『教会史』第3巻 第6章 ユダヤ人たちを抑圧した飢饉について

第6章 ユダヤ人たちを抑圧した飢饉について

1節

ヨセフスの『歴史[ユダヤ戦記]』の第五書を再び手に取って、それから起こった諸々の悲劇的出来事について[話を]進めよう。

2節

彼が言うには、裕福な者たちにとって、留まることは同等に危険なことであったが、彼らは荒野に行くと見せかけて、自分たちの富のために死ぬことになったのである。暴動の狂気は飢饉に伴って増し、両方の惨劇が日に日に更に燃え上がっていった。

3節

どこにも食物が見つからなかった。人々は家々に突入し、徹底的に[食物]を探して、食べるものが何も見つからない時はいつでも、[家々の]持ち主を、[本当は]何か[食物]持っていることを否定したのだとして、苦しめた。しかし[それでも]何も見つからないと、更に注意深く[食物]を隠したのだとして、[持ち主たちを]拷問した。

4節

その貧しく哀れな者たちの体は、[実際に]食物を持っているのか持っていないのかの証拠となった。[暴徒は、]まだ良い状態にある者たちを、よく食物を供給されていると見なした一方で、既に衰弱した者たちのことは[無視して]通り過ぎた。というのも飢えで滅びる瞬間にいる者たちを虐殺することは無意味に思われたのである。

5節

確かに多くの者たちが、裕福な階層に属していれば、密かに自分の諸々の所有を一秤の小麦のために売り、貧しければ大麦についてそうした。それから自分たちの家の最も奥まったところに閉じ籠って、ある者たちは酷い飢えのためにその穀物を調理せずに食べ、他のある者たちは必要性と恐怖が命じるままにそれを焼いた。

6節

どこにも食卓が用意されず、[人々は]まだ調理されていない食物を掴んで、それを何切れかに割いた。食事はまさに哀れむべき状態であり、より力ある者たちがかなりの量を確保する一方でより弱い者たちが嘆くのが見られる、悲哀の光景であった。

7節

確かに、全ての悪のうち、飢饉は最悪のものであり、そしてそれは他になく効率的に恥[の心]を破壊する。というのも他の諸々の状況下では尊敬に値するものでも、飢饉のただ中においては蔑まれるのである。それゆえ女性たちは自分たちのまさに夫の口から食物を掴み、子どもたちは彼らの父から、そして全てのうちで最も悲惨であるのは、母たちが彼女らの赤子たちから[食物を掴む]のである。そして彼らの最愛の者たちが彼らの腕のうちで衰弱していく間、彼らは、命を支えるだけの最後の一切れを[最愛の者たち]から取り去ることを恥としないのである。

8節

そして彼らがそのように食べている間でさえ、発見されずに済むことはない。どこでも暴徒たちが、彼らからこれらの食べ物のかけらでさえも強奪すべく現れた。というのも[暴徒たち]が閉じられた家を見たときはいつでも、中の者たちは食物を採っているしるしとして見なしたのである。そして直ちに戸口を突破し開けて、[暴徒たち]は急襲し、彼らの食べているものを奪取した。ほとんど、[食べ物が]まさに彼らの喉にあるものを出させるようなものだった。

9節

自分たちの食物にしがみつく老人たちは打ち倒され、そして女たちがそれを自分たちの手に隠したならば、そうしたことのために彼女らの髪は引き剥がされた。灰色の髪の者たちのためにも、子どもたちのためにも、同情はなく、自分たちの一欠片の食物にしがみつく赤子たちを取り上げて、[暴徒たち]は[赤子たち]を地面に放り投げた。しかし[暴徒たち]が入ることを予期して彼らが奪取しようとするものを飲み込んだ者たちには、[暴徒たち]はさらにより残忍であり、あたかも彼らが[暴徒たち]を不当に扱ったかのようであった。

10節

そして[暴徒たち]は食物を発見するための極めて残酷な拷問の諸様式を考案し、苦い香草を哀れな貧者の尸口に詰め込み、尖った鞭で彼らの臀部を刺した。そして人々は一塊のパンの所有について告白させるため、あるいは彼らの隠した一ドラクマの大麦を暴露させるために、聞くことさえ恐ろしい諸々の苦しみを受けた。しかし苦しめる者たち自身は飢餓を受苦しなかった。

11節

もし彼らが窮乏によってその[行為]へと駆り立てられていたのでなければ、たしかに残忍さの度合いはより低かった可能性があるように思われる。しかし彼らは彼らの狂気を実行するため、また未来の日々にも自分たちに食物を供給するために、それを為した。

12節

そして誰かが夜にかの都市を這い出てローマ人たちの駐屯地まで野生の香草と芝を集めるべく[行く]時にも、[暴徒たち]はその者に会いに行った。そして彼が敵から逃げきったと考えたところで、[暴徒たち]が彼が携えてきたものを奪取した。そしてたとえしばしばその人が彼らに哀願し、神の究極の忌み名を呼びながら、自分が命の危険を犯して獲得した物の一部を自分に与えるように彼らに懇願しても、彼らは彼に何も返さないのである。実に、強奪された者が虐殺までされなかったのは幸運なことであった。

13節

この報告にヨセフスは、他の諸々のことを語った後で、以下のように付け加えている。…都市の外へ出て行く可能性も終わり、ユダヤ人たちにとっての安全に関する全ての望みは断ち切られた。そして飢饉は増大し、民を家ごと家族ごと呑み込んでいった。諸々の空き地は死んだ女たちと子どもたちで満たされ、都市の諸々の通りは老人たちの遺体で[満たされた]。

14節

子どもたちと若者たちは、飢饉であふれて諸々の市場を影のように歩き回り、死の苦痛が彼らを襲ったところでどこであれ倒れた。病者たちは彼ら自身の親族たちを葬るほどの強さはなく、強さのある者たちも死者の大量さと自分たち自身の運命の不確かさの故に[他者の葬りを]躊躇した。たしかに多くの者たちは他者たちを葬っている間に死に、多くの者たちは死が自分たちに臨む前に自分たちの墓へと自分たち自身で行った。

15節

これらの不運の下で泣くことも悲嘆もなかった。飢饉が自然な情動を押し殺したのである。じわじわと死にかけている者たちは乾いた目で自分たちより前にそれぞれの安息へと逝った者たちを見た。深い静けさと死に満ちた夜がその都市を包んだ。

16節

しかし強奪者たちはこれらの惨劇よりさらに酷かった。というのも彼らは今や墓に過ぎなくなった家々を開け破り、死者たちから強奪し、それらの体から身ぐるみを剥がし、笑いと共に去って行った。彼らは自分たちの剣の先を死者たちの体や、たまに生きて地に横たわっている者たちに当ててみて、自分たちの武器を試すために突き刺した。しかし彼らの右手と彼らの剣を自分たちに用いることを願った者たちについては、彼らは蔑ろにして、飢饉で破滅させられるに任せた。これらの者たちはみな神殿にじっと目を向けて死んだ。そして煽動者たちは生きたままとなった。

17節

悪臭に耐えかねたため、最初は死者たちが公的歳入で葬られるよう諸命令が下されたが、後にこれができなくなった際には、諸々の[死]体は[城]壁から堀へと投げ捨てられた。

18節

ティトゥスが行き回って死者で満たされた堀を見ると、彼は大きな声で呻き、そして自分の両手を上げながら、これが自分の為したことではないことを証言すべく神を呼んだ。

19節

他のいくつかのことを話した後で、ヨセフスは次のように続けている。…私は自分の感じる諸々のことが自分に強いることを宣言することを躊躇できない。私が思うに、ローマ人たちがこれらの罪深き哀れな者たちに対して来るのがより長く遅れていたとしても、かの都市は地の裂け目に呑まれるか、洪水に圧倒されるか、ソドムを破壊したような雷霆で撃たれるかであったであろう。というのもそのような[昔の]刑罰を受苦した者たちよりもずっと不敬虔な者たちの世代が生み出されていたからである。確かに彼らの狂気にわって民全体は破滅へと至った。

20節

そして第六書において[ヨセフス]は以下のように記している。…その都市で飢饉によって滅んだ者たちの数は数え切れず、彼らの通った諸々の悲惨は語り得ないものであった。というのもどの家においても、食物の気配がある限り、戦争があり、最も親密な友人たちが互いに組み手の衝突をし、お互いから極めて哀れな命の支えを掴み取った。

21節

[強奪者たち]は死にかけの者たちでさえ食物を持っていないとは信じず、誰かが食物を自分の懐に隠しながら死んだふりをしないように、彼らは生き絶えようとしている時にその者たちを調べようとした。口を食物についての欲のために開いたまま、彼らは狂犬たちのように躓きよろけた。そして泥酔した者たちかのように[家々の]扉。叩き、何もできないことから同じ家々に一時間に二回や三回も突入しようとした。

22節

彼らは見つけることができたものは何でも食べるように窮乏によって強いられており、適切でない諸々のものも、最も不潔な非合理の獣たちですら集め、貪った。最終的に彼らは自分たちの帯や靴さえも控えず、盾から獣皮を引き剥がしてそれらを貪った。ある者たちは古い干し草の一房さえも食物として利用し、他の者たちは短く切った頭髪を集めてその極めて小さな重量を四アッティカ・ドラクマで売った。

23節

飢饉の間中に繰り広げられた諸々の無生物に対する恥知らずなことについて話す必要は無いのではないだろうか。というのも、私はギリシア人たちによっても異国人たちによっても記録されていないようなある事実を語ろうとしているのである。それは語るに恐ろしく、聞くに信じがたいことである。そして確かに、もし私自身の時代に数え切れないほどの証言を持っていなければ、私が後世の者たちにおとぎ話の語り手と見られないためには私はこの惨事を喜んで省いたところであった[が、そうはできない]。さらに、もし私が彼女の耐えた諸々の受苦についての報告を抑圧したなら、我が国に貧しい貢献しか為せないことになる。

24節

ヨルダンの向こうに住む、マリアというとある女性がいた。その父はエレアザルであり、その村はベテゾル(「ヒソプの家」を表す)であった。彼女はその家系と富のために高名であって、他の群衆と共にエルサレムに逃げて来ており、かの包囲の間は彼らと共にそこに篭っていた。

25節

暴君たちは彼女がペレアからその都市へと携行した財産の残りを彼女から強奪し、彼女の財産の残りと、見られることになった食物は何であれ、日々衛兵たちが突入して彼女から掴み取った。これはその女性を酷く怒らせ、彼女はその頻繁な非難と呪詛によって強欲な悪党たちの彼女自身に対する怒りを招いた。

26節

しかし誰も、怒りによっても哀れみによっても、彼女を殺害しようとしなかった。そして彼女は他の者たちに食べるための食物を求めることにどんどん疲弊した。[食物を]探すことも、すでにどこにおいても困難になっており、飢餓が彼女の内臓と骨髄を刺し通し、飢餓よりさらに暴力的に憤りが猛威をふるった。それゆえ怒りと窮乏を自分の助言者として採用して、彼女は最も本性に反することを為し始めた。

彼女は、自分の子どもである、自分の胸で[乳を]吸っている男子を掴んで、こう言った。「ああ、哀れな子ども。戦争の中で、飢饉の中で、暴動の中で、何のために私はあなたを保護するのか? たとえ生きることが[ローマ人たち]によって許されたとしても、私たちはローマ人たちの間の奴隷となるだろう。しかし隷属はこの飢餓よりは期待されるもので、暴徒たちは両者よりも残忍である。来なさい。私のための食物に、これらの暴徒たちのための憤慨に、世界に対する別れの言葉になりなさい。というのもこれは全てユダヤ人たちの諸々の惨劇を終わらせることを欲してのことである。

28節

そして彼女はこう言い終わると、自分の息子を殺害した。そして彼を焼いて、半分を自分で食べ、残りを包んでそれを保持した。まさにすぐに暴徒たちがその場面に現れ、悪しき香りを嗅いで、彼女が備えたものを自分たちに見せなければ彼女をすぐに殺害すると脅した。彼女は、自分が彼らのために優れた分け前を取り分けておいたと答え、それと共に彼女は子どもの残りを暴露した。

29節

彼らは直ちに恐怖と驚愕に襲われて、その光景に釘付けにされたまま立っていた。しかし彼女はこう言った。「これは私自身の息子であり、この死者は私のものである。食べよ。というのも私も食べたのだから。女性より慈悲深くあってはならず、母よりも同情深くあってはならない。しかしもしあなたがたが敬虔すぎて私の犠牲で縮こまっているならば、私はそれを既に食べたが、残りも私のために残しなさい。

30節

これらの言葉にあって男たちは震えながら出て行き、この一件において恐怖し、困難によって彼らはその食物はその母に譲った。すぐに全都市はその凄まじい犯行に満たされ、全ての者たちはその恐ろしい行いを自分たち自身の目前で描写して、あたかも自分自身がそれを為したかのように震えた。

31節

その飢饉から受苦していた者たちは今や死を待ち望んでいた。そして幸いなのはこのような諸々の悲惨を聞き、見る前に死んだ者たちであった。

32節

このようなことが、ユダヤ人たちが神のキリストに対する悪事と不敬虔のために受けた報いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?