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脳内ジャングル


この前YouTubeで、『懐かしアニメ、第1話特集』を観ていた旦那さん。そこを通りがかった私の耳に、ふとある音楽が飛び込んできた。
「!」
私はそれに激しく反応するとともに、洗濯物を放り出して声高らかに歌い出しているのである!
(え、このアニメ。なんだっけ? なんでオープニングをこんなに歌えるの?)
画面を見ているうちと、幼稚園の時分に観ていたような記憶がうっすらと浮かんできた。園庭で、このアニメの「ごっこ遊び」をしていた自分も出てきた。
しかしそれよりも何よりも、前奏だけでここまでスラスラとメロディと歌詞が寸分違わず出てくることに驚愕だ。歌のシメの決めゼリフまで、バッチリクリア。なんてことだ。私の小さな脳の中に、こんな歌が40年近くも褪せることなく保管されていたなんて……! これぞまさしく脳の神秘!


話は変わるが、昔、2人の息子がそれぞれ2歳と1歳のとき、義父の退職祝いに旅をしたことがある。義母はもう他界しているので、義父と私たち一家の5人旅行だ。
選んだ場所は……ボルネオ。そう。そこで私たちは、ジャングルとサンゴ礁の島(シパダン)の2カ所を堪能したのだった。

サンゴ礁の島はともかく、はい、指摘されるべきはジャングルでしょう。
乳飲み子を連れて、どうしてそんなところを選んだのかと問われると、私たち夫婦にとって初めての場所ではないので、色々と勝手がわかって安全(?)だから。どの宿泊地も近くにヘリポートがあり、ヘリを使えば大きな病院があるのも知っているから。そしてボルネオは、自然好きな父にうってつけの場所だと思ったからだ(義父のお祝いと称しながらも、結果として彼の役割は赤ちゃんサポーターの一員になってしまったのだが)。
ボルネオで日本人に会うと「どうしてまた……こんなところに赤ちゃん連れで」と実際に言う人や、あからさまに顔に出している人が多い。だが海外を旅行していると、結構皆さん赤子を背負ってアルプスの山の中を歩いていたりだとか(そんなに標高が高くないところ)、ベビーと砂漠の街に来ている欧米人だとかを見かけるから、ま、なんとかなるでしょうと思った。

実際、ジャングルの奥地にあるロッジ(とてもクリーンで、お高い!)では、使い込まれたベビーベッドやベビーチェアも頼めば出てきたので、ここに来る赤ちゃん連れは私たちだけではないのだと知る。スタッフやガイド、お客さんたちですらもごく自然に歓迎してくれた。
このロッジにはオラウータンの巣が近くにいくつかあるので、よくNHK取材班が撮影のために何ヶ月も泊まるそうだ。私たちはそこで東工大学の類人猿の研究員の方と話をしたこともある。ロッジを出たら、オラウータンのボスにばったり遭遇した。そんなような場所だ。
なに。赤子がいたとしても、雨季なので飛びかかるタイガーリーチ(ヒル)にさえ気をつければ大丈夫。布でぐるぐる巻いて、息子たちがヒルに肌を吸われないように注意する(その代わり私は吸われた。たっぷり……。ロッジのスタッフから「献血感謝状」をもらった)。気をつけるのは、そんなところぐらい。



シトシトと雨が降る中、朝のジャングルを散策していたときのこと。
早朝から元気に木々を飛び移る猿たちに追い越されながら、野生のゾウには今回会えないかなぁだとか、ヒゲイノシシ、マメジカなどの面白動物たち、カラフルだったり、口ばしが大きかったりする鳥たち、珍しい昆虫などをキョロキョロ探しながら歩く。7、80メートル以上はゆうにある樹々に囲まれていると、とてつもなく天井の高い巨大なドームの中にいるようだ。自分たちがとてもちっぽけで、なんだか楽しい。

旦那さんがボソッと言った。
「こんな小さいんだから、子どもたちはジャングルのことは覚えてないよなぁ」
私はお腹にくくりつけている子どもに雨粒がかからないようにしながら、遥か空までそびえる樹々を見上げて答えた。
「どうだろう。でも、今この子たちはこの世界をものすごい勢いで吸収しているわけじゃない? 頭のどこかにこの広大なジャングルのためのスペースができるんじゃないのかな」
何かのきっかけで、例えばジャングルの写真なんかを見たときに、行ったことのない人よりかは遥かに鮮明に、遠くまで響く鳥や猿の鳴き声だとか、土や雨、苔の匂い、樹々のドーム、そんなものを引き出すことがあるのかもしれない。脳のどこかで、いつまでもこの自然の豊かさが形跡を残しているかもしれない。
どうせ子どもにはわからないよ、なんてことはないのだ。
私たちよりも遥かに子どものほうが細かく鮮明に、ジャングルを刻み込んでいる可能性だって捨てきれないのだ。


先日、その大きくなった息子が期末テストの勉強をしながら言った。
「ねぇ。昔さ、旅していた時に、こんな高床式倉庫みたいな家に暮らしていた人たちいたよね」と教科書を指差す。
「んん? ……カンボジアの話?」
「そう……たぶん。カンボジア」と息子。
「子ども達がいっぱい地べたに座っていたの覚えている?」と私。
「うん……なんとなく」
そう。実は彼らが小学校3、4年生のとき、本気のバックパッカー旅行をしたのだった。タイをスタートにカンボジア、ベトナムと重たい荷物を背負って、陸路で国境を超えながら3週間ほどの旅をした。
道中のカンボジアで、それまでと比べてもとても貧しそうな村の横をバスで通ったのだが、子どもは何の反応もせず、気にもとめていない様子でボーッと窓の外を見ていた。私もあえて貧しさや豊かさについては語らなかった。覚えているといいな、いつか話せるといいな、と思いながら。
でも、しっかりと頭の中にはあの数分間が残っていた。高床式倉庫の絵を見て、引き出されたのだ。


確かに10歳に近い子の記憶と、1、2歳の子の記憶力はまったく違うのかもしれない。
「あのお金のかかったジャングル旅行を、さぁ思い出せ!」と言っても乱暴な話だ。でも脳のどこかで、あの濃密な空気を吸った記憶が眠っているとするとなんだか素敵だ。

今、リビングに寝転んで呑気にテレビゲームに熱中しているこの子の中に、どれぐらいのジャングルが、村が、山々が、海が潜んでいるかはわからないけれど。
親が連れて歩く時期は終わったので、あとは自分で、昔見た世界をたどりに行ってもいいし、さらなる深みを追い求めてもいい。もう十分だと、行かなくてもいい。



ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️