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日常記憶との出会い直し

近頃、出会うべくして出会ったと思える人たちに囲まれて生活している実感があり、以前よりも自分らしい人生を歩めているように思います。

昔は、自分の実現したいと思う未来に向かって生きることだけが、自分らしく生きることを可能にするように思っていたのですが、それだけだとどこか苦しいと感じていたのです。

現在は、無理のない範囲で過ごす日常の中で、より自分に合った選択が出来た時に、自分らしさを発見して喜べるようになりました。

人に出会ってひらける世界

先週、入江杏さんの講座『悲しみを生きる力に』へ参加しました。

私自身は、最近出会った人たちと出会っていなかったら、もしかしたら今の自分にはならずに、この場へ足を運んでいなかった可能性があります。

縁という事柄は、それ自体が私をどこかへ運んでくれるような力を内在しているのかもしれないです。例えば、チケットがあっても、意欲がなければ人はそのチケットを使えないのではないでしょうか。私が場に参加してみようと思えたのは、縁の力なのだろうと思うのです。

自発的なナラティブとデザイン

講座の中で、杏さんが誰に向かってどのように伝えるかといったお話をしていたことが印象的でした。

どんな場所で、誰の前で、何を語るか。それが、その人自身が何者かを表す側面があるように思います。

語りそのものを、それを聞く人とデザインしていく過程がナラティブの本質的なところでもあるのかもしれない、そんな発見をしました。

講座の帰りにエレベーターで、同じ講座に参加した女性と乗り合わせ、一緒に新宿駅まで歩きました。お互いにほんの少しの間悲しみを分かち合って、エールを贈り合い、別れました。

公認されない悲嘆・あいまいな喪失と生きてきたこと

いくつかのキーワードが気になって杏さんの講座に参加したのですが、中でも「公認されない悲嘆」や「あいまいな喪失」について知れたことが自分にとっては大きな収穫となりました。

あいまいな喪失には2つのタイプがあるようです。

言葉を知り、知識を得ることで、物事を捉える解像度が上がる場合があり、そのようにしてしか、救えない自分もいるように感じました。

あの頃の私の「日常記憶地図」

少し前から、サトウアヤコさんによる『日常記憶地図ノート』を使って、いつかの日常を振り返っています。

「公認されない悲嘆」「あいまいな喪失」以外にも、多くの困難に見舞われた学生時代に、私を私らしく育ててここまで届けてくれた環境は、現在住んでいる東京からはそこそこ距離が離れているけれども、感覚的には今でも身近に存在している場所です。

そこで過ごした日常記憶を纏めているのですが、実際によく歩いた場所などを書き進めていくうちに、こうした日常をさらなる困難によって喪失したことが自分の中では確かに大きな体験だったのだと、現実的な感覚として掴めたように思いました。


人は人に出会い、その縁によって、過去にも新たに出会い直す。

そんな風に、記憶のアップデートが生じることがある。近頃は、様々な経験を通して、それを知ることができています。


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mako | Designer , Planner

セルフケアアプリの設計を生業としています | 感情や行動に関わるデザイン | メンタルヘルスと人工知能のこれから

ありんこ撮影の写真を使ってくださったnote

ありんこが撮影した写真を、みんなのフォトギャラリーから引用してくださったクリエイターさんたちのnoteまとめ。 写真を使ってもらえて嬉しいです。 (随時追加してます。追加しそびれがあったらこっそり教えてください...)
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