見出し画像

警告!この記事を読んではいけない11<歌手に必要な要素とは>      4 アタック音をきちんと出せること  5 ヴィヴラートに頼らないこと

4 アタック音をきちんと出せること には2つの項目があり、前回記事で➀ 音の出だしはずり上がっちゃいけない まで書きました。今日は、  ② アタック音はアタックなのだから、クレッシェンドで入ってはいけない  からお話ししたいと思います。

② アタック音はアタックなのだから、クレッシェンドで入ってはいけないこれは、意味が分かりにくいかもなので、丁寧に説明しますね。➀ではアタック音、フレーズの最初の音はずり上がっちゃいけないとお話ししました。でも、ずり上がってでもちゃんと最初から音が出ている方がまだましです。

ヒドイ歌手になると、アタックで「パンッ!」と入るべきところ、入らないんです。そこに音がないんです。アタックだから、フレーズのどこよりも、大きな音で「パンッ!」と入らなくちゃいけないのにです。どういうことかというと、怖いからです。怖くて入れないんです。

アタックで入るべき場所に、正確な音程を当てる自信がないんです。そこで、ごくごく小さな音を出して、つまり音程が正確でなくても気にならないくらいの小さな音で入って、聴衆にあまり聞こえてないうちに、自分で音程を修正してから、だんだん音を大きくしていくんです。

つまりクレッシェンドしながら入っていくんです。これ、本当に聞き苦しいです。これやられると、聴いてらんないです。「耳腐る」です。こんな歌い方しかできないんだったら、歌手になるべきでないと思います。音程取れないんでしょ、あなた? と、言いたくなります。

そういう歌手、実はポピュラー界にはあまりいません。たまにいますけど(笑)。実はクラシック界に多いです。あ、私、クラシック界とポピュラー界、差別する感覚、持ち合わせていません。クラシック界のスゴイ部分はちゃんと把握しているつもりです。勉強したのも主にクラシック界の事です。

でも身体に流れている血はロックです。ステージでロックを演奏している時が一番自分が自然でいられる幸福な時間です。どちらも、良いものは良い、良くないものは良くない、です。どちらも好きです。私が生理的に受け付けない音楽は「ーーー」と「ーー」だけです。

あるんです私にも、どうしても身体が受け付けない音楽が2種類ほど。あれ、本当に音楽と言えるんでしょうか? これ、生理的なものなので、勉強や経験ではどうにもなりません。むしろ、僅かに経験はありますが、経験を積むほど、生理的嫌悪感は増します。

ともあれ、フレーズの最初の音は、正確な音程を豊かな音で「パンッ!」と出せなくてはいけません。これ、歌を歌う基本です。きちんとした音程の、芯のある豊かな音が「パンッ!」と聴こえるから、聴いてくれてる人に、「あ、歌が始まった!」と感じてもらえるんです。

歌の先生はそれをちゃんと生徒に伝えているはずです。しかし現状、アニメ主題歌歌手の約9割はこの基本ができていません。歌の先生がちゃんと教えなかったんでしょうか? 違うと思います。生徒の側が、先生の指導内容を理解できなかったか、あるいは初めから先生のいう事を聞くつもりがなかったか、あるいはその両方だったか、いずれにしろ問題は生徒の側にあったような気がします。

ああ~~っっ!! 言っちゃった言っちゃった、本当の事!!上の段落は、あまりに重い内容だったので、ここで少し、ある漫画のエピソードをお話ししますね。料理の漫画です。大きな日本料理店。腕の良い板長がいました。でも板長は調理の方法を、弟子たちに教えようとはしませんでした。

ある日、しびれを切らせた1番弟子が、板長にお願いしました。どうか調理方法を教えてくださいと。板長は言いました。「教えなくちゃわからん奴には、教えてもわからん」と。この部分を読んで私は、ハッとしました。「そうだよなあ、確かにそうだよなあ、そのはずだよね!」と。

学校という機関があり、先生という「教える人」がいて、生徒という「教わる人」がいます。「教える人」は「教わる人」に対して、何をするんでしょうか? 私はこう思います。「教える人」って言うのは「黙っていてもそのうち自分でわかるようになる人に対して、そのわかるようになる時期を少しだけ早くしてあげる人の事」だと。

私が作曲法を先生に習ったのも、ひょっとしたら私は、習わなくてもそのうち自分でわかるようになったのかもしれません。でも私の作曲の先生は、そのわかるようになる時期を、物凄く早くしてくれたのだ、と。自殺寸前まで追い込まれましたけど(笑)。

従って「黙っていてもそのうち自分でわかるようにならない人」に対しては、何を教えようとしても無駄。何も伝わらない。教えようとした場合、それに費やした時間と労力は全て無駄になる。つまり非常に大雑把に言うと、「教わる人」は2種類いるんです。「わかるようになる人」と「わかるようにならない人」と。

② アタック音はアタックなのだから、クレッシェンドで入ってはいけないと教わった生徒も2種類います。わかる人は、それができるように努力をし始めます。なかなかできるようにならないんです、これ。難しいんです。だから、わかる人は、かなり必死に、これができるように努力するんです。

ところが、わからない人、この種の人たちの頭の中身、実は私にはよくわからないんですが、どうやら、自分ができていないのに、できていないと気付いていないみたいなんですよね。あくまで想像ですけど。気づかないことには、人間、無関心ですよね。その人たち、きっと最後までそのままです。

自分ができていないことに気が付いていない人には、何をどう教えても無駄になります。つまり、「教えなくちゃわからん奴には、教えてもわからん」なんです。残酷な言い方になりますが、そういう人は、歌を歌うのに向いていないと思います。というか、音楽に向いていないと思います。

ああ~~っ!!また言っちゃった、本当の事。すみません本題に戻ります。5 ヴィヴラートに頼らないこと

これは表現が微妙になります。ヴィヴラートとは、歌や楽器で音を震わせる、というか、揺らぎを与える、というか、音をまっすぐ伸ばさないで、フルフルフルフル、とさせることを言います。ヴィヴラートは、上手に使うとそれはそれは美しい音楽表現になります。

ところが、歌にしても楽器にしても、美しいヴィヴラートで演奏する事は、そうそう簡単ではありません。楽器の場合はまだ、美しいヴィヴラートの方法が、楽器ごとにほぼ決まっていて、その通りに演奏すれば、まあまあ皆、美しいヴィヴラートになります。問題は歌の場合です。

声をまっすぐに、つまりヴィヴラートをかけずに、アーーーー、と伸ばす。これ、ノンヴィヴラートと言います。答えを最初に言っちゃいます。この、ノンヴィヴラートを美しく歌える人は上手なヴォーカリストです。そして、ノンヴィヴラートで歌えない人はヘタクソです。

歌は、正確で美しい音程で、アタック音をきちんと出して歌えることが大事です。それができていれば、はっきり言うと、ヴィヴラートなんか必要ないんです。むしろ、正確な音程をとる邪魔になります。私は自分のバンドのヴォーカリスト二人には、よく「ヴィヴラートかけないで」と要求します。

そしてこの二人は、それができます。ヴィヴラートなしで正確な音程をまっすぐ伸ばすと、それはそれは美しい歌声になります。複雑なテンションの和音で構成された音楽など、歌の音程に揺らぎがあると、キレイに聴こえないんです。

ところが、どうしてもヴィヴラートをかけたがる歌い手、そういう人たちは、何故ヴィヴラートをかけたがるのか。それは、正確な音程がとれない人だからです。ヴィヴラートというのは本来、まっすぐの声で美しい音程で歌える人が、より美しい表現のため、ちょっとだけ使うと効果的なんです。

ところが、正確で美しい音程の取れない人が歌手になっちゃうと、自分の音程の悪さをごまかしたくて最初から最後までヴィヴラートをかけるんです。そして音程の悪い人ほど、ヴィヴラートの振幅が大きいです。まっすぐに、アーーーと伸ばすがことができない人ほど、大きな大きな振幅で、

ウアオウアオウアオウアオって感じで、歌います。ホント聞き苦しいです。「耳腐る」です。クラシックでも、中沢桂さんや栗林義信さんなんか、生で聴きましたが、ごく小さいヴィヴラートで、それはそれは美しく豊かな歌声でした。上手い人はヴィヴラートなんか必要ないんです。

大学時代、私の先輩に素晴らしいヴォーカリストがいました。声が物凄く美しい上、正確な音程、しっかりしたアタックを出せ、しかもその人のヴィヴラートは鳥肌が立ちました。ヴィヴラートだから音は揺らぎますよ。でも音程はぶれないんです。位相が揺らぐだけなんです。その声、そのヴィヴラート、鳥肌の立つ美しさでした。

さて<歌手に必要な要素>などとお話ししてしまいましたが、これで一旦筆をおきます。この<読んではいけない>警告シリーズ、次はいよいよ具体的に、<では、上手な歌手とは誰なのか>という、実名入り、超危険な記事をお話ししたいです。あ、<読んではいけない>ですからね。あくまでも(笑)

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?