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青山塾に行こうと思ったきっかけ、その1

こんにちは、船津です。
今週末の2019年2月9日(土)に青山塾の説明会に卒業生としてゲスト参加することになり、いろいろnoteに書きたいことはあるのですが
予定を早めて青山塾のことをまず書こうと思います。

青山塾に通ったのは2015年7月から2017年3月までの約2年間です。
その前は10年程フリーランスでイラストレーターをしていましたし、
大学は美大で油絵を描いていました。

それで、なぜ青山塾に通おうかと思ったかというと、
う~ん、いろいろあるのですが...
1、自分の作品を変えたいと思ったことと
2、母のふとしたある一言が気にかかった
の二つがあげられます。

うちは実家が自営業で、父は土木工事の親分で母はその会社の経理をしていました。小さい頃から商売が一番楽しい、商売は生き甲斐、みたいな両親を見て育ちました。
その影響からか、私は小さい頃から絵が得意だったのですが、友達に「絵描きになれるよ」と褒められても「えー絵描きってお金稼げなそう」と思ってしまうような子供に育ち、美大に進むも、アーティストというぼんやりしたイメージがうまくつかめず、もっと具体的に経済活動に近い感じのする漫画家かイラストレーターになりたいと考えていました。

そして、まんまとイラストレーターになりまして、2,3年して活動が安定して都内で一人暮らしできるほどになりました。
前回描きましたが、その時のペンネームは「なつ容子」というもので、ガーリータッチのイラストで美容やファッション、健康などの分野でカットを多く描いていました。下のようなものです。
http://www.natsuyou.com/

今も「船津真琴」の名前と並行して、このタッチのイラストも描いていますよ。

仕事の需要は沢山ありました。というのもその手の20代から40代女性をターゲットにした刊行物やウェブは次から次へと沢山作られるからです。そして、内容は大体似たようなものになりがちで、同じような構図のイラストを何度も何度も沢山描くことになります。
2、3年はまあまあ、4、5年になって来るとまたこのカット?と思うようになり、7、8年でマンネリ化... でも需要はあるので続けます。
10年経つと……辛くなってきます。

また、この洗顔料で泡立てて顔を洗っているカットと化粧水でパッティングするカットの組み合わせを描くのか、何億回目だと思っているんだ!と机をバーンと叩いたところで
わ、私なんて愚かなんだろう、なんで変わろうと努力しないで現状にあまんじているんだろう!と10年目でやっと気が付きました。あほかな?

それで、私は絵をもう一度やり直したいと思うようになりました。

そこへきて、ある母の一言がありました。
その話は次回描きたいと思います。

青山塾2/9の説明会でも話をします。
質問も受け付けますので、どうぞ宜しくお願いします。
aoyamajuku.jp/info/5470/


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