[通読メモ]サムエル記下12章-列王記上1章

王子キルアブについて。

王位継承権者たち

ダビデの王位を継承するのは、順当に考えると長子アムノンであった。
しかしアムノンは異母弟である三男アブシャロムによって、妹を犯した復讐のため殺害され、
アブシャロムは王位簒奪事件を起こして司令官ヨアブに殺害される。(サム下3:2-6, 13-18章)

このような王家の混乱の中、王位継承権を争ったのは四男アドニヤと、ダビデの寵妃バテシェバの子ソロモン(サム下5:13-16, 歴上3:1-9)であった。(列上1章)

しかしここで無視されるべきでない人物が完全に無視されている。
ダビデの第二子、王子キルアブである。(サム下3:3)

名前、出自

キルアブの名は「父に似た」の意味である。日本語名を無理に付けるなら「親斉(ちかひと)」さんみたいな。

彼の母は、マオンのカレブ人ナバルの未亡人、カルメル出身のアビガイルであった。(サム上25:14, サム下3:3) 

カルメルはエルサレムやベツレヘムより南にあるヘブロンより更に南であり、ジフとマオンに挟まれた位置にある。ジフもマオンもカレブの子孫のなであり、彼らが領有したことによりその名で呼ばれた地域と思われる。夫ナバルと同様、アビガイルもカレブの子孫であった可能性がある。

ダビデも七十人訳聖書ではカレブの子孫と読める(cf. 歴上2:9-16LXX)ため、もしかするとダビデ家とアビガイルは遠縁だったかもしれない。実際ダビデの姉妹にもアビガイルという名が継承されており、共通祖の存在を暗示している(歴上2:16)。

キルアブの別名は歴代誌上3章によればダニエルであり、この名前の聖書中の初出である。ダニエルは「神は裁く」という意味である。日本語名を無理につけるなら「道定(みちさだ)」さんみたいな。

またこの名は分解するとダンDiN(裁く)+エルEL(神)であり、族長ダンの名を継いでいるとも見える。改名したのか、二つの名を最初から持っていたのか、その辺の経緯は不明。前後関係があるとすればおそらくサムエル記に出てくる名前が先にあった名で、歴代誌の名はより後に付与された名前であろう。

アドニヤとキルアブ…妄想してみる

このダビデの第二王子が、無視された経緯として、どういうものが考えられるだろうか。

まず、ダビデの第四王子、ハギトの子アドニヤが立った経緯に関して、列王記はこのように言っている。

”ハギトの子アドニヤは思い上がって、「わたしが王になる」と言い、戦車と馬と五十人の護衛兵をそろえた。彼は父から、「なぜこのようなことをしたのか」ととがめられたことが、一度もなかった。彼の体格もまた堂々としており、アブサロムの次に生まれた子であった。アドニヤはツェルヤの子ヨアブと祭司アビアタルに話をもちかけ、この二人の支持を得た。しかし、祭司ツァドク、ヨヤダの子ベナヤ、預言者ナタン、シムイ、レイ、およびダビデの勇士たちはアドニヤにくみしなかった。” 列王記1:5-8

これは「アドニヤが優等生であった」ともとれるが、「ダビデが育児に熱心でなかった」ともとれる。前者の場合、アドニヤが王位の継承に相応しくないと見なしたキルアブは、「劣等生であった」、つまり知性や行動や品性に何か問題のある人物であったという可能性がある。

しかしダビデの長男・次男と、三男以下には、かなり育った背景の違いがあると思われ、後者の可能性も類推できる。長男と次男はイズレエルのアヒノアムとカルメルのアビガイルの子らであり、ダビデが王位に就く前の不遇の時代を共にし、苦労を味わってきた妻たち(サム上27:3, 30:5, 下2:2)の子であるのに対して、三男以下はヘブロンでダビデが王位についてから娶った妃たちの子である(サム下3:3)。ダビデが育児に熱心でなかったとすれば、母の教育方針が子たちの性格に良くも悪くも大きく影響したと思われ、これがそのまま抑制的なキルアブと、わがままなアドニヤという対照的な兄弟を生み出した可能性もある(でもこれだと話を単純化しすぎてる気もするが)。

”懲らしめの杖は知恵を与える。放任されていた子は母の恥となる。”箴言29:15

ヨアブとキルアブ…妄想してみる

しかし、もしキルアブが問題児だったわけではないとすると、アドニヤがわがままだったというだけでは話の説明として不十分である。キルアブは、アドニヤが蔑ろにしただけに留まらず、アドニヤに与した司令官ヨアブと大祭司アビアタル、ソロモンに与した司令官ベナヤと祭司ツァドクと預言者ナタンといった有力者全員から無視されているのである。

ソロモンはダビデの寵妃の子であったことから、年長の王子の候補者に対抗して有力者に担ぎ上げられるのは自然な流れと言える。しかし「年長の王子の候補者」を擁立したヨアブとアビアタルは、さらに年長の候補者を差し置いているため、ただアドニヤが王位継承に野心的であったというだけで与するのは自然ではなく、アドニヤに与することに関してなんらかの勝算か利益があったと思われる。

司令官ヨアブに関して今のところ思いつくことと言えば、アブシャロム事件との関係である。ヨアブはダビデの意に反してアブネルを殺して以降、ダビデに疎まれつつ重んじられる状態が続いていたと思われる(サム下3:2730,39)が、その後さらに謀反を起こしたダビデの王子アブシャロムを、ダビデの意志に反して殺害し(サム下18:10-14)さらにダビデの甥で自身の従兄弟にあたる司令官アマサを殺害し(サム下17:25, 20:4-10, 歴上2:16)ている。

ダビデはソロモンへの遺言でアブネルとアマサの血に報いてヨアブに復讐する仕事を託している(列上2:5-6)。ヨアブ自身も、ダビデに疎まれ、恨みを持たれており、赦されていないということに感づいていたかもしれず、王位継承の際に自身に有利なような身の処し方を考える必要があったのかもしれない。アブシャロム以下の王位継承権者は、上が一人死ぬことで王位が近づくため、アブシャロムの殺害は野心家アドニヤの即位の際には功績と見なされ得る。それでヨアブはアドニヤを支持したのかもしれない。

読みながら気づいたが、ダビデはソロモンへの遺言でアブネルとアマサをヨアブが殺害したことは述べているが、アブシャロムに関しては述べていない。ヨアブによるアブシャロムの殺害を(自身の願望には反するが)正当な行為と見なしていた可能性もあるが、ヨアブが殺害したことが漏れないようにヨアブが情報統制していた可能性もあるかもしれない。ヨアブはまず自分の手に拠らずにアブシャロムが殺害されることを希望していた(サム下18:11)が、それが為されないのを見て自ら手をかけた(18:12-15)。これはダビデの治世の安泰を思って自ら手を汚したのだ、みたいな好意的(?)な解釈もできるかもしれないが、ヨアブのこれまでを見ていくと、アブネルの殺害も私怨によるものとされているし、アマサの殺害も全く以てダビデ軍にとって不利益でしかないことを、おそらく自身の地位が脅かされたために実行したように見える(少なくともサムエル記の著者はそのような物語にしている)ため、アブシャロム自体が自身にとって邪魔な存在だったのかもしれない。アブシャロムのお世話係に疲れたのかもしれないし、これも利益のためではなく私怨のためかもしれないが(サム下14:28-33)。

アビアタルとキルアブ…妄想してみる

アビアタルがキルアブを差し置いてアドニヤについた理由はヨアブよりさらに推測が難しい。アビアタルはこれまで特に問題とされる行動が列王記に記されておらず、彼を追放したソロモンの評価としても「いつも父と辛苦を共にしてくれた」というものであった。

考えつくことがあるとすれば、祭司家系同士の対立などがあったのかもしれない。実際、アドニヤとソロモンの陣営を見ると、軍の司令官としてヨアブとベナヤをそれぞれの陣営が分け合っている他に、イタマル系の大祭司家系を代表する大祭司アビアタルと、エレアザル系の大祭司家系を代表する祭司ツァドク(歴上24:6)の支持を分け合っている。注意すべきこととして、大祭司位はエレアザルの家系が最初継いでいたが、サムエルの統治期間以前からダビデの治世の終わり、つまりソロモンの即位まで、おそらくイタマル系の家系が大祭司職を保っていたということがある。これは主イエスが当時の大祭司職がアビアタルにあったことを証言していること(マルコ2:26)からも、またウリムとトンミムの入った胸当てのついた大祭司のエフォドをアビアタルが携えていたことからも分かる(出エジ28:30, サム上14:3, 14:41-42, 30:7-8)。大祭司は特別なことがなければ終身制が基本となっている(cf. 民数記35:25)ため、大祭司の権能と大祭司のエフォドがエレアザル系のツァドクの家系に移ったのはソロモンの治世に大祭司アビアタルが祭司職を解かれて以降と思われる。

”ダビデは、エルアザルの子らの一人ツァドクとイタマルの子らの一人アヒメレクと共に、それぞれ任命されている奉仕に従って、アロンの子らを組に分けた。” 歴代誌上24章3節
”アヒトブの子ツァドクとアビアタルの子アヒメレクは共に祭司。” サムエル記下8章17節
アヒメレクの子アビアタルが、ケイラのダビデのもとに逃げて来たとき、彼はエフォドを携えていた。” サムエル記上23章6節
”サウルは人をやって、祭司であるアヒトブの子アヒメレクと、ノブで祭司職にある彼の父の家の者をすべて呼び出した。” サムエル記上22章11節
アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。” マルコによる福音2章26節

大祭司アビアタルの父はアヒトブの子アヒメレクでサウルの治世の祭司、大祭司アビアタルの子も祖父と同名のアヒメレクでダビデの治世の祭司である。

エフォドを持つアヒヤもいた。アヒヤは、イカボドの兄弟アヒトブの子であり、イカボドはシロで主の祭司を務めたエリの息子のピネハスの子である。” サムエル記上14章3節

エリ → ピネハス → イカボド・アヒトブ → アヒヤ・アヒメレク → アビアタル → アヒメレク という継承ラインが見え、これがイタマル系の祭司家系であることがわかる。一方、エリに先立つ祭司の記録は見えず、飛んでエレアザル系の祭司、アロンの孫ピネハスまで記述を遡ることになる。どうしてアロンの後継者の地位がイタマル系に移ったかは謎。

”イスラエルの人々は皆、そのすべての軍団と共にベテルに上って行き、主の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主の御前にささげた。イスラエルの人々は主に問うた。――当時、神の契約の箱はそこにあり、また当時、アロンの孫でエルアザルの子であるピネハスが御前に仕えていた” 士師記20章26-28節


このように、アドニヤとソロモンの王位継承争いは、アビアタルの子ヨナタンやアヒメレクと、ツァドクの間の大祭司位の継承争いの側面も持っていたと言える。そしてこれは個人間の争いというよりは、かなり長い世代に渡る因縁を背負った争いであり、王位継承争い以上に根深い確執などがあったかもしれない。

また、アビアタルの子アヒメレクが歴代誌で祭司として登場する一方で、アビアタルの子ヨナタンはサマリアの大祭司としてサマリアの伝承に登場する。祭司家系は大きく二つに分かれているが、さらに聖所と見なされたところもソロモンの神殿が完成するまで乱立しており、状況は複雑であったと思われる。

サマリアの祭司家系はシェケムを聖所として用いて、アビアタルの子ヨナタンをそこに仕えた祭司として記録している。[Samaritan High Priest

ソロモンは神殿の建設以前はギベオンを聖所として用いたが(列王記上3章4節)、ここはツァドクの家系が抑えていた町のようである(歴代誌上16章39節)。

神の箱については、ヨシュアの時代からソロモンの時代にかけて シロ(ヨシュア18:1,6,8-10, サム下6:2)→ ユダ領、おそらくヘブロン(ヨシュア14:12-15, 士師1:19, サム下6:2) → ベテル・ミツパ(士師1:22, 士師11:11, 20:26-28, 21:5, サム下6:2)→ シロ(サム上3:3) → エベン・エゼル(サム上4) → アシュドド・エクロン(サム上5:1, 10) → ベト・シェメシュ(サム上6:18) → キリヤテ・エアリム(サム上7:1-2) → エルサレム(サム下5:6-7, 6:12)と移動している。

またソロモンの子レハブアムに対抗して北イスラエル王国を建てたヤロブアムはエルサレムに代わる聖所としてベテルとダンを用いており(列上12:28-29)、ベテルに関してはヤロブアム二世の頃(c. BC800)の頃の祭司もアモス書7章に登場し、北イスラエルの捕囚後も聖所として用いられた(列下17:28)。


さて、エレアザル系とイタマル系、その他の各地域の祭司権の争いがあったとして、これがキルアブと何の関わりがあるだろうか。例えばキルアブがアビアタルにとって都合が悪い王位継承候補者であったとしたならば、最も安易に思いつくのはキルアブとツァドクが親しい関係であった、というストーリーが考えつく。しかしツァドクは結局はソロモンの擁立に加担しているため、このストーリーはあまりうまくない。しかしキルアブが全く祭司家系と関りがないならば、アドニヤとアビアタルの間に特別に近しい関係があった場合や、アビアタルが「頼まれたし、報酬もあるみたいだから、なんとなく話に乗っかてみた」という気分で動いた場合を除いては(←こういった可能性も十分ある)、アビアタルが第二王子を差し置く理由が全くなく見える。もしキルアブがアビアタルからもツァドクからも支持を得なった理由を、祭司家系同士の争いと関係があると取るならば、キルアブがこれら、イタマル系とエルアザル系を代表する二人どちらからも遠い第三極の祭司家系と近しかった可能性を考えることになる。


ここでもう一度、彼の二つ目の名が「ダニエル」であったことを思い出すと、第三極の祭司家系として関係がありそうな家系を思い出す。

アロンの二人の子らエレアザルとイタマルの他に、正統的ではないが、特別な祭司職を継いだ家系がある。

ダン族の祭司家系である。

”彼らはミカが造った物と彼のものであった祭司を奪って、ライシュに向かい、その静かで穏やかな民を襲い、剣にかけて殺し、町に火を放って焼いた。その町はシドンから遠く離れ、またどの人間とも交渉がなかったので、助けてくれる者がなかった。それはベト・レホブに属する平野にあった。彼らはその町を再建して住み着き、その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。しかし、その町の元来の名はライシュであった。ダンの人々は、自分たちが拝むために例の彫像を立てることにした。またモーセの孫でゲルショムの子であるヨナタンとその子孫が、その地の民が捕囚とされる日までダンの部族の祭司を勤めた。こうして、神殿がシロにあった間、ずっと彼らはミカの造った彫像を保っていた。”士師18:27-31

このヨナタンはモーセの孫であるからレビ人であるが、同時にベツレヘムのユダ族であったとある(士師17:7)。ベツレヘムはカレブとエフラタの曽孫の名であり、カレブの家系とモーセの家系はカナン入植後の早い段階から混血していたと思われる(レビ人は嗣業の土地がなく、従って土地の境を移さずに結婚できるため、他の部族間より部族を越えた結婚がしやすい)。

ダニエルの母アビガイルもおそらくカレブの子孫と思われる。ダンからベエル・シェバまでに覇権を及ぼしたダビデ(サム下3:10)は、自身の子ら、19人のうちの複数人を祭司とする際(サム下18:8)に、通常の祭司家系や、二つの大祭司家系の他に、ダンの祭司家系の祭司にも自身の子を就けるべく働きかけたのではないだろうか。その際、おそらくベツレヘム人ヨナタンと同じくカレブの家系の母を持つキルアブに、「ダンの神(ダニエル)」の称号と共にダンの祭司職を得させたのではないだろうか。

”わたしは王権をサウルの家から移し、ダビデの王座をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てる。” サムエル記下3:10
”ダビデの子たちは祭司であった。” サムエル記下8:18

おそらく祭司となった王子たちの中には、アビアタルに近しい者がいた可能性が高いと思われる。ダビデの治世を通してアビアタルは祭司権の最高位にあるため、ダビデの子らを祭司にするなら、アビアタルの系統と接続する形で祭司とすることを考えるに違いないためである。ハギトの子アドニヤがこれに当たる立場であったかはわからないが、非アビアタルあるいはイタマルの系統の祭司となったキルアブ=ダニエルに王権が渡ることはあまりアビアタルにとって望ましいことではなかったのかもしれない。

まあ、根拠のうすい推測ではあるが…


いずれにせよ、アビアタルはアドニヤ擁立事件により失脚し、ソロモンに追放され、祭司権の中心はエレアザルの系統に移ることになる。

”王はまた祭司アビアタルにこう言った。「アナトトの自分の耕地に帰るがよい。お前は死に値する者だが、今日、わたしはお前に手を下すのを控える。お前はわたしの父ダビデの前で主なる神の箱を担いだこともあり、いつも父と辛苦を共にしてくれたからだ。」ソロモンはアビアタルが主の祭司であることをやめさせた。こうして主がシロでエリの家についてお告げになったことが実現した。” 列王記上2:26-27
”王は彼(ヨアブ)の代わりにヨヤダの子ベナヤを軍の司令官とし、アビアタルの代わりに祭司ツァドクを立てた” 列王記上2:35

「主がシロでエリの家についてお告げになったこと」は以下のように記録されている。

神の人がエリのもとに来て告げた。「主はこう言われる。あなたの先祖がエジプトでファラオの家に服従していたとき、わたしは自らをあなたの先祖に明らかに示し、わたしのためにイスラエルの全部族の中からあなたの先祖を選んで祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたかせ、エフォドを着せてわたしの前に立たせた。また、わたしはあなたの先祖の家に、イスラエルの子らが燃やして主にささげる物をすべて与えた。あなたはなぜ、わたしが命じたいけにえと献げ物をわたしの住む所でないがしろにするのか。なぜ、自分の息子をわたしよりも大事にして、わたしの民イスラエルが供えるすべての献げ物の中から最上のものを取って、自分たちの私腹を肥やすのか。それゆえ、イスラエルの神、主は言われる。わたしは確かに、あなたの家とあなたの先祖の家はとこしえにわたしの前に歩む、と約束した。主は言われる。だが、今は決してそうはさせない。わたしを重んずる者をわたしは 重んじ、わたしを侮る者をわたしは軽んずる。あなたの家に長命の者がいなくなるように、わたしがあなたの腕とあなたの先祖の家の腕を切り落とす日が来る。あなたは、わたしの住む所がイスラエルに与える幸いをすべて敵視するようになる。あなたの家には永久に長命の者はいなくなる。わたしは、あなたの家の一人だけは、わたしの祭壇から断ち切らないでおく。それはあなたの目をくらまし、命を尽きさせるためだ。あなたの家の男子がどれほど多くとも皆、壮年のうちに死ぬ。あなたの二人の息子ホフニとピネハスの身に起こることが、あなたにとってそのしるしとなる。二人は同じ日に死ぬ。わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものとしよう。彼は生涯、わたしが油を注いだ者の前を歩む。あなたの家の生き残った者は皆、彼のもとに来て身をかがめ、銀一枚、パン一切れを乞い、『一切れのパンでも食べられるように、祭司の仕事の一つに就かせてください』と言うであろう。」” サムエル記上2章

こうして歴史の日陰に入った大祭司アビアタルの家系だが、おそらく、このアビアタルの子孫が、預言者エレミヤである。

”エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。”エレミヤ書1章1節

ダビデ王統の二人のダニエル

有名な預言者ダニエルはおそらくダビデ王家出身である(ダニエル1:4 cf. KJV)。おそらく何らかの形でダビデの次男キルアブ=ダニエルから名を継いだ、彼の子孫であろうと予想する。

列王記記者には完全に無視されていた第二王子ダニエル、追放された祭司アビアタル、これら憂き目に遭っていた人々の子孫は、預言者ダニエル、預言者エレミヤ(列上2:26, エレミヤ1:1)といった、包囲や捕囚の憂き目に遭っている人々を励ます預言者を輩出した。人の目に目立たないところにこそ、神の采配が光る。

”わたしは言う 「わたしの生きる力は絶えた ただ主を待ち望もう」と。 苦汁と欠乏の中で 貧しくさすらったときのことを 決して忘れず、覚えているからこそ わたしの魂は沈み込んでいても 再び心を励まし、なお待ち望む。 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。 それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。 主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い わたしは主を待ち望む。” エレミヤの哀歌3章18-24


”「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。知恵と力は神のもの。神は時を移し、季節を変え 王を退け、王を立て 知者に知恵を、識者に知識を与えられる。奥義と秘義を現し 闇にひそむものを知り 光は御もとに宿る。” ダニエル書2章20-22節

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