[メモ]イスラエル人の傍系(5)メルキゼデク系の祭司②

非アロン系の祭司、つまりメルキゼデク系の祭司位が連続的に継承されるという仮定のもとで、その継承過程を推測すると以下のようになる。

非アロン系の祭司として
・確度の高い人物は太字
・確度が低い人物はそのまま
・根拠があまりないが誰かいなければ空位となる世代の重要人物としてリストに入れた人物は(括弧)
で示した。
AM(Anno Mundi)はアダムの誕生を元年とした時の暦。
年代計算で注意が必要な部分は※をつけて後で説明を付した。

[前洪水世代]

(アダム) AM1-930
アベル cf.創4:4
セト AM130-937 cf.創4:26
エノク AM622-987 cf.創5:24
(メトシェラ) AM687-1656


[ノアの洪水 - ヤコブのエジプト下り]

ノア AM1056-2006 cf.創8:20
メルキゼデク cf.前のメモ
アブラハム AM2008-2183 cf.前のメモ ※1
イサク AM2108-2288 cf.創26:25
ヤコブ AM2168-2315 cf.創33:20, 35:1-7, 46:1


[ヤコブのエジプト下り - カナン侵攻]

??? AM2300年代
イテロ AM2400年代 cf.前のメモ
モーセ AM2433-2553 cf.前のメモ


[カナン侵攻 - 統一王朝]

ヨシュア AM2500年代後半 cf.ヨシュア8:30
(オトニエル) AM2600年代前半
(エフド) AM2600年代後半-2700年代前半
(デボラ or バラク) AM2700年代後半
ギデオン 在位)AM2800年前後 cf.士師6:25-26 ※4
マノア 在位)AM2800年代半ば cf.士師13:16-22 ※3
サムエル 在位)AM2800年代後半 cf.前のメモ
ダビデ AM2919-2989 cf.前のメモ
ソロモン -AM3029 cf.前のメモ ※2



※1 アブラハムは使徒7:4によれば父の死に伴ってカナンに移住しているのでテラが130歳の時の子である。テラは70歳の時に子を生んでいるが、その時に生まれたのはハランかナホルのどちらか、おそらくはハランであり、アブラハムはテラの長子ではない。

※2 ソロモンの統治第四年が出エジプトの四百八十年後という列上6:1のマソラ本文の記述に従った場合。七十人訳では四百四十年となっている。

※3 マノアの子サムソンはペリシテの時代に二十年間、士師であった。(士師15:20) ペリシテの四十年の支配の後にサムエルの統治期間が始まる(サム上7:13) ので、マノアとサムエルの年代差はおよそ40年となる。

※4 モアブ人の支配からミディアン人の支配までの士師記の年数を足すとおよそ200年であり、ギデオンより後の士師エフタはカナン侵攻後300年後の人物である(士師11:26) ヨシュアの統治期間と、ギデオン以降の士師時代に曖昧さがあるが、AM2800年前後のどこかの40年がギデオンの統治期間となる。


さて、ノアとアブラハムの間の十代をメルキゼデク一代で埋めているのは、当時の寿命からして、ノアの直後の世代であればアブラハムが75歳の時まで存命が可能であるためである。実はこの長い期間を埋めるに最適の人物としてセムがいる。ユダヤの伝承ではメルキゼデクはノアに祝福された子セムと同一視されている。

士師時代や南北王朝時代の曖昧さについてはこれから整理する必要があるが、それはまたいつか。

今回「イスラエル人の傍系」というタイトルでまとめてきたのは、族長ヤコブとミディアンの祭司レウエルの間の空位を埋めるべきある人物について触れたかったがためである。その人物とは…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?