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だって宇宙が……。


大学で「宇宙論」を選択していたことがある。
その授業は文系の生徒でも受講できるというもので、数学が苦手な私でもとてもわかりやすい内容だった。おそるおそる門を叩いたものだが、E=mc2……なんていう難しい数式が出なくてホッとしたものだ。

素粒子の研究をしていたその教授はとてもロマンチストな素敵な人で、ホーキングとも仕事をしたこともあるという宇宙物理学者。
その彼が語っていたことでとても印象的だったのがこれだ。

「最初にこの宇宙が生まれたとき。光から誕生したのは水素原子だった。
その水素原子が寄せ集まって星になり、星の内部で原子核反応を起こしながら、あらゆる元素を作り出していた。そのうち、その内部の原子核が燃え尽きてバランスを失った星は、爆発する。同時に、中の元素は宇宙にばらまかれたのだ。
そうやって宇宙に散った元素が再び集まって凝縮したときに、太陽や地球が生まれたんだよね」
淡々と教授は続ける。
「つまりだ。一番最初にできた星が一生を終えたとき、その『星のかけら』から生まれたのが私たちということ。私たちの体を作っているすべての物質は宇宙の初期につくられたものなのだ。
私たちの体には宇宙150億年の歴史が刻まれており、私たちの一生は、宇宙進化の中のひとつの『すがた』であり、『永遠』なるものとつながっていると考えてもいいのかもしれない」
とても静かに語る彼だったが、熱意はひしひしと伝わってきた。
私の体は階段教室の机に座っていながらにして、まるでふわりと宇宙に浮かんだような気分になり、脳裏には漆黒の中に輝きながら渦巻く銀河系がありありと見えた。
「なるほど……! 私はすでに宇宙の一部なのだな」と心の底から納得したのだ。


それから月日が少し流れて。
二十代の私は、人生最大の苦しみを味わっていた。
手っ取り早く言えば、父が急死したために穴の開いた(母方の)祖父の会社に、一時的に私が入らなければならなくなったのだ。
跡取りの父がもういないので、祖父はその小さな会社を近いうちにたたむことは決まっていた。しかし父がいなくなってからすでに数年で出来上がった借金があるので、祖父は会社をたためない。そこで私は負債を埋めるために、祖父からヘルプを求められたのだ。

そもそも祖父は自分の代で、その会社を止めるつもりだった。しかし事業を失敗した義理の息子とその家族を救うために、無理に父を雇い、再出発をせざるを得なかった祖父。それなのに再スタートを切った最中、突然に父が死んでしまって、会社は大打撃を受けたのだ。
父を無理に雇ったために借金もある。我が家を助けてくれた恩義もある。だからなんとかして祖父を助けたいし、穴埋めをしたい!……という思いから私は立ち上がったのだが、甘かった。

もう跡取り息子はいないとわかってからの、周囲の企業はあまりに冷たかった。
「年寄りとお嬢さん(私のことだ)があがいたところで、何ができるのだ」とハッキリ言う会社もあった。
しかもだ。内部で、なぜか私への大きな裏切りがあった。私の入社をこころよく思っていない人が、一人いたのだ。いい年をした大人で、しかも社内の重鎮なのだが、その人は自分が会社を継ぐ気も立て直す気もないのに、女の私がノコノコ入ってきて張り切り回るのが気に入らないらしい。私の頑張っていた新規事業を根底から潰しにかかろうとしているのだ。バカなのか? この会社が潰れてもいいのだろうか……。彼に足を引っ張られることが何度もあり、そのことで「あの人をなんとかしてくれ」と、大好きな祖父と度々ぶつからなければならないのも辛かった。
当時の日記を開くと、「つらい」「苦しい」といった言葉が延々と書き連ねられていた。数日前の日記をめくっても、その前の日記をめくっても同じ単語が続く。

そのとき、たとえどんなに恩義を感じた人だとしても、「情」に走って安請け合いしてはダメなことをよく学んだ。とりわけ、仕事や結婚のような、自分の人生や生活に関わる大きなことに関しては、義理人情では歯が立たない。心から楽しめないものには手を出してはならないのだ。
そして人間は、どんなに頭で奮い立てても、希望や夢がないと前に進めないのを知った。残務処理のためだけに入った会社。負債を返すためだけに働くことがこんなに辛いとは思わなかった。さらには周囲の企業から否定され、内部から足を引っ張られて、借金が減る気がしない。光明がまったく見えないのだ。正直に言うと、たとえ父が開けた穴だとしても、その負債を自分が作ったわけでもないのが、さらに私を苦しめたのかもしれない。
だってこの後に、私には何も残らないのだ。もちろん人生にまったくの無駄はないのかもしれない。この苦労は何かの糧になるのだろうと毎日自分に言い聞かせていた。だが、どうしても実際に得るものを実感できないのは、光が見えないのは、本当に地獄だった。

その日も、どこかのカフェで苦しみをノートにぶちまけていた私。そして力尽きて、ノートの上に突っ伏してしまった。そのときだ。
もう本当に苦しくて極まったときに、なぜか、あの教授の言葉が私の頭をよぎった。そう。あのときの講義の最中のように、私の眼前に、バーン!と光り輝く銀河系が浮かんだのだ。

「……そうか。あれ? 待てよ。こんなに私が苦しいってことは……、これって宇宙にとってもよくないんじゃないの?」
今思えば、笑ってしまう台詞なのだが、そのときは本気も本気。大マジなのである。何しろ、あの講義から私は、自分が宇宙の構成要素だと思い込んでいるのである。そして実際に科学的にもそうなのである。
「……宇宙の一部である私がこんなに辛いのだから、これは宇宙を苦しめているってことではないのか」
どんなに言い直してみても、今思えば笑える。実際に、当時はどうかしてたのかもしれない。でも、まずいことにストンと腑に落ちてしまったのだ。その台詞。
「宇宙の摂理に……宇宙の真理に反することだから、これは辞めるしかないんじゃないのか」と私。
またもや私の能天気遺伝子が苦しみに耐えかねて、こんな素っ頓狂な言い訳をひねり出してしまったのだろう。そう、私は辞めるための理由が欲しかっただけなのだが、それにしても宇宙を引っ張り出すとは自分でも思わなかった。

そしてすぐに、いそいそと祖父に頭を下げに行った次第。
もちろん私も常識はあるつもりだ。「宇宙が」「宇宙で」「私の宇宙を」などと言って、周囲を説得したわけではない。
祖父も私の限界がわかっていたのだろう。社内に反対分子がいる限り、作業が膠着してしまうのも理由の一つだ。すぐに辞職を許可された。
結局、祖父はなんとかこの後、自力で負債を埋めたのであるから、私は本当に尊敬する。申し訳なかったな、と今でも思う。

しかし、こんなことを大真面目に書いていて笑ってしまうのだが、この「マイ宇宙論」は、現在も私の根幹を貫いてしまっているのだから、困ったね。
そう。今でも「私=宇宙」で動いているから、タチが悪いと思う。
何様のつもりなのだ、私は一体。
でも、だって私は宇宙の一部なのだからして、これは動かしようもない事実なのだ。



ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️