[通読メモ]列王記上16章ー列王記下7章

エリシャについて。

【エリシャとは】

シャファトの子、預言者エリシャは、旧約聖書を代表する預言者エリヤの後継者であり、北イスラエル王国で活動した。

僕はエリシャは、旧約聖書の中でも極めて特殊な地位を与えられている人物であり、メシアの予表する「予型」的人物のうち最も重要な人なのではないかとも思っている。

【名前】

エリシャ ELYSh❜の意味は「神は救い」の意味。日本語名をつけるとすれば「理祐(みちすけ)」さんみたいな。なんと同名の人物が聖書中にいない。ヤペテの系図に現れる「エリシャ」(創世記10:4)はスペルが違う。

同じ意味のエリシュア ELYShW❜という名前の短縮形と思われ、こちらはダビデの王子のうちの一人の名として出てくる。

ダビデはヘブロンから移った後、エルサレムでも妻をめとり、側女を置いたので、息子や娘が更に生まれた。エルサレムで生まれた子供たちの名は次のとおりである。シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモン、イブハル、エリシュア、ネフェグ、ヤフィア、エリシャマ、エルヤダ、エリフェレト。サムエル記下5:13-16

ちなみにイエス=キリストの名前はイェシュア YHWSh(W)❜で「ヤハウェは救い」の意味なので、エリシャという名前と意味はほぼ一緒。

【出自】

エリシャの出自はヒントが少ない。父の名として「シャファト」が、出身地として「アベルメホラ」が記されているだけである。

父の名シャファトは他に以下の箇所で見られる名である。

・ヨシュアやカレブと共にカナンの地を偵察した(民数記13章)シメオン族の代表であるホリの子シャファト

・ユダ王統、総督ゼルバベルの子孫のシャファト(歴上3:22)

・バシャンに住んだガド族の首長シャファト(ユダ王ヨタムとイスラエル王ヤロブアムの治世に記録されたとあるのでそれ以前の人物。時代不明瞭。歴上5:11-12, 17)

・ダビデ王の財の管理者のうち、諸々の谷にある牛の群れをつかさどったアデライの子シャファト(歴上27:29, 31)

おそらく時代的な順番はシメオン族のシャファト → アデライの子シャファト → エリシャの父シャファト → ガド族のシャファト → ゼルバベルの子孫シャファト という順序と思われる。

【エリシャとはげ頭】

エリシャの活動初期の記事の中に、彼がはげ頭をからかった子どもを呪って、子どもたちが熊に殺される、という恐ろしい事件が記録されている。エリシャが「殺すことを意図して呪い、熊を"使役"して子どもを殺した」のか、「殺すまでのつもりはなかったけど、結果的に殺すことになってしまった」のかわからないが、いずれにせよいかに大預言者さまとは言え弾劾したくなる話だ。ただ、背景の一つとして、エリシャのはげ頭は単なるはげ頭ではなく「聖別のしるし」であった可能性はあると思う。(※ただだからといって擁護可能とは言えない)

民数記6章によれば、律法にはナジル人(意味は「聖別された者」)という制度があり、これは血統など関係なしに、何らかの誓約を立て、それを守ることによってある聖別された立場が認証される制度である。

これによると、誓願を立てた人は、髪を絶対に切らないでおいて、誓願を満たした際に髪を剃り落とす。エリシャももしかすると、すでに誓願を成就させて剃髪が済んだナジル人であったことで、はげ頭だったかもしれない。

彼がナジル人であったことは、ある婦人の子を生き返らせる際の行動にも少し垣間見える。(次節参照)

【エリシャに啓示された福音・・・「伝播する聖性」】

列王記下4章ではあるエリシャがお世話になったシュネムの婦人に対してお礼として子どもが来年に授かるという預言を与えたが、その子が成長したある日にその子が死んでしまい、婦人が助けを求めに来るという話がある。この記事は「子どもが一年後に生まれる」という預言のあとに子どもがある程度の年数が経って成長した後の話があるため、時系列において単に列王記下3章の記事と4章の記事の間に挟まる出来事ではなく、エリシャの生涯のいつ頃のことかはよくわからない。

ここでエリシャはまず従者ゲハジを自身の杖と共に遣わそうとする(列下4:29)。しかし婦人がエリシャ自身に来てくれるよう懇願したため後からついて行った。エリシャは行くのが面倒だったとか忙しかったとかあるかもしれないが、もしエリシャがナジル人であったとすればこの行動も納得が行く。ナジル人は死体に触れることを禁止されているためである。

主に献身している期間中、死体に近づいてはならない。父母、兄弟姉妹が死んだときも、彼らに触れて汚れを受けてはならない。神に献身したしるしがその髪にあるからである。”民数記6章6-7節

エリシャはゲハジが「子どもは(杖を触れても)目覚めない」という報告に少なからぬ試練を感じたのではないだろうか。エリシャ自身が子どもに触れるなら、自身の聖別を汚すことになり得るからだ。しかしエリシャは子どもの部屋に入り、子どもに触れるという選択をした。

”ゲハジは二人より先に行って、杖をその子供の顔の上に置いたが、声も出さず、何の反応も示さなかったので、引き返してエリシャに会い、「子供は目を覚ましませんでした」と告げた。エリシャが家に着いてみると、彼の寝台に子供は死んで横たわっていた。彼は中に入って戸を閉じ、二人だけになって主に祈った。 そしてエリシャは寝台に上がって、子供の上に伏し、自分の口を子供の口に、目を子供の目に、手を子供の手に重ねてかがみ込むと、子供の体は暖かくなった。”列王記下4章31-34節

このエリシャによる蘇生の奇跡は、人の命を救ったということの重大さだけでなく、エリシャにとっても一つの重大な啓示を与えたと思う。それは「強い聖性」に関する啓示だ。

旧約聖書は基本的に「弱い聖性」の世界観にある。つまり、聖性とはある清めの儀式によってある事物に付与された後、力の限りそれを汚れから分離することによってのみ保たれるのである。

”「万軍の主はこう言われる。祭司たちに、律法について尋ねなさい。『もし、だれかが、聖別された肉を衣の裾に入れて運んでいて、その裾がパン、煮物、ぶどう酒、油、そのほか何かの食物に触れたとする。これらのものは聖別されるだろうか』と。」祭司たちは答えて、「されない」と言った。ハガイは言った。
「もし、死体に触れて汚れた人が、これらのものの何かに触れたとする。これらのものは汚れるだろうか。」祭司たちは答えて、「汚れる」と言った。
ハガイは答えて言った。「わたしにとって、この民はまさにそのようだ。この国はまさにそのようだ、と主は言われる。彼らの手の業もすべてそのようだ。彼らがそこにおいてささげるものは汚れている。今日この日から以後、よく心に留めよ。” ハガイ書2章11-15節

しかしエリシャを通してここで起こった奇跡は「汚されない聖性」「強い聖性」と言える。エリシャは結果的に死体に触れていない。それで、汚れてもいない。なぜなら聖別されたエリシャが触れるや否や、そのかつて死体であったかもしれない子どもの体は既に死体ではなくなっていたためである。

旧約聖書の禁止条項「~してはならない」は、英訳を見ると「shall not ~」の形で訳されている。

"He shall not make himself unclean for his father, or for his mother, for his brother, or for his sister, when they die;because the consecration of his God [is] upon his head." Numbers 6:7 (KJV)

このKJVで"shall not~"と訳される部分は、ヘブライ語では「LO + (未完了形)」となっており、ある文法書によれば以下のように説明されている。

”To express the definite expectation that something will not happen. The imperfect with לֹא represents a more emphatic form of prohibition than the jussive with אַל־”
”The jussive, which is to be expected after אַל־, does not, as a rule” Gesenius' Hebrew Grammar (1910 Kautzsch-Cowley edition) [107o,p]

つまり、「AL + (未完了)」は、ある規則として「してはならない」という命令語法であるのに対して、「LO + (未完了)」はより強調された禁止形を表現するが、その元来の意味合いは「『何らかの事物が起こらない』という確定的予期を表現するもの」であるらしい。

つまり"shall not~"という訳語に正確に現れているように、このような禁止命令は元の意味を考えると「~しないことになっている」「当然~しないはずである」などと訳すのが原義に近いということになる。

エリシャの奇跡は、「ルールとして聖性を保守する」から「必然として聖性が保たれる」というあり方へと、律法の意味の転換(というより原義への回帰)を起こすものであったと思う。

これは福音の要の一つであり、天と地の転換であると思う。

ハガイの二章では聖性と汚れに関する祭司との問答に続いて、このような言葉が語られる。

”この月の二十四日に、主の言葉がふたたびハガイに臨んだ、 「ユダの総督ゼルバベルに告げて言え、わたしは天と地を震う。” ハガイ2:20-21

イエスのもたらした福音の重要な側面の一つは、エリシャに啓示されていたような「汚されない聖性」「強い聖性」「包摂する聖性」「伝播する聖性」、「異物を排斥するのではなく、異物に対する恐怖を締め出し、調和を実現する聖性」の完成形であったと思う。

”人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。” ルカによる福音8章52-55節
”それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。” ルカによる福音7章11-16節
”それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」” マルコによる福音7章14-15節

人の内側から流出するものを清めるのは「霊」の働きで、イエスの福音の重要な側面はこの「霊」を与えることでもあったと思われる。

”祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。” ヨハネによる福音7章37-39節

この「伝播する聖性」のイメージは旧約聖書でも予告されている。

”彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南壁から流れていた。”
”彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。
川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。” エゼキエル書47章1-2, 8-9節

【エリシャと清められた水】

エリシャの奇跡にも「もはや汚れることのない生きた水」のモチーフが現れる。

”この町の人々はエリシャのところに来て、「御覧のように、この町は住むには良いのですが、水が悪く、土地は不毛です」と訴えた。彼は、「新しい器を持って来て、それに塩を入れなさい」と命じた。人々が持って来ると、彼は水の源に出かけて行って塩を投げ込み、「主はこう言われる。『わたしはこの水を清めた。もはやここから死も不毛も起こらない』」と言った。 エリシャの告げた言葉のとおり、水は清くなって今日に至っている。” 列王記下2章19-22節

【エリシャと清められた異教徒】

エリシャの信仰態度は「恐れがない」ことに特徴付けられ、それは上記のような「汚れより強い、汚れを受けない、汚れに入っていける聖性」を理解していることから来るものであると個人的に思う。

エリシャは皮膚病の異邦人ナアマンを清めた。皮膚病の癒しも清めに密接に関わる出来事であるが、それ以上に、異教や異邦世界に対するエリシャの態度が他の旧約聖書の人々とは一線を画するものであって注目させられた。

ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今このしもべからの贈り物をお受け取りください。」神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこのしもべにください。しもべは今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。ただし、この事については主がしもべを赦してくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこのしもべを赦してくださいますように。
エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。 ” 列王記下5章14-19節

エリシャ自身は回心した”異教徒”が異教世界の特定の地位・慣習に留まることを禁じず、「安心して行く」ことを命じた。これは「恐れるな」という命令とも取れる。

異教に対して旧約聖書は全体的に排撃的な姿勢を崩さず、この態度は”保守的”なキリスト教世界にも受け継がれている。しかしこのような姿勢とは少し違った、エリシャの特殊な態度は、使徒パウロの述べたこととも繋がっていると思う。

”そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。” コリントの信徒への第一の手紙8章4-7節

これは上で引用した「食物が汚すのではない」という引用とも関わる。偶像崇拝禁止や食物規定というのは、偶像の悪しき神が実際に存在するわけではなく、本質的に汚れた食物が存在するわけでもない。それとの関係において汚されるかどうかは良心に関係する問題である、とパウロは述べている。

日本の”保守的”なキリスト教世界では「キリスト教に回心して、仏教的/神道的慣習から離れた」ことが美談として扱われやすいと思う。確かにこのような行為もある種の信仰の表現、生活の一新の表現であって僕はその行為を責める必要は無いと思う。でも仏教や神道自体が悪しきものであるはずがない。異教に対する排斥的な態度は、自身がそれとの関係によって”汚される”かもしれない、という恐怖と結びついたものでもある。確かに人間にとって恐怖は逃れ難い存在であり、躓きの原因を自身の周りから除くのはある種の謙虚さの現れと言えないこともない。しかしエリシャやパウロが受け取った福音は、そのような恐怖とは無縁のものであったと思う。パウロもまた、異教世界に対して福音を宣教する時、異教の糺すべきところを見つめつつも、異教自体の教えから説き起こした。

”パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」” 使徒言行録17章22-31節


エリシャは恐怖からかなり解放されていた。恐怖さえ無ければ、排斥の必要はなくなる。エリシャは異教徒や異邦人に対して旧約聖書の中でも特別”寛容”であるように見える。それは異教徒や異邦人と考え方を共有していたとかではなく、自分が彼らと異質な存在でありながらも、異質な者たちを排斥する必要性を内面に訴える恐怖心から解放されていたため、であろう。

”神の人の召し使いが朝早く起きて外に出てみると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った。「ああ、御主人よ、どうすればいいのですか。」するとエリシャは、「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」と言って、主に祈り、「主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください」と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た。アラム軍が攻め下って来たので、エリシャが主に祈って、「この異邦の民を打って目をくらましてください」と言うと、主はエリシャの言葉どおり彼らを打って目をくらまされた。エリシャは彼らに、「これはあなたたちの行く道ではない。これはあなたたちの求める町ではない。わたしについて来なさい。あなたたちの捜している人のところへわたしが連れて行ってあげよう」と言って、彼らをサマリアに連れて行った。彼らがサマリアに着くと、エリシャは、「主よ、彼らの目を開いて見えるようにしてください」と言った。主が彼らの目を開かれ、彼らは見えるようになったが、見たのは自分たちがサマリアの真ん中にいるということであった。イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに、「わたしの父よ、わたしが打ち殺しましょうか、打ち殺しましょうか」と言ったが、エリシャは答えた。「打ち殺してはならない。あなたは捕虜とした者を剣と弓で打ち殺すのか。彼らにパンと水を与えて食事をさせ、彼らの主君のもとに行かせなさい。」そこで王は彼らのために大宴会を催した。彼らは食べて飲んだ後、自分たちの主君のもとに帰って行った。アラムの部隊は二度とイスラエルの地に来なかった。” 列王記下6章15-23節


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