また今度、はないかもしれない

朝から色々と思い出している。

今年一月に亡くなった大好きな祖母のこと。

わたしは去年の年末、彼と一緒に富山の実家へ帰っていた。

そして、ふと時間がありあまった時、彼と二人で富山駅まで出て街を散策していた。
その時、なんとなくおばあちゃんの顔がよぎり会いたいな、と思った。

でも、夏に会ったしなぁ。おばあちゃんの家まで一時間近くかかるしなぁ。

なんとなく、祖母に会いたくなったが、なんとなく会いに行かなかった。

また、次来た時に会いに来たらいいか、と。

そのわずか十日後くらいだった。

祖母が亡くなったのは。

大雪の日だった。わたしは東京にすでに帰っていたが、すぐに富山へ戻り亡き祖母に会いに行った。

おばあちゃん。ごめんね。あの時会いに行っていたら・・・・・。

涙が止まらなかった。

祖母は、亡くなっているのが信じられないくらい、昔の祖母のままだった。今にも起き上がってまこちゃん、と言って笑顔を見せてくれそう。

いとこや姉、母と一緒にわたし達は亡き祖母と一緒に最後の夜を過ごした。

いとこは、幼い頃に母親を亡くし、ほとんど仕事で家にいない父親にかわって祖母に育てられていた。

いつもいとこが笑っていたのはひょうきんで、人を笑わせるのが大好きだったおばあちゃんがいたからかもしれない。

夏休みや冬休み、祖母の家に行くのが楽しみで仕方なかった。

いとこのお兄ちゃんと駄菓子屋へ行ったり、ゲームしたり。
そして祖母と一緒に河原へ犬の散歩をしたり。

あの頃はおじいちゃんもいたなぁ。

おじいちゃんとおばあちゃんはとても仲がよくて、ずっとずっとわたしの理想の夫婦である。

温厚であんなに優しい人はいない、と祖父のことを娘である母がよく言っていた。

祖母が亡くなってからしばらく経って祖母の家のとりこわしが決まった。その後、車で通ったら本当にもうあの古くて大きな家はなく、更地になっていた。

縁側から見る景色が好きだった。

空、田んぼ、河原。

一面の麦畑が太陽の光に照らされると、美しかったなぁ。思い出の中のあの麦畑は金色に光っている。

もうあの景色を縁側から見ることは二度とない。

おばあちゃんに会うことも。

あの日あの時祖母に会いに行っていれば。

なぜあの時、「また今度」が必ず来ると信じていたのだろう。

後悔で泣いた日もあったが、ここのところ、その事を忘れていた。

でも思い出すたびにやっぱり思う。

もう一度おばあちゃんに会いたかった。おばあちゃんに会いにいくまであの時は一時間の距離だった場所にいたのに、なんで遠く感じてしまったのだろう。あんなに近くにいたのに。

今はもう、本当に遠い遠い宇宙よりさらにはるか彼方へいってしまったおばあちゃん。

なんだか朝から暗い感じになってしまったが、わたしは久しぶりにおばあちゃんのことをゆっくり思い出せて不思議とあたたかい見えない何かに包まれている感覚でもあるのだ。

泣きたい気持ちと、あたたかい気持ち。

おばあちゃんのことを思い出すとあの時の後悔と同じくらい、おばあちゃんからもらったたくさんの愛情を思い出す。

ありがとう。大好きな祖母へ。

#エッセイ



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