見出し画像

あの頃の私へ伝えたいこと

1994年、お笑い不毛といわれる地から関西へ
地元では4月だというのに
原っぱの雪解けのところからかすかにフキノトウの芽が出ていたのに
飛行機に乗って到着した地は桜吹雪で迎えてくれた

同じ日本でこれだけの差が
そしてこれだけで自分の世界が広がったように思えた18歳

すべてが新鮮で
寮の子たちとも和気あいあいと過ごし
進学した先の授業も楽しくて
バイトで仲良くなった男の人が彼氏になってくれたりして
なんだかすべてが自分中心に回っていた

1年後、就職
初めての一人暮らし
そこで壁にぶち当たる

朝から晩まで働いてサビ残なんてあたり前
それなのに休みは週1回のみだったから、その日は1日中寝て過ごしていた
そのころ携帯なんてなかったから、電話もままならない
友達や彼氏とは自然に付き合いが減っていった
給料は手取りで12万程度なのに親に仕送りもしていたから
貯金どころか食べるのにも困っていた

鬱屈した毎日

こんな生活が定年まであと40年もあるのかと思うと
19歳の時の私は生きることにうんざりしていた

今でこそ、とっとと辞めちまえよと思うのだが
その時代はバブルでいい思いをした中高年に
“苦労は勝手でもしろ”“石の上にも3年”と理不尽を押し付けられることが当たり前だった
お前らの時は働けば働くほど、ちゃんとお金になっていた時代だろうが!ボケが!!と今でも根に持っている

そんな絶望しかなかった日々
たまたま深夜のテレビで目にした“すんげー!Best10”という番組があった
今は無き2丁目劇場でのWA CHACHA LIVEで勝ち残ったコンビが放送されるとか何とかだったと思う

千原兄弟がMCをして
水玉れっぷう隊・G MENS・2丁拳銃・モストデンジャラスコンビ・ハリガネロック
高僧野々村・スミス夫人・野生爆弾・サバンナ・デモしかし
プラスチックゴーゴー・ドレス・中川家・しましまんず
5秒でぱっと思い浮かぶコンビでもこれだけいる

今は
解散して芸人を引退したり
別の事務所に移籍したり
新しいコンビを組んでM-1取ったり
M-1の審査員になったり
女優と結婚した後に女子アナと再婚してみたり
焼き肉や経営しつつタレントしてみたり

27年前には想像できなかった彼らの今

だけども1995年の当時
私は彼らにとても救われたのだ

お笑い不毛の地と言われるところで生まれ育った私は“お笑い”の意味が分からなかった
人に笑われて何が楽しいのかと
そんなにプライドを低くしてみじめじゃないのかと半ば軽蔑すらしていた

そんな思いを
“すんげー!Best10”は一掃してくれた
干からびた私の心に 笑いというたくさんの水を与えてくれた

お笑いってこんなに楽しいものなんだ!と劇場に通ったりするまではいかなかったが
それでもテレビで見ているだけでも十分に私の生活に潤いを与えてくれるものであった


それから27年後
まさか実際に劇場に足を運ぶまでになるとは思わなかったが(笑)

それもまた楽し


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?