、祈っている。

■関連書籍ご案内
・ペソア読んでみたくなったという方へご案内

[新編]不穏の書、断章』(平凡社)

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まずは平凡社ライブラリーから出ている『[新編]」不穏の書、断章』をオススメ。ペソアの詩、異名者の詩、散文がたくさん載っています。しかも澤田直さんの訳が本当に素敵で痺れます。名言集みたいに読みやすく、お値段も1500円とお手頃です。ペソアの魅力がこの一冊に詰まっていて、とてもオススメ。この後に読むなら『ポルトガルの海 増補版』か『不安の書【増補版】』で決まりです。

不安の書【増補版】』(彩流社)

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『不安の書【増補版】』は沼です。①に上げた『[新編] 不穏の書、断章』は抄訳+澤田直さんが選ばれたペソアの詩、断章を一冊の本にしたものだですが、こちらはペソア『Livro do Desassossego』の全訳。『Livro do Desassossego』は様々な形で出版されているが、本書は2016年に倒産してしまった新思索社から刊行されていた『不安の書』の増補版で、686ページの大作!価格も高い(本体価格5200円)のですが、日々、違うペソアを見られるこの本こそ絶対に買っておいた方がいいと思います。増補部分はもちろん、訳者 高橋先生がまとめられた巻末の「断章集」はあの文どこだったけ?と思ったりして探すときにとても楽に探せるようになるすぐれもの。新思索社版をお持ちの方も持っておいて損はない増補版です。

アナーキストの銀行家』(彩流社)

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超級は『アナーキストの銀行家』。ペソアを知らずに入るときついですが、ペソアらしさを感じられる文が節々にあって、ペソアファンは絶対買いです。女性の異名者が出てくる作品も収録されていること、アナーキストの矛盾さを語る態度も含めて、実にペソアらしいものです。特に訳者前書きの素敵さはペソアにはまった人なら首肯せざるを得ないでしょう。

ちょっとペソアを見てみたいなって思ったけど本を買うまでは……という方
文中にも書きましたが、Twitterにフェルナンド・ペソアbotさんがいらっしゃいます。(なんとフォロワー8000人)
毎日、いくつもペソアの文や詩をTweetしてますので、こちらをフォローしてみるといいでしょう。毎日見てたら結果的に本を買うことになりますから。

・もうちょっとペソアのことを知りたいと思った人
山本貴光さんが最近書いてくださったこちらをご覧ください。彩流社の刊行イベントのために書いてもらった原稿ですが1万9千字あるので、覚悟してください。
もし、より知りたい場合は思潮社のペソア特集を見つけるのがいいと思いますが、中古市場でもほぼ見かけたことがないので、思潮社に重版希望を出して気長に待つしかないのがつらいところ。
もし英語orポルトガルができる方はフェルナンド・ペソア博物館HPをご覧ください。いろいろな情報が載っているようです。

■ペソアの詩など(独断と偏見で選びました)

「自分の人生が徐々に崩壊するのを、なりたかったものすべてがゆっくりと崩壊するのを人知れず見守った。自分の望んたことや、一瞬であれ夢見たことで、上の階から落ちて砕けた花瓶さながらに、窓の下でこなごなに砕け散らなかったものはない、と言うことができる。」
――『不安の書【増補版】』p.154より

『人生のあらゆる場所において、あらゆる状況と共同生活において、わたしはいつでも誰にとっても邪魔者だった。』
――『不安の書【増補版】』p.68より

「生きるとは別人になるということだ。」
――『不安の書【増補版】』p.119より

「世界は感じない人間のものだ」
――『不安の書【増補版】』p.188より

「臆病だというのは気高く、どう行動したらよいか分からないのは貴族的で、生きるための才覚がないのは偉大だ。」
――『不安の書【増補版】』p.424より

「ある者であることは牢獄だ
 僕であることはなにものかでないことだ
 僕は逃亡者として だが 生き生きと生きることだろう」

 ――『ポルトガルの海 増補版』p.38より

「生きることに向いてないということが、私の天才の徴かもしれないし、私の臆病さが洗練さの徴かもしれない。」
――『[新編] 不穏の書 断章』p.237より

「あらゆる人がわたしでないのが羨ましい。」
――『不安の書【増補版】』p.347より

「『ピクウィック遺文録』をすでに読んでいるというのは、わたしの人生の大悲劇のひとつだ。」
――『不安の書【増補版】』p.348より

「私たちには誰でも二つの人生がある。
真の人生は、子どものころ夢見ていたもの。
大人になっても、霧のなかで見つづけているもの。
偽の人生は、他の人びとと共有するもの。
実用生活、役に立つ暮らし。
棺桶のなかで終わる生。」

――『[新編] 不穏の書、断章』p.73より

I know not what tomorrow will bring.
(明日がわたしに何をもたらすかは知らない)

――『ペソア詩集』p.159より(ペソア絶筆の文)


■ペソア書籍一覧 

・『ポルトガルの海 増補版』(彩流社)

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・『ペソアと歩くリスボン』(彩流社)

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『[新編] 不穏の書、断章』(平凡社ライブラリー)
・『アナーキストの銀行家』(彩流社)
『不安の書 【増補版】』(彩流社)
・『ペソア詩集』(思潮社)→在庫僅少本で、現在はほぼ品切れと耳にしました。
・『現代詩手帖 1996年6月号』(品切)
『世界文学のフロンティア〈5〉私の謎』 (岩波書店)(品切)
『ゆめみるけんり』vol.2
『ゆめみるけんり』vol.3
『ゆめみるけんり』vol.4

フェルナンド・ペソア博物館HP(Casa Fernando Pessoa)

■関連書籍など(足りないものは後から足していきますのでご教示ください)
『リカルド・レイスの死の年』 ジョゼ・サラマーゴ 著 (彩流社)

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『フェルナンド・ペソア最後の三日間』 アントニオ・タブッキ 著 (青土社)(品切)
『夢のなかの夢』 アントニオ・タブッキ 著 (岩波文庫)

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・『ウズ・ルジアダス』 ルイス・デ・カモンイス 著 (白水社) (品切)
『分身入門』 鈴木創士 著  (作品社)
『離人小説集』 鈴木創士 著 (幻戯書房)
・『BRUTUS(ブルータス) 2020年1/15号No.907[危険な読書2020]』  (マガジンハウス) & 『本の雑誌437号2019年11月号』 (本の雑誌社)→いずれも山本貴光さんがペソアについて記事を書いています。
・『現代詩手帖 2015年 07 月号』(特集がペソアの異名者「アルヴァロ・デ・カンポス」)(Maho Kさん、情報ありがとうございます!)

20150630-7月号

・『フェルナンド・ペソーア研究 : ポエジーと文学理論をめぐって』(上掲の 『現代詩手帖』にて「海のオード」を訳されている渡辺一史さんによる論文です。
・『フェルナンド・ペソーアの詩学-「偽名」から「異名」への移行を巡って-』(後藤恵さんの論文です)

■関連記事など
『フェルナンド・ペソア著、高橋都彦訳『不安の書【増補版】』刊行記念トーク 杉田敦さん×山本貴光さん (於:紀伊國屋書店新宿本店九階イベントスペース)』
→記事のリンク先が消えていますが、残しておきたいのでそのままにしてます。
『【お知らせ】2019年8月7日 ペソア『不安の書【増補版】』刊行記念イベント 配布資料』
→記事のリンク先が消えていますが、残しておきたいのでそのままにしています。
『第50回 自伝のようなもの、どのようにしてペソアの『不安の書』の翻訳者になったのか?』
→記事のリンク先が消えていますが、残しておきたいのでそのままにしています。
『ポルトガルの国民的詩人フェルナンド・ペソアを記念して造られたワイン』
『フェルナンド・ペソアが、愛したコーヒー。』
『【本のはなし】作家の読書道 第28回:吉田 修一さん』
『誰でもない人』
『ポルトガルへの誘い 自分の中にある別人格発見 作家・川上弘美さん』
『TRANSIT40号 ポルトガル この世界の西の果てで』→いとうせいこうさんのペソア記事が出ています。

■その他
『カサベル・ティント』 (ペソアのラベルが貼ってあるポルトガルワイン。コロナでなのか在庫がなくなってしまいすごく残念…)
Pessoa Coffee Roasters (金沢にあるペソアの名前からとったコーヒー屋さん)
・『ペソアバッグ』(彩流社から発売していました(過去形))

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・『ペソアTシャツ』(彩流社より発売してました(過去形))


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最後にこれを引用して終わりにさせてください。

「ペソアの魅力は、その一句一行が他人の書いたものとはとうてい思えず、これを書いたのは自分ではないかという気にさせる点と不可分である。ここには自分の話が書かれている、これは自分と同じだ、などと思うことがあったらペソア・ウィルスに冒されたと疑ってみたほうがよい。」
――『ペソア詩集』思潮社p.142より


※完全に蛇足だけど書かないわけにはいかない追記(2020/4/22)
この文章は2020年の2月には書き終えていましたが、公開の時を逸してしまった可哀想な記事です。
まさか新型コロナウィルス感染拡大で、本の紹介まで躊躇せざるを得ない現実に直面するとは思わなかったのです。私が反感を抱き、嫌だなと感じていた世界がこんなに脆いとは想像できなかった。なのにそれに輪をかけて厄介なのは、その反感を抱き、嫌だと思う原因になる世界の問題を、世界はそのまま持ちながらこの現実に突入したということ。『不安の書』のタイトルが軽く感じるほどに、不安に満たされている現実だ。泣いちゃいそうなほどだけど、ポルトガルのワイン飲みながら生きていきます。  

※2023年5月追記
最近ペソアが好きすぎて我慢ならず、ペソアのショップを開きました↓。
当分はペソアだけ売る予定です。よろしくお願いいたします。


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