『護教論 第二』第7章(ユスティノス)

第7章 世界はキリスト者たちのために保全された。人の責任について。

そこで神は世界全体に、それによって悪しき使いたちと悪霊たちと[悪しき]人々が絶滅するための混乱と破壊を引き起こすのを遅らせた。それはキリスト者たちの種のためであり、彼らは本性的に自分たちが保全の原因であると知っている。もしそうでなければ、あなたがたはこれらのことを為すことも、悪しき諸霊に駆り立てられることも、不可能だからである。しかし刑罰の火は降り、全ての事物を全く溶解させるであろう。かつての洪水が、我々によってノアと呼ばれ、あなたがたによってデウカリオンと[呼ばれている]彼とその家族以外に誰も残さなかったのと同じである。彼からまたこのように非常に大きな数[の人]が生じたが、ある者たちは悪しく、他の者たちは良くあった。というのもそれで我々は災禍があるだろうと述べるのであるが、ストア派のようにではない。彼らの教えによれば全ての事物は互いに互いへと変化されているが、これは極めて侮辱的なことと思える。しかし我々は人々が為すことを為し、被ることを被るのは運命によるものであるとは認めず、それぞれの人は自由な選択によって正しくあるいは罪を行為すると[認める]。そしてソクラテスやそのような、真剣な人々が迫害を被って、束縛のうちにある一方で、サルダナパルスやエピキュロスや、そのような者たちが富と栄誉において祝福されているように見えるのは、邪悪な悪霊たちの影響力によるものであると[認める]。これを観察しないストア派の者たちは、全ての事物は運命の必然に従って起こるという[立場]を維持した。しかし神は初めにおいて御使たちの種族と人々[の種族]を自由意志と共に造ったので、彼らは正当にも、自分たちの犯したどんな諸々の罪についての刑罰も永遠の火のうちで受苦することになる。そしてこれが悪徳と徳を[持つ]余地のあるように造られた全てのものの性質である。というのも、彼らのうちの誰も、[徳と悪徳の]双方へ向き直る能力がない限り、賞賛に値することはないのである。そしてこれはあらゆる場所で、諸々の法を作成し、正しい理路に従って思索を為した人々によっても示されている。彼らがある諸事物とを為すように規定し、ある他のことを慎むよう[規定した]ことによってである。ストア派の哲学者たちでさえ、彼らの諸倫理についての教えにおいて、しっかりと同じことを重んじている。それで彼らは自分たちが諸原理と無形的な諸事物について言っているとことにそれほど厳密でないことが明白である。というのももし彼らが、人間の諸行為が運命によって起こると言うならば、彼らは以下のいずれかの[立場]を維持することになる。つまり、神はいつも同じものへと変転し、変化し、溶解して、破壊可能な諸事物のことしか理解を持たず、神自身についてあらゆる悪のうちに部分的にも全体的にも出現するように見ているようになる。あるいは悪徳も徳も何でもないということになる。これはあらゆる健全な考え、理性、感性に反対することである。

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