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宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』レビュー⑤総括

本作が社会に訴えかけているメッセージはない。

私は自らのスピリチュアルな知識背景から、本作を読み解いた。スピリチュアルの知識はもっとも簡単な読解方法だ。本作の解釈に、これほど役に立つ思想はなかろう。色々、難しく解釈することは出来よう。それでいろんな評論家Youtuberなどが、スピリチュアルな知識が無く他のいろんな知識で、ああでもないこうでもないと色々言って行くのであるが、本作がミステリアスになっていくだけだ。私は最も分かりやすい世界観を持っていた。

なので、本作への理解はある方だと言いたい。

しかし、宮崎駿は特に何も言わなかった。言ったとすれば、ヒサコの霊性が高いことで、本当の母親としての愛を持っていたことくらいだ。それは特段、長編映画にする必要はないし、これまでの数多の女性キャラがそういう愛を持っていた。

「君たちはどう生きるか」は、作中に出てくる本であり、それは原作とされる本の一つだ。本当のメッセージはそこに隠されているというのであれば、宮崎駿が遺言でこの本を読んでくれと言えば済む話で、本作単独で伝わらなければ本作に意味が無い。

宮崎駿は、「君たちはどう生きるか」と言いながら、その答えないし質問を投げかけてはいない。母子関係のドラマを表現しただけだ。

憶測で言えば、結局ヒミというヒサコの分霊は、無償の愛を有しており、そのように生きるべきではないか、と言いたいのではないか、と思われる。

であれば、物語は彼女を中心に回していくべきで、マヒトは脇役になるべきだろう。

で、マヒトを中心に考えるのであれば、マヒトの置かれた状況から最後のシーンの後、どう生きれば良いのか考えてくれ、というとすれば、我々には関係ない。マヒトの、あるいは個々人の好きにすれば、となる。で、その詳細が原作本を読まないと分からないようであれば、本作に意味はない。

そこで本作が社会に投げかけた影響は無い。いまさら、スピリチュアリズムの死後の世界を表現したところで、幸福の科学の人以外には何の影響ももたらさない。幸福の科学の人は、大川隆法にニワカスピリチュアルの知識を教え込まれて、それっぽい世界観を有している。なので、本作が分かって喜ぶかもしれない。大川隆法は、ただ既存の知識をパクっただけだ。それは多くの新興宗教に言えることだ、例えばオウム真理教だってスピリチュアリズムの影響を受けていたようだし、エドガーケイシーやラーマクリシュナもそうだ。スピリチュアリズムは何の宗教にも馴染む。スーフィーがそうだし、グノーシス主義、マニ教、密教、神道にもある。江原啓之は基本的に和製スピリチュアリズム、即ち神道系の用語を使用している。科学信仰系、最近では量子力学系とでも言えるスピリチュアリズムさえ存在する。科学がスピリチュアリズムの正当性を証明してくれる、という考え方だ。幸福の科学の人もこういう信念が強かろう。

スピリチュアリズムはグノーシス主義、新プラトン主義という古代哲学なのであり、神の名や世界の様態はとっかえひっかえできるのである。

だがしかし、これらはオカルトと呼ばれており、カルトとオカルトは違うにせよ、社会に受け入れられる何かではない。というか、真実かどうかはまだ定かではない。科学が支配するこの社会で、スピリチュアルを説いても無駄なのだ。

本作に芸術的価値はある。それはダンテの『神曲』に匹敵する、いや、それ以上のものだろう。

しかし、現代において、ダンテの『神曲』にいかほどの価値があろうか。まあ、文学作品として、そっち系の人にとってはあるのかもしれない。

私の、宮崎駿が面白くなくなったという感覚は『となりのトトロ』からすでにあり、本作の無意味性もその頃から続くものである。それまでは、自然と人間の付き合い方の哲学とか、手に汗握る冒険活劇とかの、明確な面白みがあった。しかし、『となりのトトロ』以降、訴えたいことが弱い感じになっていく。『魔女の宅急便』では思春期の少女の苦悩を訴えたのかもしれないが、私には関係ない。『紅の豚』では、宮崎駿がハードボイルドになりたかったのかもしれないが、私には関係ない。そんな、私には関係ないことばかり続き、『もののけ姫』がやっと『ナウシカ』っぽくなったかと思いきや、『シュナの旅』で既出の感じであったり、敵キャラが明確に悪でなかったりして、『ナウシカ』ともだいぶ違うものである。『千と千尋の神隠し』では、幻想的な世界が描かれたが、それで何が言いたいのかはよく分からない。『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』も結局何を言いたいのかよく分からない。

で、他の人の話を聞くと、私のように初期にしか感動しないわけではないらしいので、他の人は意味が分かると本作にも感動するのかもしれない。

本作はとにかく、無償の愛を持つヒサコという女性が、息子と継母の間を取り持つ、というドラマである。

それで、大叔父のくだりに混乱させられる人が多いかもしれないが、あれは全部大叔父のイメージが作り出した幽質なのであり、大叔父の思い癖に過ぎない。大叔父の世界が崩壊したのも大叔父の思い癖である。

それぞれの扉も人霊が見た共有夢である。

そうやって、全てのイリュージョンを削ぎ落していくと、残るのは母子関係のドラマしかない。

で、社会に訴えかけている意味は、これまでの作品と同じく薄い。何の哲学もそこからは生まれない。だから私は落胆したのであって、本作の訳が分からないから落胆したのではない。

私の本作への解釈はこれで終わる。

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