[メモ]ヤコブらのエジプト下りの同行者・年齢など

https://www.ellopos.net/elpenor/physis/septuagint-genesis/46.asp

レアの子孫まで総数「33名」(創46:15)
リストを足していくと
族長6+4+6+3+7+4+3+1=34なので、カナンで死んだユダの子2人は除外し、ヤコブを総数に含めていると思われる(創46:8)。
レアは既に死没していたと思われる(創49:31)。また息子たちの妻も総数から除外している。(創46:26)

生まれた場所は「パダン・アラム」(七十人訳:シリアのメソポタミア)とあるがユダの四男、五男はカナンで生まれている(創38)ので33名全員のことでなく族長6人のことと思われる。ヤコブがアラムに滞在したのは7年+7年+6年(創31:41)でレアと結婚していたのは後半の13年間であるから、この6人の族長の年齢差は13年以内。(実際には後述の理由から7年以内であることがわかる)

ジルパの子ら「16名」
族長2+7+(4+女1+孫2) = 16
ジルパ自身は含まれていない。

ラケルの子ら「14名」
族長2+2+10=14
ラケルは既に死没している。(創35:16-)

ヨセフが生まれたのはヤコブが妻のための労働期間が終わった頃(創30:25-)なのでヤコブとレア・ラケルの結婚の7年後と思われる。つまり前述のレアの息子たちはヨセフより早く生まれてると思われるので実は年齢差は更に縮まって7年以内。レアはほぼ毎年子を産んでいる計算。強い。

ヤコブがファラオに会見したのは130歳(創47:9)で、おそらく飢饉開始2年後(創45:6)。ヨセフがファラオに会見したのは30歳(創41:37)で飢饉開始の7年前。よって出エジプト記冒頭の記述に対応するヨセフの年齢は39歳。ルベンまでの兄たちはそれから7歳まで年をとっているので最高齢で46歳。

ビルハの子ら「7名」
族長2+1+4=7
ビルハは除外されている。

ここまでの数字を足すと
33+16+14+7=70名(ヤコブと、ヤコブの子と、孫たち)
エジプトへ下った総数「66名」はここからヨセフの息子2人とヤコブとヨセフを除いて数えていると思われる。

使徒行伝7章でステファノは「ヨセフはヤコブと七十五人の親族を呼び寄せた」と言っている。
これは普通七十人訳を引用していると説明されるが、実際にはあまり単純な問題ではない。

七十人訳では創46:20がマソラ本文より長く、「マナセはシリア人の妾によってマキルを設け、マキルはガラアド(ギレアド)を設けた。マナセの兄弟エフライムはスータラアムとタアムを設けた。スータラアムの子らはエデムであった。」とあり、ヨセフの孫・曾孫世代5名を付け足している。ただし22節はラケルの子らの総数を18名としており、マソラ本文より4名分しか足されていない。あと一人どこいった…(?)。

たとえば、スータラアム(シュテラ)の「子ら」として複数形なのに一つの名しか出していないので、シュテラがエデムという名のついた何らかの集団の先祖であったことを説明しているだけかもしれない。と思ったら27節で「エジプトでヨセフが設けた魂は9名、下ってきた66名と合わせて75名」と計算している。おそらく9名にはヨセフが含まれるが、ラケルの子らの総数18からベニヤミン家11を引くと7人。2人どっから来た…(?)。「スータラアムの子らはエデム」の部分に2人含まれるのか?

でもシュテラの子らは歴代誌上7:20-によれば1人しか出てこない。エフライムの死んだ2人の子が出てくるので何か関係があるかも。うーん、未解決問題。

ヨセフがアセナトと結婚したのは30歳で、ヤコブのエジプト下り時点で9年しかたっていないので、マナセとエフライムは最大9歳。つまりエジプト下り時点でマナセとエフライムの孫は生まれていないはずなのに、七十人訳がリストに追加している。他の族長たちは孫が書かれているとは限らないのに…。
たとえばヤコブの存命中に生まれた子を上げているとすると、ヤコブはファラオ謁見後17年間(創47:28)生きているので、マナセとエフライムは最大26歳。ヤコブはヨセフ系の孫世代までは普通に見ることができる。ヨセフが30歳から110歳で死ぬまでの80年間にエフライムの三代の子孫が生まれている(創世記50:23)ので、平均最大26.6…歳で子を産んでいることともおよそ整合する。

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