[通読メモ]サムエル記上1-14章

今回はサムエル記上の前半(1-14章)の通読箇所から、サムエルという人物についてまとめ。

サムエルとその周辺

【☆ラマタイム・ツォフィム(1:1)】

サムエルの父エルカナの居住地がラマタイム・ツォフィムと紹介されている。七十人訳ギリシア語聖書では"Armathaim Sipha"となっている。カイサリアのエウセビオス(AD 4c)は新約聖書でイエスを埋葬したアリマタヤ(Arimathaia)のヨセフの出身地と同一視している。[Onomasticon 144:28]

ここの語頭のAはha-という音で、ヘブライ語の定冠詞を音写したもの。

ツォフィムは同節のサムエルの系図の祖「ツフtsoph」に-im(複数形語尾)が付いた形なので、「ツフ人たちのラマタイム」の意味かもしれない。サム上9:5でもサムエルの居場所が「ツフの地」と表現されている。

一方もしツォフィムの語源がtsaphahの複数形だとすれば「見張り人たちのラマタイム」の意味。

Ramahは「高地」の意味で、Ramathaimはその双数形なので「二つの高地」の意味。

サムエル記の最初以降ラマタイムはラマと呼ばれているように見える(サム上1:19)。サムエルの主な活動地に「ラマ」があり、そこに家があったとしており(サム上7:17)、このラマも同じ地域のことかもしれない。

ただエルカナのラマやサムエルのラマがベニヤミン領ラマ(エフライム領と接する)と同じなのか近いのか無関係なのか不明。

エウセビオスはアリマタヤ=ラマタイムをディオスポリス(ロド)の近くとしているがその場合はベニヤミン領ラマからは少し遠い。

【☆エフライム人】

サムエルの先祖ツフは紀元前に訳された七十人訳ギリシア語聖書では「エフライム人」となっており、日本語訳もこれを採用している。

エフライム人とは父祖ヤコブの十二人の子孫がもとになっているイスラエルの十二部族の一つで、イスラエルの地を十二分割していたうちの一つである。

しかしこの箇所のヘブライ語は少なくとも現存最古級のレニングラード写本・アレッポ写本では「ephrathi」であり、ヘブライ語聖書を支持するならば「エフラタ人」と訳すのが相応しいと思われる。エフライム人を"ephrathi"と呼称し得ることを支持する明確な聖書箇所は無い。KJVは"ephrathite"と訳す。

いずれにせよ「エフライムの山地に住んでいた」ので、出生地主義(?)で言えばエルカナの子サムエルはエフライム人と言って間違いではない。

【☆系図】

エフライムの山地に住んでいたエフラタ人とあるが、歴代誌の系図を見るとレビ人として記録されているようにも見える。

サムエルの系図に出てくる名前は微妙に違いがある。

サム上1:1

tswph- thchw - elyhwu - yrchm - elknh

歴上6:26-27

tswphy - nchth - elyab - yrchm- elknh

歴上6:34-35

tsyph - thoch - elyel - yrchm - elknh

同じ系図の表記揺れのようにも見え、サムエルの5代前がts-phを語幹とする人物であることも共通している。ヘブライ人は父祖の名を子に付けるという原則があり(ルカ1:61)、この家系ではサムエルの父の名でもあるエルカナという名が特に大切に男系継承されている様子が歴代誌の系図からわかる。(ツフの父もエルカナ)

歴代誌のサムエルとサムエル記のサムエルが同一人物である可能性を補強する情報として子が同一の名前であることがある。サムエルの子らはヨエルとアビヤという名だったとサム上8:2にあり、

歴上6:28には「サムエルの子らは、かの長子と、次子と、アビヤである」(私訳)とあり、6:33に「ヨエルはサムエルの子」とあるため、サムエルの子にヨエルとアビヤがいたという情報を二書は共有している。

※いくつかの日本語訳では歴上6:28を「サムエルの子らはヨエルとアビヤである」と訳しているが今のところこの日本語訳の正当性の根拠が不明。勝手に整合性を取ろうとする解釈による翻訳ならやめてほしい。レニングラード写本・アレッポ写本・主要七十人訳写本ではこの節にヨエルの名はない。KJVは"And the sons of Samuel; the firstborn Vashni, and Abiah."と訳している(w-shniを一つの固有名詞と解釈)。上記私訳では「ha-bocor w-shni w-abiah」を「the-first and-second and-アビヤ」と解釈した。

サムエルの子孫には詠唱者へマンがおり、サムエルの先祖にはモーセに逆らって死んだコラがいる。

コラの子孫は反逆者の家系としておそらくある種の差別に合うような家系であったと思われるけれど、その中からサムエルやヘマンというイスラエル史に欠かせない重要人物が出ている。

聖書を読むときなどに、すぐ悪玉/善玉のように人を分類してしまう自分を戒めたい。

【☆レビ人としてのサムエル】

サムエルは歴代誌の系図に見られるように、モーセやアロンと同じく、レビの子ケハトの家系であるコラを男系先祖としているように見える。

レビ人はヤコブの預言(創49:7)で「イスラエルのうちに散らそう」と表現されているように、他の部族のような領土を持たず、各部族から町と牧草地(つまり耕地でない)を少しずつ割り当てられてイスラエル全体に散らばって住んでいた。

ヨシュア記21章によれば、レビの子ケハトの子孫は二系統に分けて考えられ、ケハトの子孫の中でも特別な人物である初代大祭司アロンの子孫である祭司統がユダ族・シメオン族・ベニヤミン族の領土から十三の町を割り当てられ、祭司統以外のケハトの子孫はエフライム族・ダン族・マナセ族の領土から十の町を割り当てられている。(ヨシュア21:5)

サムエルの家系は祭司統ではないケハトの子孫なので、エフライム領に住んでいることはこの分配からして自然なことと言える。

ただ、エフライムからケハトの子孫に割り当てられた町の名前はシケム・ゲゼル・キブザイム(ヨクメアム)・ベテホロンの四市(ヨシュア21:21-22, 歴上6:28)となっており、これら四市とラマタイム・ツォフィムの関係は少し不明瞭と言える。

ゲゼルとベテホロンはエフライム領のかなり西方(ヨシュア16:3)なので、エフライム山地(エフライム領の南東)のラマタイム・ツォフィムは、シケムまたは"キブザイム"(場所不明)の近くや領内であったかもしれない。

ただ、アリマタヤとラマタイムだ同一である場合、ルカ23:51によればアリマタヤはユダヤの町とあるので、シケムは北部すぎる。

よってこの四市のうちのどれかとラマタイム(地名の意味は「二つの高地」)が近くであるとすればおそらく場所不明の「キブザイム(偶然か必然かこれも"二つの山"という意味の町)」と思われる。でももしかすると何らかの事情でケハト氏族に割り当てられた土地と離れたところにいた可能性もある。

【☆エフラタとエフライム山地】

既述のようにサムエル記の冒頭のサムエルの出自の紹介では、エフライム人と訳されているところが実はエフラタ人と訳すべきものと思われる。エフラタとはユダ族に関係し、ダビデ王の故地ベツレレムとほぼ同義として使われているように見える。(創35:19, ミカ5:2)

ベニヤミンの母でエフライムの祖母であるラケルはベテルからエフラタに向かう途上で亡くなっており、おそらくその墓はベニヤミン領ラマの近くの「ゼルザ」にあった。(創35:19, サム上10:1, マタイ2:18)

エフラタは女性の名前のようで、系図によればユダ族のヘツロンの子カレブとの間にフルを生んでいる。

フルの子がサルマ、サルマの子がベツレヘム。(歴上2:51-54)

イスラエルの土地の名前はおそらくヨシュアと共にパレスチナにイスラエル人が入植した頃の父祖の名前が多く名付けられている(「嗣業の土地」として父祖の土地の境界を守ることが義務となっているので自然な命名方法と言える)が、女性の名前が使われる例は珍しそう。

ちなみにこのヘツロンの子カレブと、有名なエフンネの子カレブは同名の娘がいること(歴上2:49, ヨシュア15:16)や、おそらく子孫がヘブロンを領有していること(歴上2:42, ヨシュア14:13)など共通点があり、同一人物か、前者の名前を後者が子孫として継いでいる可能性がある。カレブ周辺の歴代誌の系図は複雑で難解。

ダビデは最初にエフンネの子カレブの領土ヘブロンで即位しており、またダビデと一時期対立したアブネルによって「ユダの犬の頭」という表現が使われている(ヘブライ語で「犬」は「カレブ」という)ため、ダビデ王家はカレブの家系と関係が深いと思われる(サム下2:1, 3:8)。

実際、七十人訳ではヘツロンの子について「エラフメエルと、ラムと、カレブすなわちアラム」として言及した上でダビデをアラムの子孫としており、つまりはダビデをヘツロンの子カレブの子孫と見なしているように読める。一方、ヘブライ語聖書ではダビデをラムの子孫としている。(歴上2:9-15)

新約聖書マタイの福音書の著者も、ダビデの先祖としてラムではなくアラムに言及している。マタイの福音書は七十人訳からの直接引用がルカの福音書などと比べて少ないので、少々意外とも言える。(マタイ1:3-4)

いずれにせよ、ルツ記に見える手続きによってダビデの家系はボアズ以来エフラタ人エリメレク(ルツ1:2)の嗣業の土地ベツレヘムを継承する家系としてダビデの代に至っている。(サム上17:12)

士師記はサムエル以降の世代に書かれたと思われるが、各時代の士師たちの紹介の後、二つの変なエピソードを紹介している。

一つ目がエフライム山地の人ミカが独自に神殿を建て、そこに来たベツレヘム出身のユダ族のレビ人(←ユダ族とレビ族は本来別々の部族なので、変な表現!) ヨナタンを祭司とする (アロンの子孫でなくモーセの子孫なのに。しかもモーセはレビ族なのにこの孫はユダ族。) ものの、ダン族の北方への大移動の際に祭司ごと略奪されるという話(士師記17-18章)

二つ目がエフライム山地のレビ人がユダのベツレヘムの実家に帰った妻を連れ戻す途中でベニヤミン族の狼藉に遭って妻を失い、全イスラエルがベニヤミン族に復讐してベニヤミン族が滅亡寸前となる話(士師記19-21章)

である。

ここで気づくのが、この二つの話が何故か両方とも「ベツレヘムとエフライム山地」に関係する人物が出てくることである。この二つの地域でレビ人を介した婚姻関係が存在したということになるが、これはエフライム山地出身のサムエルの先祖がエフラタ人でもあったことの伏線になっていると思われる。

おそらくこの二つのエピソードに登場するレビ人(たち?)を介して、サムエルとダビデは遠縁にあたる存在だったと僕は予想する。(資料の継承・編纂過程を想像しても、サムエルやダビデといった、ある種の"権力者"の縁者の情報が残りやすいことが予想できる。ルツ記がダビデ王家の前史であるとすれば士師記後半がサムエル家の前史かもしれない)。

イエスの育ての父ヨセフはダビデ王の子孫でベツレヘムが登録地であった(ルカ2:4)。

また、アリマタヤのヨセフは、イエスの埋葬に立ち会っている(マタイ27:57-60)ことから、ただの弟子ではなく、イエスの両親と何らかの形で親戚関係にあったと思われる。

エフラタ(ベツレヘム)とラマタイム(アリマタヤ)の間に結ばれた親戚関係は新約時代まで続いていたかもしれない。

【☆特殊な祭司権】

「エフラタ人」以外にサムエルとダビデに共通している顕著な特徴として、「祭司系統じゃなさそうなのに、なぜか祭司をやってる」という点が挙げられる。

単に指導者であるからと言って祭司権の行使が許されないことは、当のサムエルがサウルの燔祭の儀式を咎めていることや、ウジヤ王の失敗例などからもわかる(サム上13:9-14, 歴下26:18)。

祭司となれるのは律法でアロンの子孫と定められている(出エジ29:9)。サムエルとダビデは男系系図が歴代誌に明記されており、アロンの男系子孫でない可能性が高いが、二人は祭司の装束である亜麻布のエフォデを着ており(出エジプト28:4, サム上2:18, サム下6:14)、燔祭を執行している(サム上7:10, サム下6:17)ため、ほとんど祭司の扱いを受けていたと思われる。またダビデは子らを祭司(コヘン)にしたとある(サム下8:18)。

ダビデが祭司であったと考えると、マタイ12:3のイエスの発言は「ダビデでさえ律法を破ったのだから大丈夫」という意味合いではないことになり、ここでのイエスの主張は「祭司は通常安息日に許されないことが許される」(つまり暗にキリストとその弟子たちがある種の祭司であると主張している)と解釈できる。

サムエルとダビデの祭司権がどこから来たのかについて、二つの可能性を僕は考えている。

1つ目は祭司資格が女系継承された可能性。これは聖書に明確な根拠がないが、ありえなくはない。ただしダビデの子孫であるウジヤ王が祭司の職務を行なって越権と見なされていることから、アロンの女系子孫が自動的に祭司資格を持つとは限らず、何らかの条件が付きそう。

2つ目はアロンの祭司制度と別の祭司制度が存在した可能性。新約聖書ヘブル人への手紙ではイエスが「アロンに等しい祭司」より「メルキゼデクに等しい祭司」であることを強調し、二つの祭司制度の違いを強調している(ヘブル7:11)。律法授与以降の世代で明白に祭司の職務を執行してお咎めがなかったアロンの子孫でない人物の例としてはモーセとその岳父イテロなどがいる(レビ8:28, 出エジ18:12)。遡るとヨブ(ヨブ1:5)、ヤコブ(創31:54)、アブラハム(創22:13)、メルキゼデク(創14:18)、ノア(創8:20)、アベル(創4:4)などがアロンの子孫でない祭司的人物である。またアロン以降の世代ではギデオン(士師6:25-26)、マノア(士師13:16-22)、サムエル、ダビデ、ソロモン(列上3:4)、エリヤ(列上18:36-38)、イエフ(列下10:24)などが祭司家系でないのに祭司的な職務を執行したかもしれない人物の候補である。普通、ヘブル書の言う「メルキゼデクの祭司制度」とはメルキゼデクとイエスに特異的なものとして解釈されると思われるが、僕はメルキゼデクの祭司制度は旧約時代を通じてアロンの祭司制度と別に存在し、キリスト教の各伝統宗派で重視されている"使徒継承"(血統の繋がりがあってもなくても按手礼という手を置く儀式によって使徒の地位を代々の司教に継承していく制度)の予型となった可能性もあると考えている。(予型とは、旧約聖書の制度や物語を、キリストやキリスト者の性質などの原型であり、ある種の予告であると捉えたもの)

さてこの祭司権のルートについて、特に結論はないが、いくつかヒントになりそうと個人的に思った情報を付記しておく。

一つ目のヒントになりそうな事柄が、士師記に登場する、ミカの神殿で祭司となり後にダン族の祭司となったベツレヘム出身のユダ族のレビ人ヨナタンの存在である。彼はモーセの孫であったとされる(士師18:30)。

二つ目が、レビ人でないのに例外的に神殿に関する職務権限を持っていた人物がエフラタ人であったかもしれないことであり、具体的にはエフラタの長子フルとベツァルエルの祖父フル(とアロンと共に出エジプトの民を治めたフル)を同一視できる可能性があることである(歴上2:50, 出エジ31:2, 出エジ17:12)。

出エジプト記のフルと歴代誌のフルをタルムードは同一視しており、モーセの姉ミリアムの縁者と考えている。[Bavli Sanhedrin 69b]

神殿周りの職務はレビ人が特権を持っているが、ベツァルエルはユダ族でありながら、祭服を含む神殿周りの祭器の作成を統括(architektonō)することになっている。

おそらく出エジプトの段階だけでなく、ベツレヘム周辺の家系に神殿祭器の作成・維持を担当する工芸従事者の一族が後世もいたかもしれない(フルやカレブの系図にも「工人」たちが登場する。歴上4:14)。

おそらくイエスの育ての親であるヨセフはベツレヘムに登録されている工人(tektōn)であったことから、神殿周りの工芸に従事する技術者であった可能性があると思う。この場合「大工」という一般に形成されているイメージとはかなり異なる。

いずれにせよ、特殊な祭司権の連続的な継承があるとすれば、イテロ→モーセ→?...?→サムエル→ダビデというルートが考えられ、神殿祭儀に関して例外的な地位を得たベツァルエルやヨナタンはこのモーセとサムエルの間の時代に入りかつサムエルと近い位置(両者ともエフラタ人)にいる存在として注目に値すると思った。

【☆ナジル人としてのサムエル】

律法にはナジル人という制度が設けられており、何らかの誓願に基づいて誓願の成就まで酒を断ち、ぶどう由来の食物を摂らず、髪を切らず、死体に近づかない、という変わった修道士コース?みたいなものがある。(民数記6章) 誓願が成就すると頭を剃り上げて坊主になるらしい。(民6:18)

聖書全体を通して、明確にナジル人の例として示されている個人はサムソン(士師記13章)しかいないが、注意深く読んでいくと実はナジル人だったのかも、という人物は多く出てくる。身近(?)な例で言うと、使徒パウロである。彼は誓願の成就によって髪を剃ったとあり、明らかにナジル人の規定に沿っている。(使徒18:18)

ナジルとは「聖別する」という意味である。律法を通じて、聖別は重要なテーマとなっている。このナジル人の制度も、血統や特権的能力によらず聖別された者としての立場を与えられる制度として、キリスト者の予型になっていると思う。

サムエルはサムソンと同様に生まれながらのナジル人である可能性が高い。これは母ハンナの誓願に基づいており、ハンナは生まれてくる子の髪を一生剃らないと述べている(サム上1:11)。実は七十人訳ギリシア語聖書ではハンナの祈りが少し長く、「ぶどう酒と強い酒を飲まない」という情報が追加されている。七十人訳聖書による付加なのか、ヘブライ語聖書で削除されたのかは不明だが、少なくとも七十人訳が訳された紀元前のアレクサンドリアではサムエルがナジル人であったという認識があったと思われる。

サムエルがナジル人であったとすると、衝撃の大きいシーンがある。ナジル人は親族の死体ですら近づいてはならず、近づけばそれまでの誓願期間が全て無効となり、清めに一週間を要したのちゼロからやり直しになる(民数記6:9-12)。しかしサムエルはサウル王の違反に怒り、アマレクの王アガグを自ら処刑している(サム上15:32)。生まれながらのナジル人であるサムエルにとっては、それまでの全生涯に積み重ねてきた誓願期間を無効とする行動であると思われる。ここまでの行動取らせたサムエルの怒り、サウルの違反に対する叱責は、サムエルの全存在をかけた叫びとして、しっかり受け止めたい。

"サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。"

-サムエル記上 15:22-23

【☆サムエルと後継者】

サムエルの息子たち二人は、サムエルに先立つ士師であったエリの息子たちと同じく、素行が悪くサムエルの後継者として相応しくなかったらしい(サム上2:12, 8:2)。エリの実質的な後継者がサムエルとなったように、サムエルの実質的な後継者はサウルとなったが、サウルはサムエルの存命中にサムエルから見て決定的な失敗を犯してしまう。二人の息子と自分の任命した王のどちらの育成にも失敗してしまったことで、サムエルの統治期間に築き上げたものの大部分は失われることになったと思われ、(cf. 歴下35:18) さらに上記のように自身のナジル人としての誓願期間も一挙に無に帰してしまったので、老年のサムエルの喪失感は非常に大きいものであったと想像される。

しかし燃え尽きたサムエルにもう一度神は任務を下し、自身のルーツでもあるエフラタの地へと行かせる(サム上16:1)。

物語の読者である我々から見れば、ここから起こる旧約聖書の主役とも言えるダビデ王の任命(サム上16)と教育(サム上19:18)こそが、実はサムエルの最大の使命であったと言える。恐らくサムエルはダビデとの出会い、その成長と活躍を非常に喜んだと思われる。

ダビデは完璧な王では全くなさそうだが、神を愛し、神に愛される王となった。サムエルの願いもダビデに届いていたと思われる。

"あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげてもあなたは喜ばれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。"

-詩篇 51:16-17

人間の目には全て終わったかに見えた時からが神さまの時なのかもしれない。

”すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。”

-ダニエル12:7

今回はここまで。

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