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A storm in a teacup

こんにちは、まこです。


始めてみたものの、パソコンではなかなかうまく投稿できません。。

しばらく苦戦しそうです。



さて、最近は人として、女性として、言語聴覚士として、いずれにおいてもスランプといいましょうか、うまくいかない時期がつづいていました。

分かっていてもあがいてしまうんですよね,うまくいかない、じゃぁこうすればどうだ、と。そうしてあらゆる角度から崩れていき、すがる思いでここに来たのですが。


そうして気分転換のつもりで海にきた私は、いつか夢を叶えた男性の事をふと思い出しました。


その方はとにかくいろいろな疾患が重なり、緊急入院の後にも生死をさまよい、胃瘻を造設され、実に1年以上も経口摂取がかなわないまま経過していました。

それでもなんとか杖や歩行器などでの歩行も可能となってき始め、自宅退院のめどがたち、ケアマネからの依頼を受け退院時カンファレンスに参加した私。

言語聴覚士として挨拶をし、何をするのか説明していく中で、訓練に用いる事もあるだろうからとふと食の嗜好を尋ねようとしたとき、

「何を言ったって、どうせ食えねぇんだろ?しったこっちゃねぇよ。」

と少々乱暴な浜言葉で、その一点張り以上何も答えようとしないその方に対し、

「いいえ、食べていただきます。そのための私です。何もせぬ前から食べたくない、信じられない、現状を変えたくないというならばどうぞ、お断りいただいて結構です。」

と喧嘩腰で応戦したっけ。笑

もちろん、全員にこんな話し方をするわけではありません。私たちはコミュニケーションのプロとして育てられ、またそれをリハビリしていく人間ですから、あらゆる手を使ってその場の空気を自分次第で調整する事もします。

声のトーン、話速度、口調、言葉選び、誰に何をどこまでどのように話すのか、全て計算して進めるのが言語聴覚士。

どうやってその人の心をこじ開けて、こちらに向けられるか。これだけが結果を決めている気さえします。リハビリはセラピストだけでは無力であり、相手の気持ちがあってこそはじめて結果に繋がるのです。

このかたは退院時カンファレンスの際には声量も十分、舌の動きもまずまずの様子だったので、諸々の仮定をふまえ1年あれば常食まであげられるとほぼ確信したからでた台詞でした。

結果的に、リハビリ開始当初はとろみ茶2cc1回、でしかなかった摂取量が、約7ヶ月で、千葉の海辺に一緒に寿司を食べにいけたんですよね。

あの時に涙をうかべながら何度も何度もありがとうといってくださったこと。

「リハビリを続けてきてよかった。次はああしたい、こうしたいという目標ができたよ。」と前向きな言葉が聞けたこと。

そしてこの方を取り巻く環境が本当に望ましいものであった事。とても理解のあるケアマネに、検査に協力的な主治医、食形態等を細かく指定しても用意してくださるご家族に支えられ、このかたは驚くほど短期間で胃瘻を卒業し、3食経口摂取を再獲得できたのです。


セラピストは無力です。少しのヒントと道標を小さくたてるだけが精一杯かもしれません。それすらないこともあるかもしれない。それでも私たちのこんなささやかな働きかけで、だれかの人生がこんなにも大きく変わる。


私の「原点」がこうして増えてきたのです。そのおかげで日常のいろいろな場面で、こうしてふと思いがけず原点にかえる事が出来る。

私の抱える問題なんて、きっとたいした事はない。きっとほんとうにちっぽけ…ともいえないかもしれませんが、そんなことでぐるぐるしているより、またこうして誰かが笑顔になるのを見たい。

それが私のリアルだと、また前を向けそうです。

私の人生の質は、目の前の方の笑顔で高まる。さあ、自分にしか出来ないことを探しにいかなければ。

と、こうして私は、いつもみなさまに支えられて生きています。



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