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青山塾に行こうと思ったきっかけ、その2

こんにちは、イラストレーターの船津です。
前回の下記のポストに続いて

https://note.mu/makoto_funatsu/n/n2c22be276b47
青山塾に行こうと思ったきっかけ、その1

今回は、私の変わるきっかけの一つになった母の一言について書こうと思います。

まず母についてお話しますと、母は父の土木の零細企業を手伝っている商売人ですが、全く小市民といった風の普通のおばさんです。
そして、うちは父がモラハラなのですがそれにも耐え、バブルに煽られながらもなんとか小さな会社を支えつづけ、愚痴も言わず、江戸っ子特有のそそっかしさと俗っぽさがあり、いつも人生の明るい面だけを見つめ、子供4人を大学まで行かせた私にとってとてもエライ人です。

とにかく子供のために尽くすのが生き甲斐みたいな人で、若いころ絵が好きだったのですが絵の道に進むことが出来なかったからか、私の絵の教育についてはとにかく色々な面で投資し続けてきました。
しかし だからと言って、押しつけがましかったり 私に何か期待しているようなところもなく、美大を卒業してからしばらく 漫画家になると言ったきり2、3年漫画も描かずブラブラしている私に対して全く何も言いませんでした。
母は、ただ私が存在してるだけで満足そうでした。

そんな大変ありがたい母ですが、
私がイラストの仕事を始めて何年かしてから、(ずっと恥ずかしくて見せなかったのですが)初めて母にイラストの仕事の実物を見せた時に、独り言のように小さくこう言ったのを私は聞きのがしませんでした。

「名前が載らないの…?」

え? と私は思って、見返してみました。それはOLさんが読む大手フリーペーパーの中面記事に添えられる15cm程度の大きさのイラスト仕事で当時の私にとっては良い仕事の部類でした。
まあ確かにそのページには名前がクレジットされてないな…。でも、探してみれば奥付かどこかには載っているんじゃない?そう思って、その時は気にもしませんでした。その後すぐ母はその仕事の事をとても褒めてくれましたしね。

しかし、しばらくして何度もその言葉を思い返すようになってきていました。

「名前が載らないの…?」っていわれてもな。
私は、自分のこれまで仕事を引っ張り出してみてみましたが、
確かに私のイラストの真横や下に名前が書かれているものはほとんどありませんでした。しかし、時々はイラストのすぐ傍にに名前がクレジットされていることもありましたし、全く載っていないこともありました。
いやいや、そんなものは形式的なものだし何の意味もない、そうも思いました。

仕事は次々来ていましたし、生活は順調です。そんなつまらないことは気にしないで仕事をしよう。
しかし、その次の仕事にも、その次の次の仕事にもイラストの傍にクレジットが無いのを私は気にしていました。
名前が載らない…


そして、当時の私は次第にイラストのクレジットが気になってきてしまい、道端でも本屋でも他のイラストレーターの仕事を見つけるとクレジットがあるか否か目を皿のようにして探すようになってきていました。


そして分かったのは、イラストレーターはどんな仕事も名前がすぐに分かるようにクレジットされないということでした。

しかし、当時の私には(とても狭い視野の主観ですが)例外があるように感じました。それは、

1、装丁
2、新聞小説など文学的な挿絵
3、雑誌などの表紙、中面に大きく使われる見開きなどの仕事です。

これらは、イラストレーターが作家として評価され名前を大切に扱われているように思えました。そして使われているイラストも大きく華やかに見えました。

そう思ったとしても当時の私には、同じイラストレーターでもそれは全く遠くの別の世界のことのように、他人事のように感じていました。
その世界の中でも、ひときわ大きく輝く星のような憧れのイラストレーターがいました。
その人は木内達朗という人で、その作品は日本では他にないような個性とクオリティがありました。日本に住んでいるのに国際的にも認められおり、そして上に挙げた3つの素晴らしい仕事しかしていないようにみえました。

そんな仕事は私には出来るわけないじゃないか、そう思って私は需要のある仕事を続けることにしました。フリーランス2、3年目くらいのことです。

賢明な読み手の方はお気づきかと思いますが、当時の私が本当に気にしなければならないのは、単にクレジットされるか否かではなくて、イラストレーターとして尊重されているかどうかでした。それには作品の個性やクオリティがあるかどうかが大切です。木内達朗氏のように。

しかし、私は母の言葉の表面的な部分だけに苛立ち、自分を変えることもなく、前回のnoteで書いたようにそれから何年も同じようなタッチで同じシチュエーションのイラストばかりを描き続けました。しかし、それも今の私の土台となる経験になったとも思っています。

すみません、長くなったのでその3に続きます。
私が青山塾に入るまで、もう少しお付き合いください。
次は、木内達朗氏について少し書きます。



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