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氷河の教え


「なぜ父は死を選んだのだろうか」
それは若い頃の私の頭を占める大きな疑問だった。


大阪に単身赴任していた父と最後に会ったとき、サインはあった。父の足がパンパンにむくんでいたのだ。
「わぁ、ゾウみたいだよ! それどうしたの、それ。病院に行ったほうがいいよ!」と私は言ったが、父は「えっ、そう?」と、とぼけるばかり。
それから何日か経って、私が通っている漢方の先生に父の足のことについて話してみたのだが、先生は「すぐ病院に行ったほうがいい」と言ったのだった。
私は大阪にいる父に電話でその旨を伝えたのだが、その数日後には父は他界した。
事務所で倒れて死んでいるのを、警察が発見してくれたのだった。
まだ若い私には、あのむくんだ足が死に至るほどだとは露ほども思っていなかった。

大阪の警察に駆けつけて知ったのは、父は自らの病気を承知していたのだということ。病状を家族にも会社にも伏せて単身赴任の地へ向かったのだと、東京の病院から警察に送られてきた診断書でわかった。財布の中に診察カードがあったのだ。

数年前にバブルは崩壊し、父の経営していた会社はまもなく潰れた。借金の肩に家は売ったし、親戚や周囲の信用も大きく失った。
そしてなんとか新しい仕事についたとき、そこに大きな病の知らせが来たのだろう。
彼は入院して、さらに家族に迷惑をかけたくなかったのかもしれない。
私たちが気づいて病院に突っ込んでいれば、もっともっと長く生きることのできた病気だった。しかしそうしなかったのは、長く生きられるが病人生活、それを彼は望まなかったということだろうか。
あるいは、もういろいろと絶望して、この世を去りたかったのかもしれない。それぐらいたくさんのことが起こった後だったからだ。

さらっと書くと数行だが、私の(ガラスの)十代はそれこそ本になるほど愉快ではないことがいろいろと起こる日々だった(よくある話だろうから、売れそうにもない本だが!)。
借金取りが家にきたことも何度もあるし、嫌がらせとして近所中を騒いでまわったときもあった。母を守るために大好きな父と対立することも何度もあるし、悲しい言葉を投げ合ったこともあった。たくさん泣いたし、大人のギョッとする本音もたくさん聞いてきたし、お金の怖さも知った。人が変わるのも見た。いろいろあった。

当時の若い私にはわかるようで、わかりたくもなかった疑問が渦巻いていた。いや。実のところは、わからなかったのかもしれない。だから考え続けたのだ。
なぜ、父は死を選んだのか。なぜ、こんなことになったのか。どうしたらよかったのか。そもそも何が悪かったのか。なぜ、事業は失敗したのか。なぜ、あんな人を信じたのか。なぜ、あのときあの人はあんなことを言ったのか。なぜ、こんなにも人間関係がこじれたのか。
なぜ、なぜ、なぜ。

そしてふと暇さえあれば、その問いが雫のようにしたたり落ちて心を乱し、私の足下から波紋のように不穏に広がっていく。幸せなとき、笑っているとき、自分が未来に向かって頑張ろうとしているとき……。


しかしあるとき、それが解消された瞬間があったのだ。

それは、一人でスイスのアルプスにいたときだった。
私は山岳鉄道に乗って、山頂近くの駅にいた。その駅は、山小屋風の小さな可愛い宿とレストランが併設されており、重い荷物を背負うバックパッカーには誠にありがたーい宿だった。

標高も高く、空気も清らか。外はまだ明るく、晩御飯まで時間があったので、私はてくてくと歩き出した。
周囲はまさに「ジ・アルプス」の斜面で、もう、ありとあらゆるところからハイジやユキちゃん(ハイジの子羊)がスキップしながら飛び出してきてもおかしくなかった。どこまでも下へと続いてゆく草原や白い岩、森、小豆ほどに小さく見える牛たちや羊たち。そして見上げると、私の右手には大きな大きな氷河があった。私は氷河をしばし眺めると、魅入られるように歩き出し、どんどんと歩を進めていった。

氷河は何百年も何千年も少しも変わらずそこにあるはず。だからピクリとも動きもしないのに、ずっと目が離せないのはなぜだ。あまりに巨大だからか。すぐそこにあるようで、なかなか近づけない。その真っ白く、所々淡く青く深い、とにかく大きいものを目指して私は歩いた。

時折山の麓からは、かすかにカウベルの音が聞こえ、あとはゴウゴウと鳴る風の音。冷たい山から降りてくる空気に頰は撫でられるが、歩きつめているので体は暖かかった。汗ばむほどだ。

黙々と歩きながら、晩ご飯や、鉄道のこと、明日の旅程のことがふわりと浮かんでは去っていった。歩いても歩いても近づける気のしない氷河に向かっていくことに一生懸命だった。そのうち、やはりまた、いつものように父の顔も浮かんできた。

そのときだ。ふと、頭上からはっきりとした声がしたのだ。
その声はこう言った。優しい響きで。
「あれは、あれでいいのだ」と。
びっくりした。

自分が自分で答えを出したときの心の声という感じではなかった。
考えに考え抜いてたどり着いた結論といったものでもない。
自分の外から、いや、まさに上から降りてきたそんな声。
しかしとても腹のそこに響く、心の一番深いところに繋がる、腑に落ちる一言だった。

私は思わず足を止めて、
「そうか。あれはあれでいいんだ」と、そして
「すごい」と呟いた。
足元には小さな花々が、こんな標高でも健気に咲いていて、涙で歪んでいる。

誰も、父も、私も、母も、祖母も、叔父も、祖父も、共同経営者も、判子を押すように迫ったあの人も、借金取りも、誰も間違っていたわけじゃなかったのだ。すべては流れのままにあったのだ……。
死を選んだのも間違いじゃないし、誰もが精一杯生きた結果だったのだ。なるようになったのだ。仕方がなかったのだ。

我に返るとまたゴウゴウと風の音が鳴り、目の前には大きな大きな氷河があった。


あれは人生では何度となくある、宇宙に繋がる瞬間だったと思っている。
普段、私は金魚鉢を被っているようなもので、そのガラスの中で必死に考えているのだが、鉢の中でぐるぐると思考は空回っている。
しかしあるとき、ふっと力みが抜けていて金魚鉢の中もクリア。頭でっかちな思考から解放されているときに、ポンと答えが返ってくることがある。
それは自然の中で起きることが多い。
ほかにも街中で不意にやってくることや、皿を無心で洗っているときなどにもあるが、やはり自然の助けは大きい気がする。

なぜなら自然は、もはや頭で考えられる規模をはるかに超えている。自然に包まれて一体となって身を委ねていると、ちっぽけな人間の無駄で余計な思考は削がれていく。無心。そして、そんなひょんな瞬間に宇宙に繋がるのではと、思っている。

それ以来、私の旅がどんどんと秘境へ、自然の深い方へ行ったのは、このような体験があったのも一因だ。
一人で、森や氷河や海や山などと一体になるとき。自然に身を委ね、大きな宇宙の中にふよふよと浮かんでいるとき。
私はとても大きなものとつながって、ふと真理を垣間見れることを知ってしまったからなのだ。



ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️