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私が音楽している理由 8

小石川高校では、毎年9月、芸能祭、創作展、体育祭の芸能週間が終わると、2年生は部活を引退し、受験勉強態勢に入ります。つまり、2年生9月の芸能祭ステージは、2年生の引退ステージだったのです。異様に早い引退ですが、それしか知らない私は、それが普通の事と受け入れていました。

部活の運営体制も、2年生の引退に伴い、1年生が役員を引き継ぎました。軽音では、部長にあたるバンマス(バンドマスター)、音楽的リーダーのコンマス(コンサートマスター)が入れ替わります。コンマスが音楽的方針を決めます。1年の10月から、部活はジャズの追求に邁進します。

別にジャズは嫌いではなく、カッコイイと感じていましたし、ジャズギターをカッコよく弾いてみたいとも思い勉強してみました。勉強した結果、何か、言いようのない違和感を感じ始め、それは日に日に強まりました。部活の友人たちと、日本に来たサドメルを見て聴きに行きました。

確か当時の郵便貯金ホールだったと思います。憧れの奏者たちがずらりと並ぶそのステージは圧巻でした。素晴らしかったのですが、やはりピンクフロイドの時のような感動は得られませんでした。OBの先輩からジャズオーケストラの聴音の方法も学びました。小石川高校軽音の譜面は、実はこの先輩、

後にプロになる、現役当時から天才と言われていた、福岡先輩が聴音して書き取ったものが殆どでした。福岡先輩から、渡辺貞夫著のジャズスタディという本を紹介され、早速買って勉強を始めましたが、当時の私には、どうにも難しくて、とても歯が立ちませんでした。

でも、福岡先輩からとジャズスタディを勉強したおかげで、後に小石川高校軽音のOBバンドに入れてもらい、ギルエヴァンスの「サラブレッド」を聴音して譜面にするとき、大変助かりました。このギルエヴァンスの「サラブレッド」は、福岡先輩指導のOBバンドが、一度演奏してくれたのです。

福岡先輩は、一時的に私にコンマスをやらせてくださり、私が曲の解説をしながら、先輩方に演奏をお願いしました。いやあ素晴らしい音がしました。そもそも自分の書いた譜面が、プロ交じりのハイレベルな先輩方によって、実際の音になるのです。興奮しました。

そんな風にジャズにも染まり始めた私でしたが、心の奥底に潜む違和感は、ぬぐえませんでした。ギルエヴァンスは大変好きになり、来日時には必ずコンサートに行くようになったのですが、ごくオーソドックスなカウントベイシーとか、デュークエリントンとかには、なじめませんでした。

でも勉強したおかげで、ジャズオーケストラの譜面は、聴音して作れるようになりました。そんな風にジャズとロックの間で葛藤していた私ですが、部活は新入生歓迎コンサートの準備に入りました。自分が入学当時、昼休みの中庭で、部長の本格的なサックスソロを聴いた、あのステージです。

コンマスの方針で「中庭ではロックをやって新入生を引き付ける。そして音楽室ではジャズをやって、ジャズの部活であることを知ってもらう」というコンセプトで行うことになりました。私はコンマスから「中庭の演奏では、最後にシカゴの<長い夜>をやる。ギターソロは、好きにやってよい」

という指示を受け、大喜びしました。嬉しくて調子に乗りすぎ、本当に長い長いギターソロを、アドリブでやりました。音楽的な意味では、どう弾いたかなんて、全く覚えていません。覚えているのは、当時しきりにコピーしていた、リッチーブラックモアの真似をして弾いたということだけです(笑)

リッチーブラックモアは、ディープパープルのギタリストで、コンサートの最後には、ギターを壊したり火を付けつけたりすることで知られていました。私は壊したり火を付けたりはしませんでしたが、ギターを投げ出して、靴でギターを鳴らしたり、かなりハチャメチャなことをしました(笑)

よく、コンマスや他の部員たちが、黙ってみていてくれたなあと思います(笑)この頃から、やはり壊れていたんですね。すでに「演奏」とはやや違う方向に行き始めていた、というか、常識はずれな方向性に行くことに、何の抵抗もなかったんです。あ、それは今でもそうですが(笑)。

いや、ちゃんとジャズの演奏もしました。この中庭コンサートでも、バディリッチのマーシーマーシーを演奏した時は、きちんとしたジャズの音色で、ジャズギターらしいソロをやりました。使ったギターはストラトでしたけど(笑)。その後の音楽室での演奏会にも新入生はたくさん来てくれました。

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そんなこんなの、高校でのギター小僧時代でした。本当は自分が何をしたいのか、実は還暦を過ぎた今でも、本当にはっきりとは、わかっていません。ギター好きです。特にロックギター。特にプログレのギター。ピアノも好きです。作曲も好きです。一番の憧れ作曲家は、冨田勲先生です。

四十にして迷わず、なんて漢詩があったと思いますが、私は還暦を過ぎた今でも、迷いに迷い、もがき続けています。もがき続けた挙句、やっと何とか形にした自分の音楽、それがフルアルバム「天照」です。tuneCOREから配信していますので、興味が湧きましたら、聴いてみてくださいませ。

今日はここまでにします。高校時代はまだ、作曲家ではなくピアニストでもなく、ロックギタリスト志望でした。次の記事では、まだ「音楽している理由」を続けようと思いますが、少し今までとは別の視点から、私と音楽の関わり合いをお話しさせていただこうと思っています。例えば・・・

「楽器と生き物の関わり合い」こんなテーマはいかがかなと思います。以前の記事で「亀の甲羅の音も好きです」なんて書きましたが、ほとんどの方は「意味わかんない!」と思われたでしょう。要は、鼈甲です、べっ甲。べっ甲は、亀の甲羅から作るんです。そしてそれは、メガネのフレームとかに

なったりもしますが、ギタリストにとっては、演奏に必要な「ピック」の材料です。殆どのギタリストは合成樹脂のピックを使っていると思いますし、自分も学生時代は合成樹脂のピックでした。でもべっ甲のピックに出会ってからは、後戻りできなくなっちゃったんです。べっ甲素晴らしいんです!

なんて話を、記事にしてみたいと思います。いやあ、ミュージシャンて、罪深い生き物なんです。ではまたよろしくお願いします。

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