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脱資本主義

資本主義経済が、人類の物質的な豊かさを増大させる一方で、
精神的な相互の繋がりを希薄にした。
資本主義経済が生んだ消費社会は、至るところで大量のごみを吐き出すようになり、
そこに生きる人々は、金銭的な富を追い求めるあまり、心理的な豊かさを自ら進んで手離すようになった。

そして今、医療技術の普及によって、乳幼児期の死亡率が世界的に激減したにも関わらず、
多くの都市社会では精神疾患が爆発的に増え、自殺による死亡率が、事故や病気による死亡率よりも上回るようになっている。
この傾向は、近年ますます加速しつつある。

「明日、生きられるかどうか」を心配せずにとりあえず今日を生きていられることは、
現代社会を生きる私たちにとっては大きな恩恵に感じられるし、
先人たちが代々にわたって築き上げてくれた文明の賜物であることに変わりはない。
けれども、日常的に生き甲斐を実感できる機会が減ってしまった結果、
皮肉にも、死因における「自殺」率は増加の一途を辿っている。

ただ生きている、だけでは意味がないのだ。
刻一刻と、生きている意味を感じられなければ。
「まず生きるために働かなくては」だけでは、もはや実感できない。
その先にある希望が初めから見いだせていなければ。
生きる希望が、未来に期待が、持てなければ。

資本主義は、「生きている意味」や「生きる希望」には無頓着だ。
資本主義経済が、個人の生きている意味を顧みることはない。
このまま資本主義経済に縛られていては、ますます個人の孤独感はつのり、自殺率も増え続ける。
これは、単なる数値上の問題ではない。
かけがえのない個々人の孤独が、生きる希望を見失っている絶望が、今も誰にも届かない悲鳴を上げ続けている、という一刻を争う事態なのだ。

思考停止をやめよう。
まず、資本主義を大前提にして生きてきた自分に気付こう。
その恩恵を冷静に受け止め、感謝した上で、
それだけにとらわれることから自分を解放しよう。
経済社会というハコだけが潤い、そこに生きる個々人の多くが「生きている意味」や「生きる希望」を感じられなくなっているとしたら、
そのような社会にいったい何の意味があるのだろう?

このままでいいはずがない。
資本主義だけでは、この社会はこのまま変わらない。変われない。
より根源的な、人間らしい価値基準がこれからの社会を動かす原動力にならなければいけない。
実存とか。共感とか。

個々人の魂から沸き起こるものを軸に動いていくような生き方と、そのような社会を自分で創っていこう。
まずは、身近なところから始めよう。

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