Makot(まこっちゃ)

考えすぎて答えが出ない日常から発信しています

Makot(まこっちゃ)

考えすぎて答えが出ない日常から発信しています

マガジン

  • Makot's Eye

    考えすぎて答えが出ない日常から、その一歩先へ。

  • ADHD者の持続可能な生活記

    大人のADHD、東京近郊の賃貸マンションでの生活中。 持続可能な暮らしかたを、私なりに試行錯誤しながら少しずつ発信していきます。

  • 発達障害と付き合うためのライフハック

    • 3本

    なかなか思うようにいかないことも多いですが 発達障害と付き合いながら生きていくための 工夫を紹介していきます。

最近の記事

  • 固定された記事

「おもしろそうですね」

思えば5年前のこと。 2016年、東京・渋谷にあるボードゲームカフェ「JELLY JELLY CAFE」で アナログゲームを作るラボが開催されました。 当時の私は、自分の人生を完全に見失っていて(今は見守っています)、 うまく思考が働かず、身体も動かず、会社に行けない日も増えてしまい、 上司からの勧めで精神科通院を開始してから2年近く経っていました。 病院では、「うつ」「適応障害」と診断されていましたが、 投薬量が増えるばかりで気が立ってきて、状況は悪くなる一方でした。

    • 「社会」は、私たち人間に“繰り返される日常”という幻覚を植え付けてくる。 社会を維持するために必要なことだから仕方ない。 親が子に「教え」ることができるのは、人生は一度きりだということ。 それ以外のことは、一緒に経験し合って学んでいくしかないこと。

      • 着地しなくてもいい

        理想的な在りかたをただ提示するだけでも、 誰かにとっては残酷で暴力的に機能してしまう場合がある。 環境問題や精神衛生といった課題について語ったところで、 インドの孤児院にいる子どもたちには届かない。 戦争地域に暮らしている人たちにとってはナンセンスでしかない。 代議士は税金から給与を得ているから、 法的には、“市民の下僕”だと言われたりもする。 しかし、 代議士の多くは「先生」と呼ばれている。 どちらが正しい、ということではない。 建て前とか、法的な建て付けとか、定義と

        • ×ボタンの意味は自明なのか?

          ×ボタンが、 「表示された案内を拒否する」 ことを意味しているとは必ずしも言えない。 このことを逆手にとった詐欺が起こったりしていないのだろうか。 起きたとしても、もちろん不当表示だから、 最終的には犯罪として捜査されることになるはずだが、 一時的にでも大金を騙し取られたりした場合、 経済的リスクや社会的影響(システムに対する不信と混乱)、被害者の心理的外傷は計り知れない。 それでも、私は、 日々表示されるポップアップ広告の片隅(広告によって形状も位置もまちまち)の×ボタ

        • 固定された記事

        「おもしろそうですね」

        マガジン

        • Makot's Eye
          57本
        • ADHD者の持続可能な生活記
          3本
        • 発達障害と付き合うためのライフハック
          3本

        記事

          手洗い場の、少なくとも手前側には 水平面を設けないほうがいい。 可能なら、水回り全体がシンクになっていて、 モノを置ける水平面のスペースは奥側の小上がりだけで充分。 それだけで水回りの清潔感が常に保たれる。 足元は、どのみち水濡れしやすいから 今まで通りマットやタイルで充分。

          手洗い場の、少なくとも手前側には 水平面を設けないほうがいい。 可能なら、水回り全体がシンクになっていて、 モノを置ける水平面のスペースは奥側の小上がりだけで充分。 それだけで水回りの清潔感が常に保たれる。 足元は、どのみち水濡れしやすいから 今まで通りマットやタイルで充分。

          自分が我慢しているから、と言って 他人に我慢を強いても悪循環しか生まない。 この悪循環を断ち切るために、 まず精神的な快適さを自ら大切にしよう。

          自分が我慢しているから、と言って 他人に我慢を強いても悪循環しか生まない。 この悪循環を断ち切るために、 まず精神的な快適さを自ら大切にしよう。

          パーソナルメディアのローカルな価値

          日本のマスメディアの迎合ぶりを批判しても仕方ない。 そもそも「特定秘密保護法」が成立した時点で、牙を抜かれてしまったのだから。 マスメディアの強みは、その組織力で直接的にわかりやすく力強いメッセージを 大勢の一般市民に向けて発信し続けられることだった。 もう、今のマスメディアがその役割を果たせなくなったのなら、 奇しくもインターネットが過度に発展し、個人レベルでは(少なくとも金銭的には)無料で情報発信できるようになった今、 マスメディアの代わりにパーソナルメディアの出番が来

          パーソナルメディアのローカルな価値

          自分を正当化すること

          自分を正当化しない人なんて、いるのでしょうか。 「自分を正当化すること」自体は責められるべきでないし、 基本的人権の一つと言えるのではないかと思います。 実際には、自分の人格は複数あって(というより無数にあるのかもしれません)、 互いに矛盾したり葛藤している場合も少なくないでしょう。 複数あるうちの特定の人格だけを正当化している場面が、現実には多いような気がします。 ここでは、そのような場面も「自分を正当化すること」の中に含んで考えたいと思います。 自分の人格のすべてを一

          自分を正当化すること

          いくらコスパ、タイパが良くても、 その為に余裕を失くしていたら元も子もない。 若者も老人も関係ない。コスパかタイパか、じゃない。 余裕を盗られないようにしよう、全世代共通で。

          いくらコスパ、タイパが良くても、 その為に余裕を失くしていたら元も子もない。 若者も老人も関係ない。コスパかタイパか、じゃない。 余裕を盗られないようにしよう、全世代共通で。

          囲碁棋士はアスリート

          一流の囲碁棋士は、アスリートなのだと思う。 精神性や思考力ばかりが注目されがちだが、 スポーツ選手も一流になると、精神性や思考力が問われる。 囲碁棋士も、それは変わらない。 碁石を持つ。手を伸ばして打つ。 限られた時間の中で、それを繰り返していく。 精神性や思考力だけでは間に合わない。 無意識のうちに動いてしまうような、身体知が注がれている。 そもそも身体知こそ、究極の叡智ではないかと思う。 それは、一流と目される人々の業績や振る舞いを観察していれば 自ずとわかることだろ

          囲碁棋士はアスリート

          “効率”の着眼点

          ひと言で“効率”と言っても、 どの資本に着目するかによって意味合いが全然違ってくる。 ソーヤー海さんが提唱している上記の記事によると、 イーサン・ローランド(Ethan Roland)とグレゴリー・ランヅア(Gregory Landua)のふたりが考えた、 1. 金融資本 お金、通貨、株: 僕たちの社会ではものすごくパワーがある 2. 社会資本 人とのつながり、影響力: 人と接している限りものすごく重要 3. 物質的資本 石、鉄、木、化石燃料、道具、建物、社会のインフラの原

          “効率”の着眼点

          プロセスが大事

          観光ビジネス、って昔から違和感があった。 どことなく「コミュニティ」に対して感じる違和感と似ている気がする。 ・・・皆様は、どう思われますか? もちろん、観光ビジネスのすべてが悪いとは思いません。 実際、観光ビジネスがあるお蔭で、世界の素敵な場所や名所の醍醐味を 安全かつ快適に経験することができますし、 予備知識が無くても行くハードルが下がります。 教育ビジネス、アウトドア体験ビジネス、エンターテイメント、地域振興、等々、 さまざまな需要と供給を繋ぐパイプ役を 観光ビジネス

          投票は義務じゃない。権利だ。 もし、あなたが心身を病んでいるのなら、 投票よりもまず心身の健康のために時間を費やしたほうがいい。 基本的人権よりも投票権のほうが重視されるはずがないのだから。

          投票は義務じゃない。権利だ。 もし、あなたが心身を病んでいるのなら、 投票よりもまず心身の健康のために時間を費やしたほうがいい。 基本的人権よりも投票権のほうが重視されるはずがないのだから。

          ミイラ取りがミイラになる現象じゃないけど、 結局、プロパガンダを警戒すればするほど、 自分自身が予期しない別のプロパガンダをばら撒く結果になるんじゃないかと思う。 たぶん、気にせず相手にしないのが1番。

          ミイラ取りがミイラになる現象じゃないけど、 結局、プロパガンダを警戒すればするほど、 自分自身が予期しない別のプロパガンダをばら撒く結果になるんじゃないかと思う。 たぶん、気にせず相手にしないのが1番。

          「節約を過剰に意識する人はお金持ちになれない」という煽り文句

          わかるけど、 これは、あくまでも金融資本を数値化した経済にフォーカスしての話だと思う。 「それがすべてではない」ことは著者も認めているけど、しっかり触れているわけではなさそうだ。 タイトルを含め、書き方が煽り気味でニュアンスが偏りがちなのが気になる。 もちろん、指摘されている内容は重要なことだと思う。 思考停止しがちな人々の意識に働きかけようとしている熱意が伝わってくる。 けれども、一種のプロパガンダ的な恣意的方向づけも感じられる。 極論、本人がそれで満足していれば、それ

          「節約を過剰に意識する人はお金持ちになれない」という煽り文句

          「あなたは幸せだね」と言うことの暴力性

          幸せはリアルタイムでは感じられない。 「あの時は幸せだった」 と、(たとえほんの数秒前でも)過去のことでなければ 幸せを実感することはできない構造になっている。 この構造を履き違えると、 「あなたは幸せだね」 という暴力的な発言をしてしまう羽目になる。 「幸せ」をリアルタイムで感じている時は、総じて「幸せでない」時だ。 本当に幸せな状態にある時、 その人は「幸せ」のことなど少しも脳裏をよぎらない。 少し思い出してみて欲しい。 幸福の真っ只中にある時、ふと我に返ることすらな

          「あなたは幸せだね」と言うことの暴力性