古書店を愛する

古書店が好きです。本が好きなので、書物がたくさん並んでいる空間は、新本を扱う書店であれ、図書館であれ、どんなところでも好きですが、古書店は私にとって、とりわけ居心地の良い空間です。

新しい本が並んだ書店は、ありとあらゆる出版物が発散する「世の中に出てやるぞ」というエネルギーに満ちていて、それはそれでワクワクするものですが、古書店の「花も嵐も越えてきました、酸いも甘いも噛み締めてきました、今は一度ここで静かに休息しているけれど、また求められれば、知恵や知識を授けましょう」と控えめに書物が語りかけてくるような、賢者達と相対しているような静かなエネルギーに、なんだか安心するのです。

どんな人がこの本を所有していたのだろうか。この表紙を開き、ページを繰って、何を考え、思っただろうか。

色褪せた本を手にとって、うっすらと残る他者のエネルギーと繋がり、影と交信するような、微かな気味の悪さも古書店の魅力のひとつと感じます。

個人経営の、静かなお店が好みです。店主の方の趣味に従って、あちらこちらにちょっとずつクセが見え隠れするセレクションになっているお店は特に好きです。最近多いですが、片隅でコーヒーを出してくれるお店ならば尚更のこと好きです。

欲を言えば、そこに猫がいれば、もうそこに一生住みたいと思います。

現在地方の小都市に住まう私の近くには、残念ながらこれらの条件に合う店がなく、自分でそんな店をもてたら、きっと私はそこで生涯満足して暮らせるだろう、と妄想することしばしばです。

いつかどこかで…その夢を実現することができるとしたら、雰囲気を真似たい店があります。

私は若い時代のいくばくかを、アメリカ西海岸のある都市で過ごしましたが、その街のとある学生街にあった古書店です。

私が大好きだったその店は、学生街のメイン通りの最も忙しい角にありながら、中に入ると、そこだけ何か不思議な結界が張られているような、周辺から少し浮いているような、もしくは少し土に潜っているような、独特の空気感がありました。扉一枚を隔てて、ポンと静謐な空間に放り込まれたように感じ、それがとても心地よい場所でした。

店には数匹の猫がいて、猫に会いたい気持ちも手伝って、足繁く通いました。モフモフ達に遠慮がちにちょっかいを出しながら、多くの時間をあの店で過ごしたように思います。私の2番目の家のような場所でした。

猫達は、その可愛さのためか、それとも近所のフラタニティハウスの学生のおふざけかなにかだったのかはわかりませんが、バッグに入れられて拐われたことがあり、店では再発防止と万引き防止を兼ねて、大きな荷物は入り口で預けるルールになっていました。(猫は無事に戻ってきたようですが、なんともアメリカ的な話だと思ったものです)

バッグと引き換えに、照合札がわりの、半分に切ったトランプカードを受け取って店内に進めば、猫と古本と私の、静かで贅沢な時間の始まりです。

店のセレクションは大変エクレクティックで、言うなればなんでもあり、節操のない感じではありましたが、学生街の古書店らしく、多岐にわたる学術分野の、物理的にも内容的にも分厚く重い本もあれば、絵本やコミックを揃えたコーナーもあり、西海岸のリベラルな街らしく、ドラッグカルチャー書籍の品揃えが随分と良かったり、雨が多く降る都市のせいか、さまざまな手仕事の本が沢山取り揃えられていたり…

馴染みのあるカテゴリーも、そうでないものも、硬軟行ったり来たりしながら、興味のおもむくままに様々な本を手に取り、時にスツールに腰を落ち着けて読みこむうちに、気がつけば数時間が経っている。そんな店でした。

気ままに店内を闊歩し、書棚やショーウィンドウで眠る猫達と同等の自由が顧客にも付与されている懐の深い場所。

自分だけの世界を誰に侵されることもなく、誰の世界も侵さない時間。(猫達の境界線はしょっちゅう侵されていましたが…)

非常に内向的な私が、外へ外へ、前へ前へという圧力が高い社会でなんとか過ごしていくために必要としていたものを与えてくれた「解放区」だったのだな、と今振り返って思います。

もしもいつか、私の妄想が現実になる日が来るとしたら…私もその場に結界を張って、あの“be and let be” の気風で満たし、誰かの解放区になりうるような古書店を開きたいなあ。

と希望をここに置いてみようっと。

ご縁あって読んでくださった方へ。ありがとうございます。

愛をこめて
まきゅう

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