見出し画像

警告!この記事を読んではいけない83「銃」について49<戦闘機の搭載機銃6>

YOUTUBE始めました。風間真チャンネルはこちら→https://www.youtube.com/channel/UCSi6XBJoaK2pzgJ_hO0qtXw

前回の記事で、次は第二次大戦期のアメリカの戦闘機の搭載機銃について、お話するとお約束しましたのでそのようにします。戦闘機のお国柄をご紹介する最後の記事になります。アメリカです。

アメリカ人も頑張って、とうとうゼロ戦を超える戦闘機を作った!

アメリカ人はアメリカ人で、それこそ血の滲むような努力と工夫を重ねて、物凄い戦闘機を作りました。「ゼロ戦に勝てる戦闘機を作りたいっ!」の一心だったのです。開戦当初、どうしてもゼロ戦に勝てなかったアメリカの戦闘機。何故あんな旋回ができるのか、何故あんな速度が出せるのか、何故あんな上昇ができるのか、当時のアメリカ人にとってはその全てが謎でした。ゼロ戦に対する劣等感は、物凄いレベルだったに違いありません。

でも、そこで引き下がるようなアメリカ人ではありませんでした。そしてとうとう本当に作ってしまったんです。

F6Fヘルキャット

実はヘルキャットの前に、F4Uコルセアという戦闘機が量産されていて、実戦配備もされていました。データ上の性能差はそれほどでもなく、少しずつヘルキャットが上回る部分が多かったものの、コルセアが上回っている部分も、かなりありました。

しかしパイロットは殆どがコルセアよりヘルキャットを好んだと言います。主な原因は、数字上の性能差がどうというより、コルセアの主翼が中翼配置であるため、視界を遮られる部分が多かったためのようです。その点ヘルキャットは低翼配置だったため、後方以外の視界はおおむね良好でした。

このヘルキャットのお話です。アメリカ軍のパイロットにも好まれ、ゼロ戦のパイロットたちも「格闘戦で一番イヤな相手」と聞かれると、必ずこの「ヘルキャット」を挙げたそうです。

ゼロ戦は何故ヘルキャットに敗れたか

開戦当初、ゼロ戦の性能の全てはアメリカ軍を恐怖させました。旋回性能、上昇力、速度、武装、航続距離、挙げればきりがないほどです。しかし日本と戦争する事を選んでしまったアメリカです。負けるわけにはいきません。アメリカ人は頑張りました。そしてとうとうゼロ戦を破る戦闘機を作ってしまいました。

アメリカ軍は、ゼロ戦を1機、鹵獲しました。手に入れたんです。そして、謎の解明に乗り出しました。徹底的に分解、分析し、ゼロ戦の超性能の秘密を暴き出しました。暴かれたゼロ戦の秘密は、アメリカ人が「ウソっ!」「信じられない!」と感じるほどに驚かせました。

アメリカ人が何に驚いたかというと、たくさんありますが、まず重量です。ゼロ戦は「これでもかっ!これでもかっ!」と言うほど、徹底的に軽量化されていたのです。エンジンは1000馬力級。当時としては高出力ですが、驚くほどの大出力ではありません。普通の範囲を出ていませんでした。

そのエンジンで何故あれほどの旋回性能、上昇力、航続距離を出せるのか、その秘密は徹底的な軽量化にありました。アメリカ人を最も驚愕させたのは、この軽量化でした。ゼロ戦は、アメリカ人では絶対に発想しない考え方で作られていたのでした。

軽量化は、一応理に適っています。軽量化とは質量を減じる事です。質量が下がれば物体は軽快な動きをすることができます。鈍重でなくなるのです。しかしゼロ戦の軽量化は、度を越えたものでした。日本の技術陣は軽量化を「ここで3グラム、ここで5グラム」というほど、機体の隅々まで、軽量化を徹底したのでした。

驚くべきことに、降着装置、つまり主脚の出し入れをするためのモーターも、通常は左右一つずつあるのですが、ゼロ戦は一つしかありません。一つのモーターで左右ひとつづつ順番に出し入れするのです。故に時間がかかりました。また、機体の外板も、限界まで薄くして軽量化しました。

外板を薄くすると強度が下がります。その結果弱点が生まれました。ゼロ戦の弱点の一つである、パワーダイヴができない、つまり急降下ができないんです。これは、外板の薄さが原因でした。急降下すると、主翼の外板にスーッとしわが寄ったそうです。

更に驚くべきことはゼロ戦には防弾装備が全くと言っていいほど、ありませんでした。燃料タンクの防弾ゴムもなく、キャノピー前面も防弾ガラスでなく、操縦席後ろの防弾版もなく、操縦席前方の防弾版もありませんでした。ただでさえ薄い外板の機体の内部も、徹底した軽量化の為に、防弾装備が、全くと言っていいほど、なかったのです。

これが、日本の技術陣の考え方だったのです。こうやって軽量化すれば、たとえ防弾装備がなくとも、機敏な運動性能で、敵弾の回避ができると。それはそれで確かに理に適ってはいました。徹底的な軽量化によってゼロ戦は、あの信じられない運動性能と、脅威の航続距離を実現していたのでした。

しかしアメリカ人はそういう考え方をしませんでした。アメリカ人は、日本のゼロ戦から多くを学びましたが、単純にゼロ戦を真似しようという気は、最初から、サラサラありませんでした。アメリカ人の考え方は「どうしたらゼロ戦を撃墜できるか」、この1点に集中していました。

そうして最終的に出来上がったのがあのヘルキャットF6Fだったのです。

画像1

アメリカ人が考えた事

アメリカ人はこう考えました。まず、ゼロ戦は防弾装備がほぼ全くない、という事に着目しました。「ゼロ戦という戦闘機は、驚異の運動性能を持ってはいるが、タマが1発当たれば火だるまになってしまう」事に気が付いてしまったのです。

ならば、出来るだけ空戦時間を長くしてたくさんのタマを浴びせてやろう!と考えたのです。そして、長い空戦時間に耐えられるように、こちらの戦闘機には、充分な防弾装備を搭載しよう、と考えました。まず防弾装備です。燃料タンクには分厚い防弾ゴム、キャノピーの前面は防弾ガラス、操縦席の前方に防弾版、特に操縦席の後ろには、分厚い防弾版を備えてました。

つまりこの戦闘機「弾を撃たれて命中しても、撃墜されない」という恐ろしい戦闘機になったのです。そりゃあいくら防弾版で囲っても、ゼロ戦の主翼からくる20ミリ砲が1発でも当たれば、さすがに粉砕されてしまいます。しかしゼロ戦の20ミリ砲は、主翼に各1丁ずつしかなく、しかも発射速度が遅いため、さらには携行弾数も少ないため、実質的には大した戦力にならなかったのです。

つまり、ゼロ戦を徹底的に分解分析して、そのことまで知っていたアメリカ軍は、「20ミリ砲は当れば恐いけど、当たりゃあしないさ!」と判断したのです。そしてヘルキャットはと言えば、ゼロ戦の防弾装備のなさを知っています。

20ミリ砲などというたいそうな機関砲は必要ないと判断したのでしょう。もっと小さい口径の機銃で、1発でも当たれば火だるまになることも知っていたのです。そして、確実にタマを当てる方法を考案しました。

今日はここまでにします。アメリカ軍が、戦闘機の格闘戦で、敵機、つまりゼロ戦に、確実にタマを当てる方法、これ、スゴイです!次回は、このヘルキャットの核心に迫るお話をしたいと思います。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?