[メモ]イスラエル人の傍系(6)祭司王ヨバブ

ここまで、メルキゼデクの祭司位の継承過程について推論してきた。族長ヤコブとミディアンの祭司レウエルの間のおよそ100年間を埋めるのに適切な人物としてまず思いつくのはルベン、レビ、ユダ、ヨセフといったヤコブの子らである。また、ヤコブが右手で按手したエフライムもその候補であろう。しかしヨセフやエフライムも含めて、彼らが祭祀を執り行った記述はない。

一方で、一つ前のメモで触れていない、年代不明の、非アロン系と思われる重要な祭司がもう一人、聖書中に登場している。しかもこの年代不明の人物の生きた時代の一つの候補は族長時代前後とされている。

その人物とは、ヨブ記の主人公ヨブである。

"ウヅの地(ארץ עוץ)にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。彼に男の子七人と女の子三人があり、その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。"
ヨブ記 1:1-5

ヨブの祭祀行為は神の前に正しいとされている。しかし彼は「東の人々」であり、イスラエル民族ではない可能性が高い。

さて、ヨブ記の内容がいつの時代のものであるかについて、ヨブ記からはなかなかわかりにくい。ヨブが苦しみの後百四十年(七十人訳では百七十年)生きたという寿命の長さからして族長時代という推定は妥当であろう。モーセの詩篇(90編)によれば当時の一般的な寿命が七-八十年であり、百二十年生きたモーセは例外的に長かったということが示されている(実際四十年の荒野放浪で出エジプト時点で壮年だった世代がヨシュアとカレブ以外絶えている)。つまりヨブはモーセよりは前の人物と思われる。しかし実はヨブ記の登場人物から、ヨブはヤコブの兄エサウ以前の人物ではないことがわかる。

"時に、ヨブの三人の友がこのすべての災のヨブに臨んだのを聞いて、めいめい自分の所から尋ねて来た。すなわちテマンびとエリパズ、シュヒびとビルダデ、ナアマびとゾパルである。彼らはヨブをいたわり、慰めようとして、たがいに約束してきたのである。"
ヨブ記 2:11

テマン人とは、エサウ系の首長テマンの子孫である。

"エサウの子らの名は次のとおりである。すなわちエサウの妻アダの子はエリパズ。エサウの妻バスマテの子はリウエル。エリパズの子らはテマン、オマル、ゼポ、ガタム、ケナズである。"
創世記 36:10-11

"エサウの子らの中で、族長たる者は次のとおりである。すなわちエサウの長子エリパズの子らはテマンの族長、オマルの族長、ゼポの族長、ケナズの族長"
創世記 36:15

ヨブ記のテマン人エリパズは、テマンの父エリパズとはおそらく別人であろう。しかし父祖の名を付けることは一般的であったようなので、テマンの子もエリパズである可能性はあり、その場合その人物は「テマン人エリパズ」となる。いずれにせよ、この「テマン人エリパズ」はエサウの孫テマンの何代目かの子孫であろう。ヨブの友人の一人は、エサウの子孫であり、父祖エリパズの名を継いでいることがわかる。

ついでに「ナアマ人ゾパル」なる人物も、エサウ系の名前である可能性が高い。七十人訳ではエサウの子らについてこのように記述されている。

"エサウの子らで族長たちは以下である。エサウの長子エリパズの子らは族長テマン、族長オマル、族長ソパル(Σωφαρ)、族長ケネズ"
創世記36:15(七十人訳)

念のためヨブ記の七十人訳を確認すると…

それで彼の友人たち三名が、彼に臨んだ全ての悪しきことを聞いて、それぞれ自分の国から彼のところへ来た。テマン人の王エリパズ、サウヒ人(Σαυχαίοι)の君主バルダド、ミニ人(Μιναίοι)の王ソパル(Σοφαρ)である。そして彼らは彼のところに、彼を慰め、見舞うべく合意して来た。
ヨブ記2:11(七十人訳)

ミナイ人ソパルことナアマ人ツォファルというのも、エサウ系の名前であることがわかる…って言おうとしたが、母音の長短が違うみたい(ソーパルとソパル)。しかし新たな情報が得られた。「ナアマ人」の方はヘブライ語聖書にはヨブ記にしか出てこないが、そこをミニ人(メウニ人)と七十人訳が訳している。このメウニ人というのは歴代誌に何度か出てくる。

"この後モアブびと、アンモンびとおよびメウニびとらがヨシャパテと戦おうと攻めてきた。その時ある人がきて、ヨシャパテに告げて言った、「海のかなたのエドムから大軍があなたに攻めて来ます。見よ、彼らはハザゾン・タマル(すなわちエンゲデ)にいます」。"
歴代志下 20:1-2

モアブ人とアンモン人はアブラハムの甥ロトの系統であり、ヤコブの兄エサウの系統であるエドム人とは違う。しかしモアブ人とアンモン人とメウニ人を併せて「エドムからの大軍」という報告がなされている。エドムを地名として用いている可能性は高いが、エドムの地からエドム人を含まない大軍が来るというのもおかしい。おそらくは、このメウニ人はエサウ系統の民族であろう。すると、やはりメウニ人ソパル(ナアマ人ツォファル)は、名前も民族名もエサウ系ぽい気がする。

もう一人のシュア人の"君主"ビルダドとは誰だろうか。なんだかこの人物だけ称号が違う。シュア人(שוחי)というのはヨブ記にしか出てこない民族名だが、スペルが一致してるシュワ(שוח)という人物が創世記に出てくる。

"アブラハムは再び妻をめとった。名をケトラという。彼女はジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデアン、イシバクおよびシュワ(שוח)を産んだ。"
創世記 25:1-2

もしかするとシュア人ビルダドというのはこの人物の子孫の民族かもしれない。その場合、ミディアン人の兄弟民族ということになる。

ヨブ記にはもう一人唐突に登場する人物がいる。

"その時ラム族のブズびとバラケルの子エリフは怒りを起した。すなわちヨブが神よりも自分の正しいことを主張するので、彼はヨブに向かって怒りを起した。"
ヨブ記 32:2

七十人訳はこうなっている。

"それで、エリウ、すなわちバラキエルの子、ブズ人、ラム族、ウズの地の出身者、が怒った。そして彼はヨブについて非常に怒った。なぜなら彼が主の前に自身を正当化したからである"
ヨブ記 32:2

ウズの地名とブズ人という人種名はおそらくアラム系由来である。

"これらの事の後、ある人がアブラハムに告げて言った、「ミルカもまたあなたの兄弟ナホルに子どもを産みました。長男はウヅ、弟はブズ、次はアラムの父ケムエル、次はケセデ、ハゾ、ピルダシ、エデラフ、ベトエルです」。"
創世記 22:20-22

ベトエルの子孫ラバンがアラム人(七十人訳:シリア人)と呼ばれているように、このナホル系統の人々はアラム人と括られることが多いと推測できる。エリフがラム族であるというのは、アラム人であるという意味合いの可能性もある。「アラム」と「ラム」は何らかの互換性のある名らしいからである。

"ラムはアミナダブを生み、アミナダブはユダの子孫のつかさナションを生んだ。"
歴代志上 2:10

"アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、"
マタイによる福音書 1:4

さて、ここまでの推測をまとめると以下である。

・テマン人の王エリファズ → エサウの子エリファズの子テマンの子孫(エドム人)
・シュア人の君主ビルダド → ケトラの子ミディアンの兄弟シュワの子孫(ミディアン人の兄弟系統)
・ナアマ人の王ツォファル → エサウの子エリファズの子ゼポ(ソパル)の子孫(エドム人)
・ラム族、ブズ人、バラキエルの子エリフ → ナホルの子ブズの子孫(アラム人)

ここに、アブラハムの兄弟系統(アラム系)、イサクの兄弟系統(ケトラ系)、ヤコブの兄弟系統(エサウ系)という「イスラエル人の傍系」が集結している。

さて、本丸のヨブ自身について推測しよう。この流れからして、おそらく彼もこの「イスラエルの傍系」の人種のどれかにあたる出自を持つと思われる。

ヨブの出自についてわかっていることは、「ウズの地にいた」ということくらいである。ここだけから考えると、ブズの兄弟にウズなる人物がいるので、この子孫、つまりアラム系かもしれない。しかしウズの地にいるならばウズの子孫である可能性はもちろんあるが、違う可能性もある。実は、ウズの地に住んでいたのは、少なくとも後世においては、エドム人(エサウ系)である。

"ウズの地(ארץ עוץ)に住むエドムの娘よ、喜び楽しめ、あなたにもまた杯がめぐって行く、あなたも酔って裸になる。"
哀歌 4:21

ウズの地に住んでいたことからも、四人の訪問者のうち二人がエドム人らしいことから見ても、ヨブがエドム人である可能性は高い。また、七十人訳によれば、四人の訪問者のうち二人は王、一人は君主である。これらの人々から慰問を受けるヨブは、彼らに並ぶくらい階層の高い人物である可能性がある。実際彼は「東の人々のうちで最も大いなる者」だったと記されている。

さて、エサウのすぐ後の世代からしばらくの間のエドム系の王統が創世記には記録されている。ヨブがもし王であれば、ここに載るであろう。

"イスラエルの人々を治める王がまだなかった時、エドムの地を治めた王たちは次のとおりである。ベオルの子ベラはエドムを治め、その都の名はデナバであった。ベラが死んで、ボズラのゼラの子ヨバブがこれに代って王となった。ヨバブが死んで、テマンびとの地のホシャムがこれに代って王となった。"
創世記 36:31-34

「ボズラから出たゼラの子ヨバブ」こそがヨブ記のヨブと同一人物である、というのが僕がここで主張したいことである。このヨバブは、エサウの曾孫である。

"エサウの子らの名は次のとおりである。すなわちエサウの妻アダの子はエリパズ。エサウの妻バスマテの子はリウエル。エリパズの子らはテマン、オマル、ゼポ、ガタム、ケナズである。テムナはエサウの子エリパズのそばめで、アマレクをエリパズに産んだ。これらはエサウの妻アダの子らである。リウエルの子らは次のとおりである。すなわちナハテ、ゼラ、シャンマ、ミザであって、これらはエサウの妻バスマテの子らである。"
創世記 36:10-13

そして重要なことに、ゼラの子ヨバブはエサウの子レウエル(リウエル)の家系である。族長ヤコブと祭司レウエルの間を埋める人物として、これ以上ない適切な立場にある気がする。ヨブ=ゼラの子ヨバブを仮定し、登場人物の関係をアブラハムからの世代数と共に推測するとこんな感じ。

[レビ家・ユダ家]

1アブラハム - 2イサク
- 3ヤコブ
- 4レビ - 5ケハト -6アムラム - 7モーセ
- 4ユダ - 5ペレツ -6ヘツロン - 7カレブ

[エリフの家系]

1ナホル - 2ブズ - … - 6バラキエル - 7エリフ

[テマン王統・ナアマ王統]

1アブラハム - 2イサク - 3エサウ
- 4エリパズⅠ
- 5テマン
- 5ソパル(ゼポ)Ⅰ
- 6エリパズⅡ(「テマン人エリパズ」)
- 6ソパルⅡ(「ナアマ人ゾパル」)
- 7テマン王ホシャム

[シュア人]

1アブラハム - 2シュア - … -6ビルダド(「シュア人ビルダド」)

[ミディアン家・レウエル家]
両家はどこかで血統交差があると仮定。

1アブラハム
- 2ミディアン - 3?…
-2イサク - 3エサウ - 4レウエルⅠ
- 5? - 6? - 7レウエルⅡ
- 5ゼラ - 6ヨバブ

このヨブ=ヨバブの推測にはもう一つの証拠がある。それは七十人訳聖書のヨブ記のエピローグである。七十人訳聖書のヨブ記のエピローグはマソラ本文よりかなり長く、アラム人(シリア人)の伝承が書き残されている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?