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時は流れて現在の私 6

前回「現在の私 5」は、杉並区和田本町の住まいの事をお話ししました。今回の6は、中野区中野3丁目のアパート。ここに約6年間住んでいた時のお話しをさせてください。他人の幼少期の事なんか、面白くもなんともないかもしれません。面白いとすれば、当時の食品とか、食生活の事ですかね。

幼稚園! 中野駅、総武線というか、中央線の線路沿いにある央文幼稚園。2年保育の「月組」(すごいよく覚えています)。誰がやっているのか、いつも、きれ~いに掃除されていて、建物内と建物付近はチリ一つない感じ。しかし難点は、庭の木は毛虫の巣で、それはそれは大量の毛虫がいました!

様々な思い出があり、どれも優劣はつけられませんが、思いついた順から並べてみますね。ザクロ。この植物との遭遇は、この幼稚園が初めてでした。ザクロの木があったんです。濃いピンク色で、食べられるとも聴いてはいたのですが、何故かグロテスク感を強く感じてしまいました。

不思議な符号ですが、その幼稚園の廊下に、絵が貼ってありました。ダリの「内乱の予感」です。何故に幼稚園に、しかもダリの「内乱の予感」などという超の付くシュールレアリスティックな絵が飾ってあったのかは、未だに謎です。幼い私には、あの身体配置がどうしても理解できませんでした。

不思議な符号というのは、ダリの作品には、よく、ザクロの実が登場するからです。大変真面目で健全な幼稚園だったとは思うのですが、ああ、ダリとザクロ・・・シュールな幼稚園だったかもです(笑)。3年前に近くを通った時に、まだ央文幼稚園はありました。果たして今はあるかどうか・・・

そして私が央文幼稚園に通っていた2年間の住まいは、中野区中野3丁目のアパート。当時父が勤務していた農林省の官舎。今までより遥かに広い(と、当時感じていただけ、実際には6畳と4畳半の2DKにすぎず)住まいに感動したのを覚えています。それまでは一家族一部屋の生活でしたから。

そして何よりの感動は、住まいの中に風呂があったことです!こんなことで感動するのは、本当に、終戦後わりとすぐに生まれた私の世代が最後でしょうが、家の中に家族専用の風呂があるなんて、本当に夢のようだったんです。これでもう、毎日風呂屋に通わなくて済むんです。

東京のど真ん中とは言えませんが、都心にもほど近い中野駅のそば。そんな都会にも、お風呂屋さんは当時はたくさんありました。自宅に風呂のない人も、たくさんいたんです。でもそれまで風呂屋に毎日通っていた私は、風呂屋が好きで、その後も度々、風呂屋に行っていました。

中野の住まいでは、一度にたくさんの生活革命が起きました。風呂も然り。そして大きな革命は、「アイスボックスの登場です!」アイスボックス??なにそれ?? そんな声が聞こえてきそうです。無理もありません。最近の世代には、アイスボックスなんて言っても、何のことやら、でしょうね。

アイスボックスとは、直訳すると「氷の箱」。箱ですよ、箱。でっかい箱。その中に氷を入れるんです。今スマホで調べると、当時のアイスボックスの氷の入れ場所は、箱の上部となっているのですが、私の家のアイスボックスは、確か箱の一番下に入れていたような・・・ここの記憶は曖昧です。

氷は一日に一度、交換が必要です。当時は毎朝早く「氷売り」のおじさんが、アイスボックス用の氷を売りに来ました。大きなカギバサミで、えいやっと持ち上げて売ってくれるのです。幼い私はアイスボックスの中身に興味がなく、何が入っていたかは覚えていません。興味はもっぱら氷でした。

アイスボックスによる、食品保存の大革命が起きたはずでしたが、その効果については、よく覚えていません。我が家に冷蔵庫が登場するのは、まだまだ先の事です。大革命と言えば、我が家最大の大革命はテレビの登場です。この家で、私は初めて「テレビ」なるものを見ました。

いろいろ覚えていますが、池田首相のお顔はよく見ました(笑)。白黒ですよ、そして増幅装置は真空管ですよ。だからスイッチを入れても、しばらくは、うんともスントも言わないんです。このテレビが、私に、大興奮の番組をいろいろ見せてくれました。ウルトラQ、とか、ウルトラマン、とか、

キャプテンウルトラ、とか、ウルトラセブンとか(セブンは実際には中野では見てません。セブンの確か放映の最中にまた引っ越しちゃったんです)。ウルトラシリーズばっかですね(笑)。このシリーズは今でも人気です、日本特撮の黎明期を牽引したことで評価も高いです。ちなみに人気の順位は、

ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラQ、キャプテンウルトラ、だそうです。私が好きな順は、キャプテンウルトラ、ウルトラQ 、ウルトラセブン、ウルトラマンです。ちょうど、人気の順と逆ですね(笑)。なんかこの頃からすでに、人と違う道を歩んでいるような気がします(笑)。

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ウルトラシリーズの話は、話し出すと止まらなくなりますので、一旦留め置いて、中野での生活革命の話を続けましょう。アイスボックス、テレビ以外にも、革命的な変化はありました!水洗トイレ!まだ洋式便器が日本に入る以前ですから和式ですが、家の中にそれも水洗のトイレが出現したんです。

びっくりです。レバーを下げると水がドバーっと流れるんです。凄いっ!い一気に文化的になりました。そして非常におぼろげな記憶ではありますが、電気洗濯機なるものもあったような気がします。それまで洗濯は、洗濯板(知ってますか?)とタライを使って、手で洗っていたんです。

電気洗濯機と言っても、黎明期のものですから、電気を使うのは洗濯槽だけで、脱水は、ゴムのローラーを手動で回してやっていたんです。この脱水作業の手伝いは、たくさんやらされていた覚えがあります。そんなこんなの生活を6年ほど続けたはずです。

何故でしょう、現在の私と言いながら、昔の思い出話ばかりになってしまっていますが、でも、この時代の映像が、最近、頻繁に脳内を駆け巡るんです。さて、2年間の幼稚園生活も終わり、いよいよ小学校入学です。今日はこのへんで。次の7では、小学校時代を振り返りたいと思います。

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