春の陽気ときみとの出会い

 妻との出会いを振り返りながら書いていこうと思う。

 当時の私は駆けだしの小説家で、日々忙しく過ごしていた。
 有り難いことに賞など頂いたが、それはそれ。これはこれ。
 更に頑張らねばと家に引きこもって執筆することも多々あったが、体が弱く持病があった為に通院も余儀なくされていた。それが外出のきっかけになるというのだから皮肉なものだが。

 ある日のことだ。
 診察を終え薬を貰って病院を出た時。春の陽気に誘われて、柄にも無く散歩にと近くの公園を歩いていた。
 幾つかのベンチと、それらの近くには花壇がある。ひらりひらりと舞う蝶々を目で追いかけていくと、間もなく、植えられた花々が視界に映るようになった。
 誰が手入れをしているのか知らないが、こうして見れば見事なものだ。普段なかなか落ち着いて見ることもないそんな景色に目を奪われ、久方ぶりに感じた色彩の眩しさに目を細めた時だ。

 ―――― ひらりと舞う、影を目にした。

 それがなんであるのか気になって顔を上げる。
 春の鮮やかな色の中で、白いリボンが飛んできたようで思わず掴んでしまう。
 どこから飛んで来たのかと視線を巡らせると、近くに人はひとりだけ。
 恐らく持ち主であろう人物は、ワンピース姿の女性であった。結った髪が動きに合わせて跳ねている。
 足取りから楽しさが伝わってくる様で、見ているこちらも思わず笑みが零れた。
 つま先の丸い靴を履いた足先は、ただ歩いているだけだというのに、まるで何かのステップでも踏むように動いている。
 時間にしてどれくらいかはわからないが、気付けば私はそんな彼女を見ていて、私に気付いた彼女は傍に来ていた。

「あのー、すみません」

 声を掛けられて、はっと気づく。
 いけない、これでは不審者と言われても仕方がない。
 暑いという程でも無い気温の中で、じとりと背中に汗が滲むのを感じた。

「……は、はい」

 何も答えないという訳にもいかず、一言だけ返してみる。
 こんなに弱々しい音が己から出るのかと妙な関心を抱きつつ、彼女の反応を待った。
 彼女は何を言わんとして迷っているのだろう。想定よりも時間が掛かっている。
 流石に見知らぬ誰かとこんな気まずい時間を過ごし続ける訳にもいかず、切り上げるべきかと口を開き掛けた時だ。

「リボン、拾って頂いたんですね」

 思っていたよりも声音はずっと柔らかで、改めて彼女の顔を見る。
 私がわからないだけかも知れない、なんて可能性は置いておくが、彼女は声音同様の柔らかな笑みで手の中のリボンを指し示していた。

「あ、そ、そうです。花壇を見ていたら、飛んできたのが目に入って……思わず」
「そうですか、ありがとうございます」

 お礼と共に、差し出される手に、白いリボンを乗せた。
 私のものよりもずっと小さな手が返されたそれをそのまま、慣れた手つきで結った髪の上から結んでいく。
 あっという間に、彼女の黒髪に映える髪飾りとなり本来の役目はああなのだと妙な関心をしてしまう。

「あの、ところであなた……何処かでお見かけしたことがある気がするんですけど」

 見つめられる側に回ると、何やら気恥ずかしい。女性だからという訳でなく、人の目に長時間晒されることに対して慣れがない。
 思わず顔を逸らしてしまったが、逃げ出すのは何かおかしい気がして立ち竦むこと体感で5分程。気が済んだのか、彼女は私を映していた大きな瞳を閉じ、納得をするように頷いた。

「思い出しました。あなた、小説家の方でしょう?」
「そ、そうですが。……本当に何処かでお会いしましたか?」

 言い当てられて動揺し、それから慌てて頭の中で彼女の姿を探す。
 会ったことがある人物ならば、見つめていたことをもっとしっかりと謝っておかねばならない。
 すぐ思い出せなかったことも併せて、先に謝らなければ。
 内心で慌てふためく私を見透かすようにして、彼女は「いえ」と笑いかけた。

「先日賞を獲られましたよね。あの授賞式の記事を拝見して、お顔に覚えがあるなあって。……えと、高宮先生ですよね? 初めまして、ご本を読ませて頂きました」

 春の陽気が連れて来た幻影かと、そこまで一瞬疑った。
 こんな身近に、私が書いた物を読んでくれた人が居る。
 自分で言うのもおかしいが、ジャンルとしては若い女性向けでは無いだろうに……なんて失礼なことすら思いつつ、私は恐縮して一言「ありがとう」と返すのが精いっぱいだった。

 妻との出会いの一番最初は、こんな……。私にしてみれば、何重もの奇跡が重なった日の出来事だったんだ。


どこぞでNPCとして出した人たちのお話。
お互いに大事に大事にしていた人たちの始まりのこと。
2022-03-12

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