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砂漠の国からみた、日本


10代の頃、この日本がとてもイヤだった時期がある。
   すぐ群れる。 
   出る杭を打つ。
   空気を読んで自分を殺す。
   横並び。
   でも縦社会。 
ああ、本当に嫌だ。
今でもこれらは私の座右の銘には生涯入らないであろうフレーズ群だ。だが当時の私は思いっきり若かったのだろう。日本はどうもこういう特徴が色濃いらしいと知ると、今なんかとは比べものにならないほど辟易したものだった。嫌いだ日本。
もっと外国を知りたいなと思っていたのも、そこが根底にあったように思う。

そこで私はどうしたかというと、なぜだか激しくイスラエルに傾倒していったのである。なぜ。なぜゆえにイスラエル……。
それは、たまたまよく研究室へ遊びにいった哲学の教授が神学者だったので、わかりやすく影響されたのだった。とてもユニークな先生で、研究室の蔵書を片っ端から読んでよいと言われて貪り読んだ時期があった。
とりわけ面白かったのがユダヤ教徒の考え方だった。かっこいい! 個人主義万歳! 実にドライ。実にクレバー。自分の考えがしっかりしてる。周りに流されない。こうありたいな、日本人も!


そこで気がついたら、彼の地、イスラエルに立っていたのであった。それは私が22歳のときのこと。
そして私はそこで死に直結するような重大なミスを犯したのだった。

その日は、安息日(シャバット)だった。
シャバットとはユダヤ教の休日のこと。単純に「休み」といっても、それは筋金入りの戒律の日であり、毎週金曜日の夕方から土曜日の夕方までまるまる1日中、労働そのものを徹底的に禁じられている。火を使ってはならないし、機械も動かしてはならない(電気の使用は火の使用と同じ)。当然、エレベーターも動かしてはならない(シャバット専用エレベーターは動く。ボタンを押すという労働をしなくてもいいエレベーター。すなわち自動式各階止まりだ)。ほかにも携帯、インターネット、テレビや電子レンジ、もちろんバス、自動車もNG。火を使わない夕食を済ませたらユダヤ教会へ行ってお祈りをするのであるが、決められた歩数以上は歩いてはいけないため、皆さん教会の近くにお住まいなのだそう(たくさん歩くと労働になるんだろうね)。
「な……難儀なんだな……」と異教徒……いや無信仰の私は、思わず呟かずにはいられないのである。
しかし他人事ではない。旅行者にとってパンチが効いているのは、ほぼすべての交通機関がストップし、ほぼすべての店が閉まるという衝撃の事実だ。まる一日だよ。そりゃ観光客へのサービスもれっきとした労働なのだから、よくよく考えたらお休みなのもわかる。でもシャバットは週に1回もあるのだ。曜日の感覚を失いがちの長期旅行中、うっかりしているとすぐにその日にぶちあたる。

さて私のやらかしは、そう、シャバットが始まるのに外を出歩いたことだった。
カラリとした青空の下、サーモンピンク色の砂の街を散策した後に、遅めのランチをとった。そして店を出た後にふと気がついたら、どの店も、先ほど食べたレストランでさえも振り返ったらぴっちりと閉まっている。行きの道程では賑わっていた街も、まるで人影がない。ゴーストタウンのよう。これこそシャバットの前触れと気がついたのは後の祭りだった(夕方からスタートと聞いていたのだが、店は1時頃から閉まり始めるのだ。……そんな!)。

この国境の街、エイラットは、右に見えるはヨルダンで奥に霞むはエジプトと、バリバリの砂漠のど真ん中。常にドライヤーの熱風(しかもターボモード)が全身に吹き付けている暑さ、いや熱さなのである。
宿まで徒歩で30分以上。調子に乗って散歩をしすぎた。
そして気がつくと500mlのペットボトルの水が半分を切っている。私の体から出た水分は、肌から吹き出たその瞬間に激しい乾燥のために一瞬で消え去るので、汗をかいている実感がまるでない。けれども手元を見るたびに、ペットボトルの水位がどんどんと下がっている。無意識にどんどん飲んでいたのだ。この調子だと、数分後にはなくなる予想。……ど、どうする。どこで水を手に入れる……!
なんてキョロキョロとしながら彷徨っているうちに、とうとうボトルの水は完全になくなった。喉がカラカラになってからすぐに、自分の心臓の音がドックンドックンと耳元で大きく脈打ち、砂漠の街がゆるりと歪んだのか眩しく見えたのかグッと目を瞑ったところで、頭が突然キーンと鳴った。
その後の記憶は曖昧なのだが、気がついたらどこかの薄暗い店の中でペットボトルの水をがぶ飲みしている自分がいるところから再び記憶が繋がる。店の外はギラギラした日差し。一方、暗がりの店内では笑っている黒いヒゲの男たちがいる。私のもう片手には財布。
そう。なんとかやっと一軒、アラブ人経営の商店を町の外れで見つけたらしい、私(そこまでの記憶がない)。彼らはユダヤ教徒ではないので金曜日でも経営していたのである。もはやどの神だかわからないけれど、なんとか神の采配で命を繋いだのだった。助かった。こうして、行き倒れずに済んだわけだ。

正直、ショックだった。水には気をつけていたが、こんなにたった数十分で死にそうになるとは。そしてほとんどの店が昼には閉まるとは!


なんとか宿に戻り、落ち着いてきた私がベッドの上で思い出したのは、哲学の教授から借りた本のフレーズ。
それは「神は怒ってらっしゃる」という言葉だった。うんうん。今なら、わかる。その言葉。その感覚は私も身をもって知った。
うっかり、水の量を計算し損ねただけで死と真っ正面から対峙する事になるとはね……!

そして、そのフレーズの続きは、こうだった。
「神は怒ってらっしゃるから、私たちは生き残るために神と契約を交わした。汝、殺してはならない。汝、盗んではならない。汝、姦淫してはならない。汝、……。これらの約束を守るから、神よどうか命を取らないでください」と。

そうか。ここの人たちにとって、自然は「怒り」だと受け止められていたんだな……。確かにあの痛いほどの太陽。乾ききった不毛の土地、哺乳類にとって死の世界……。怒っていると捉えても無理はない。どうか命だけはと思うだろう。
個人がそれぞれに自分の生存をかけて神との誓いを交わす。だから当時の私には眩しかった、あの個人主義が育ったのだ。周りは知らない。とりあえず自分は神との契約を果たすから、殺さないでほしい。約束します……!
……ああ、だから欧米人はあんなに山積みになるほど契約書を交わすのか。

そして、ふと思い浮かぶのは、あれだけ嫌っていた日本だった。
もちろん日本だって自然の脅威にされられることはある。
しかし、屋久島のみずみずしい樹海、富士の透き通って滑らかな清流、青い静かな海、荒れ狂う海。よく遊んだ土手のれんげ草に、川のせせらぎ、きらめき。大粒の雨。水が地表をほとばしり、緑豊かな木々の木漏れ日、葉のざわめき。
なんて、なんて日本は豊かな国なのだろう。
こちらの神はなんだか厳しい方が1人しかいらっしゃらないけれど、日本はいったい何ごとだ。八百万(やおおろず)の神って……。いすぎじゃない!? でも、そんなにここかしこにいてくれて、800ではないんだよ、800万もの神と仲良くしていた日本人。そりゃ、考え方も違うよね。


……ああ、私は正反対の国に来たのだなぁと思った。
一神教の国、イスラエルにこんなにも惹かれたのは、もしかして真逆だからこそ。愛しさ余って憎さ百倍。イスラエルに憧れて追い求めることで、私は母なる国、日本の輪郭をなぞっていたのではないだろうか。私は日本を心の底ではもっと探りたかったのではなかろうか。本当は好きになりたかったのではないか……と、遠い遠い国の安宿の中でぼんやりと祖国について考えたのであった。

旅から帰ってきて、相変わらず日本の集団主義に、うんざりすることは多々ある。でも、なんだかあれほどの嫌悪感は無くなった。かつての日本人は「神」とではなく、自らの生存をかけて「村」社会と契約したのだから、常に集団の目が気になるのも仕方がないのだ。

そして振り返るならば、あのときの感情は反抗期みたいなもので、思春期になって親にうんざりしたり、よそんちのママはいいなぁと指をくわえる子どものような感情だったのかもしれない。社会に出たてのそのストレスを、日本のせいにしただけだったのかもしれない。

そして、あの旅で本当に得たのものは。この日本の豊かさ。
何と言ってもそこかしこに800万柱(ばしら)も神様がいるのだから。日々、よく目を凝らして神様を探していきたいと思っている。



ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️